あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

ああそうだ槿の花には「わかれ歌」  あきオジ

2011-09-01 18:47:52 | 日記
神代植物公園です。
槿のコーナーがあります。
今が盛りです。

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干し傘を畳む一々夕蛙  龍之介

切支丹坂は急なる寒さ哉  龍之介

松風をうつつに聞くよ夏帽子  龍之介

(俳句のプロではない人を探してみようと思います。しばらくは龍之介を取りあげます。)

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このごろは間抜け朝顔となりにける  あきオジ

2011-09-01 18:36:52 | 日記
神代植物公園の朝顔です。

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庵主はお留守の木魚をたたく  山頭火

からだ投げ出してしぐるる山  山頭火

暮れても宿がない百舌鳥が啼く  山頭火

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しみじみ死をおもう、ねがうところはただそれころり往生である。(山頭火日記)

(誰かが山頭火の句より日記が面白いと言ってました。でも、私は俳句が好きです。背景等知りたくないし、調べたくもありません。俳句だけで十分です。でも、せっかく手にいれた本です。しばらく引用を続けます。)

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風天を見つけた書棚の本倒れ  あきオジ

2011-09-01 18:30:05 | 日記
神代植物公園で見つけました。
あるだけで楽しい。

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大きめの手袋した子の息白く  風天

家政婦の残せし手袋水冷えて  風天

股ぐらに蒔き込む布団眠れぬ夜  風天

(渥美清は苦労が身についた人だと思いますが、自分にも周囲にも厳しい人だったのでしょうか。他人に厳しいということもあるでしょうが、周囲に不平をいうようなタイプの人ではなさそうです。きっと、内面は生真面目で、頑固なまでに孤高を守る人だったのでしょうね。)

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俳句とか短歌は鑑賞するものではなく作るものなのですね。

押し寄せる踊り手うれし夏まつり  あきオジ

2011-09-01 05:38:36 | 日記
もう、難しいことを考えたり
思想を背景にした俳句に目を向けるのはやめましょう。
面倒です。

俳句でなく「俳句の形式を借りた写真日記」なのです。

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朝顔の城が咲きつづくわりなし  放哉

陽がふる松葉の中で大きな竹かごをろす  放哉

船乗りと山の温泉に来て雨をきいてる  放哉

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深読みもなく放哉をそこにおく  あきオジ

友達でなけれど懐かし頑固者  あきオジ

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何でも続けて、こだわって、じっとしていれば、期待していたのとは違った何かが生まれる。
漁師夫婦のドキュメンタリーを見ていてしみじみ思いました。
根っこのある生活でなければ、自分を守れないですね。

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ゆくえなど知らぬ舟ゆく隅田川  あきオジ

2011-09-01 05:25:10 | 日記
隅田川を渡る東武鉄道です。
これからしっかり写真にしたいですね。

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ここを墓場とし曼珠沙華燃ゆる  山頭火

春の山ころころ石ころ  山頭火

風は海から吹き抜ける葱坊主  山頭火

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現在の私は、宗教的には仏教の空観を把持し、芸術的には表現主義に立脚していることを書き添えておかなければならない。(山頭火日記)

(ずいぶん、気張ったことも書く人なのですね。俳句で表現できない気位があったのですね。それが良寛とも違った魅力なのですね。)

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風がふく彼岸花の季節なり  あきオジ

2011-09-01 05:16:33 | 日記
浅草寺です。
相変わらず人が多いですね。

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ずいぶん待ってバスと落葉いっしょに  風天

冬の朝ひとり言いって着がえてる  風天

旅芝居土橋を渡り猫柳  風天

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山田洋次が渥美清と次回作の構想を語り合ったとき
山頭火あるいは放哉と旅の途中でであったらどうなるか
そんなことを語り合ったそうです。
それはそれで素敵なことです。

それぞれの人にとっての山頭火があるのですね。

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また一人将棋相手が消えた夏  あきオジ

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