あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

俳句する冬の流れは細やかに  あきオジ

2011-03-08 21:05:40 | 日記
福島㤗樹が「こころの時代」で紹介されていました。
絶叫短歌の創始者ということでしょうか。
学生運動盛んな時代を過ごした人の
不器用で骨太な歌人ですね。

立派な装丁の本も出していますが
詩人の素質が乏しいのでしょうか
勢いだけで余韻が少ない歌人のように思えます。
でも、現代歌人の代表ですから
そのうち手を広げてみようかと思います。

素人は素人なりの大胆な読み方をしたいですね。

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凩のふけゆく澄んでくる心  山頭火

(「放浪行乞」山頭火百二十句 金子兜太著 がなかなか面白かったですね。解釈が大胆で、豪快。「一茶」の注釈も面白かったですね。興味をもつと、突然、輝いて見えます。)



サンシュユの着物柄が消え去りぬ  あきオジ

2011-03-08 20:57:57 | 日記
大根引き一本づつに雲を見る  一茶

(この雰囲気や景色が何ともいえず一茶ですね。)

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午前、午後と仕事があると、更新するエネルギーが残っていないのですね。
水泳に出かける意欲もありません。

老人は残されたエネルギーを上手に使わないと
肝心なところに廻っていきませんね。

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ほのかなる温かき色水仙の花  あきオジ

2011-03-08 18:58:25 | 日記
俳句らしい俳句を作るのが鬱陶しくなってきました。

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はつ雪をいまいましいと夕(ゆうべ)哉  一茶

ぼた餅や地蔵のひざも春の風  一茶

(このような地方の田園風景はいいですね。芭蕉にしても西行にしても、「旅人」であり、「暮らしている人」ではありませんね。そんなことから景色がよそ者の感動なのですね。そこがいいのでしょうが、そこが違っているように思うのです。)

赤い実を並べて語らぬゆかしさよ  あきオジ

2011-03-08 07:02:04 | 日記
静かさに堪えて水澄むたにしかな  蕪村

(「たにし」大昔、おやつとして食べた記憶があります。それにしても江戸時代の句には、よく登場しますね。たにしが生息するから蛍が舞う。そんな連鎖が江戸時代には見えますね。変質しないで存在する。それって、経済的にはどうか分かりませんが、成熟した文化を生みますね。)

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「乱」(黒沢明監督)を見ました。
私は「赤ひげ」で黒沢監督は映画監督として終わったと思っています。
「影武者」にしても「乱」にしても、映画としては別の次元にいってしまい
黒沢明第二章のように思います。
絵画的というのもどうかと思いますがね。
木下恵介監督が最晩年
映像に傾斜して
映画を絵画表現にしてしまったのに似ているような気がします。
実際、どうなのか素人には分かりませんがどうなのでしょうか。

能や狂言を意識した場面など「格調高さ」がほしかったのでしょうかね。

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竹林を鳴らし過ぎ去る冬の雨  あきオジ

2011-03-08 06:54:37 | 日記
出づべきとして出づなりぬ梅の宿   蕪村

(出かけるつもりが、出ずじまいだった。そんな境涯に入るのか、あれこれ思い描いているのか分かりませんが、このような句を思いつくのが贅沢ですね。こんな境地になりたいですね。)

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なぜか竹が好きなのです。
どのような季節でも写真は必ず撮ります。
花が咲かない
そんなことがいいのでしょうか?

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水仙が竹林よこぎるいさぎよさ  あきオジ

2011-03-08 06:43:51 | 日記
かうして生きてはゐる木の芽や草の芽  山頭火

(山頭火や放哉であっても、自然の中では素直で透明さを示すのですね。頭で考えるよりもずっと影響を与えるのですね。もっと、従順になって入り込んだ方がよいようです。)

みぞるる朝のように燃える木に木をかさね  山頭火

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「レ・ミゼラブル」を録画しておいたので見ました。
記念コンサートバージョンということで出演者も熱気あふれ
観客も乗りまくっていました。
イギリスのファンも乗りますね。
気持ちよかったです。

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ミュージカルを見ていると
神経質で緊張を強いられる演奏会や
物語のできがわるいオペラよりも現代風であると思いますね。
きっと、音楽の中では
ガーシュインが位置をしめたように
ミュージカルもオペラの延長になるのでしょうかね。
それぞれの流れはあるときから合流してしまうのでしょうね。

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