あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

福寿草松葉の中から覗きだし あきオジ

2011-02-09 07:29:04 | 日記
春雨や家鴨(あひる)よちよち門歩き  一茶

(こんなのんびりした俳句もいいですね。あれこれ自己主張があったり、それが見えたものより、淡々として、それでいいのだという程度の内容がいいですね。それでも、俳句の形式を壊したり、新しいスタイルを模索する人は頑張るのでしょう。でも、それも面白いかもしれませんが私にはそんな遠いところの話です。)

春がすみ鍬とらぬ身のもつたいな  一茶

(遺産相続で家屋等を取得した一茶は俳句指導で得た収入だけで生活してようですね。農業は小作に任せておいたのでしょう。そんな気恥かしさもある句ですが。一茶はその気はまったくないのが本当なのでしょうね。)

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「剣客商売」を見るだけで夜は終わります。
老人もそれなりに忙しくしているのです。

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今日の夜は落語です。
夜の更新はありません。


八百長も決まり手にあり雪続く  あきオジ

2011-02-09 07:17:24 | 日記
何でもあるのが人の世の中ですね。
でも、もう福寿草が咲き始めました。
あと少しで本格的な春ですね。

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山彦の南はいづち春のくれ  蕪村

春の暮家路に遠き人斗(ばかり) 蕪村

(最近と距離感覚が違いますね。江戸時代は徒歩が当たり前、今は、車あるいは電車で距離を感じます。それだけでも俳句の世界の時間の密度が違いますし、感じ方のスピード感も違いますね。でも形式は同じなのです。)

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雨が降りシャコンヌ聞きて猫眠る   あきオジ

2011-02-09 06:54:48 | 日記
ひた走るわが道暗ししんしんと怺(こら)へかねたるわが道くらし  斎藤茂吉

(俳句だけ取りあげていると「言いたりない」「もっと、あれこれ説明したい」という思いがでてくるのではないかと思うことがあります。おしゃべり好きな私は、そう思います。そこで、斎藤茂吉の真面目で堂々とした歌を一つ。これも今の時代には「重くて鬱陶しい」として敬遠されるのでしょうかね。名歌をつくろう等と思わず、短歌形式を利用して日記を作ろうとするだけの私には「そんなに頑張らなくても」とも思いますが、それぞれの人のそれぞれの歌。俳句もそうなのでしょうが、日記にするには、形式が短いかな。まあ、いいか。)

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釘箱の釘がみんな曲がってゐる  放哉

(このような句を読んで、思い出が溢れて来るのは、それなりの年代の人ですね。私には懐かしいですね。釘さしという遊びがあったし、あちこちから集めて、古物商のところにもっていって小づかいにしたこともあります。)

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