あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

島のさき菜の花海ににこぼれ出し  あきオジ 

2011-03-26 18:59:23 | 日記
あらとううと青葉若葉の日の光  芭蕉

両の手に桃とさくらや草の餅  芭蕉

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「イ・サン」も終わりました。
でも、最終回は見ることができませんでした。
停電の時間だったのです。
録画もできませんでした。
残念でした。

これだけ長いドラマだと脚本化の癖が見えてきて
展開が見えてしまいます。
満腹美学の国と
ダイエット食品の国との歴史の違いなのでしょうか。
食傷気味という言葉を思い出しました。

多分、これで韓国ドラマは十分ですね。
御馳走様でした。

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辻井伸之のリサイタルを放映していました。
素人で技術的なことは分かりませんが
機械的な技巧が安定しているように聴きました。

成長が楽しみですね。

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にぎり飯食べるベンチに春の日が   あきオジ

2011-03-26 18:49:31 | 日記
久しぶりに昭和記念公園に出かけました。
ありがたいことですね。

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木かげは風がある旅人どうし  山頭火

日の光ちよろちよろとかげとかげ  山頭火

(毎日のように句集を開くのが山頭火と放哉。このごろようやく芭蕉を開くようになりました。それまでは「何かないかな」と思いだした時に開く程度でしたが、最近は毎日開きます。気もちと微妙につながっているのですね。)

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スタイツリー震災ニュースに載りもせず  あきオジ

2011-03-26 18:41:46 | 日記
さすがのスカイツリー
新聞記事にもなりませんね。
実際は、どうだったのでしょうか。

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このような震災が起こると、
誰が責任を負うのか
誰が費用を払うのか
そんな議論がされ
新聞は不安を煽ります。

こんなときに金のことを・・・
というけれど、生きていることへの安心が得られれば
金が支配している原理に引き戻されるのです。

はげかたのような人だけでなく
大会社の人もビジネスチャンスと考えている人もいる。
それが生きている社会の構図なのです。

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豆を水にふくらませて置く春のひと夜  放哉

窓あけた笑ひ顔だ  放哉

久しぶりの太陽の下で働く  放哉

(放哉の句を読むと、何もない日常を読むことも大切なのだと感じますね。技巧的であったり、思いこみの句も面白いですが、あれこれの思い出深い日々の間にある当たり前の日の句も大切なのですね。そんなことを感じます。表現も同じです。)

鶯のとびかう梅もこぼれ咲く  あきオジ

2011-03-26 05:28:08 | 日記
バス停で帰りのバスを待っていたとき写した
遠景です。

里山にも春ですね。
でも、今年はちょっと遅いようです。

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手鼻かむ音さえ梅のさかり哉  芭蕉

紅梅や見ぬ恋つくる玉すだれ  芭蕉

(何か古典的教養を下敷きにした感じがする句ですね。後で解説書を読んでみましょう。でも、解説書を読む楽しみはとうぶん先です。でみるかな?専門家や好事家にまかせたほうがよさそうです。)

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カタクリが身を縮めたる朝になり  あきオジ

2011-03-26 05:10:45 | 日記
カタクリの開花が遅れていますね。

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咲乱す桃の中より初桜  芭蕉

初ざくら折しもけふは能日(よきひ)也  芭蕉

(芭蕉ともなるとこのような雰囲気のある句になるのですね。なるほど。そんな感じですね。少し慣れてくると、こんな感想も言いたがるのですね。)

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俳句を読むようになって1年経ったでしょうか。
芭蕉の句も蕪村の句もわからない(今でもそうですが)ところから始めて
山頭火や放哉の句に広げたのです(今でも、どちらがどちらの句か区別できませんが)。
素人親父が目を向けるとすれば、こんなところでしょうか。

俳句をつくろうなどとは思っていません。
俳句の形式を利用して日記代わりのメモをつけている。
私にはそれで十分です。
これからもそうです。

まあ、そんなことで続けています。
続けていることだけは当面の自慢です。

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停電はときめき赤き椿かな  あきオジ

2011-03-26 04:55:52 | 日記
山水ちちろ茶碗真白く洗い去る  放哉

つくづく淋しい我が影よ動かして見る  放哉

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仙台で暮らしていたころを思い出します。
よく荒浜へバイクで出かけました。
家から20分ほどの距離でした。
広瀬川の土手道を海に向かって走ると河口に到着します。
ひろびろとして気持ちの良い風景です。
空が広い快適なところでした。
河口からは村ごと呑みこまれた荒浜があります。
防潮堤があり松林がありますが、その防潮堤を津波が乗りこえてしまえが
遮るものは何もない平野です
それだけ広い平野でした。
津波が防潮堤を越えてくれば
きっと、田んぼにある高校や郵便局も水浸しでしょう。
高台もなく、逃げる場所もありません。
そんなところでした。

当時、荒浜の海水浴場に入る道にあったコンビニも
小学校も大震災でなくなってしまったのでしょうか。

合掌

思い出も消えてしまったような気持ちです。

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