あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

また一人戻らぬ人あり秋深し  あきオジ

2011-09-07 15:33:58 | 日記
昭和記念公園です。
あてのある放浪は旅とは言えないのかもしれません。

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夕立やお地蔵さんもわたしもずぶぬれ  山頭火

蚊帳の中まで夕焼けの一人寝ている  山頭火

夕焼雲のうつくしくなければ人の恋しき  山頭火

(それぞれの年代により言葉の含みが違っていますね。「人の恋しき」などちう表現が山頭火にあるのが意外ですね。)

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身のまわりを整理する、いつ死んでもよいように。  (山頭火・日記)

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あれこれ言うけど、山頭火には「句がある」という自負心があるのです。それさえ、捨てる宗教家とは違いますね。

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コスモスがいわさきちひろに呼び掛ける  あきオジ

2011-09-07 15:19:09 | 日記
昭和記念公園です。
ぼちぼち秋の草が花をもつようになりましたね。

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名月やまづしき町を通りけり  蕪村

天心心貧しき町を通りけり  蕪村

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名月はそれぞれの窓照らしけり  あきオジ

女郎花母子だけで見る窓辺あり  あきオジ

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木漏れ日が送り灯となる彼岸花  あきオジ

2011-09-07 05:45:36 | 日記
昭和記念公園です。
この季節は雲が美しいですね。

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あけぼのや鳥立ち騒ぐ村時雨  龍之介

庭石に残れる苔も小春かな  龍之介

小春日や耳木兎(みみずく)とまる竹の枝

(龍之介の句は正統的な正面からとらえたものが多いような気がします。切り口も視点もどうどうとしており、意外性が少ないですね。どうしてでしょうか。これから馴れていけば何か見えるかもしれません。)

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秋の七草は山上憶良の次の二首を出典とするそうです。
他のサイトの引用です。

秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花(万葉集・巻八 1537)

萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 姫部志(をみなへし) また藤袴 朝貌の花(万葉集・巻八 1538)
「朝貌の花」が何を指すかについては、朝顔、木槿(むくげ)、桔梗、昼顔など諸説あるが、桔梗とする説が最も有力である。

春の七種と違い、秋の七草に直接何かをする行事は特にない。秋の、野の花が咲き乱れる野原を「花野」(はなの)といい、花野を散策して短歌や俳句を詠むことが、古来より行われていた。秋の七草は、それを摘んだり食べたりするものではなく、眺めて楽しむものである。



蜻蛉とまる蓮の台もときをすぎ  あきオジ

2011-09-07 05:26:03 | 日記
昭和記念公園です。

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もう少し何とななりそうな秋深し  あきオジ

ゆったりとそしてたっぷり秋を吸い  あきオジ

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あるけば草の実すわれば草の実  山頭火

待つでも待たぬでもない雑草の月あかり  山頭火

風の枯れ木をひろうてはあるく  山頭火

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山頭火に聖人の姿を求めたり、品性を求めたりするのは、いったいなんなのでしょうか。ときどき、そんなことを思います。
芸術家で有る前に「常識ある大人」を求めるのですね。
人間としての品性に欠ける者は芸術家としての前提が欠けて居るので評価しない。そんな人が多いですね。
それはそれ
でも、美は乱調にあり、逸脱したものは鑑賞者としては失礼な言い方をすれば、楽しいですね。
ですから、新聞に投稿される句の「孫可愛い」「戦争はいやだ」「句のための事件」などが苦手なのです。
ですから、読みません。
当然、俳句雑誌のようなものも読んだことはありません。
まあ、そんなことを言わず、ぼちぼちと・・・・

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擬態語、そして繰り返し
いま一番お気に入りの手法です。

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山門にしゅうめい菊がななめ咲き  あきオジ

2011-09-07 05:17:27 | 日記
昭和記念公園です。
すでに、桔梗、女郎花、白萩、撫子が咲いています。

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白菊の一もと寒し清見寺  蕪村

うき旅や萩の枝末の雨をふむ  蕪村

とかくして一把になりぬおみなえし  蕪村

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憶良歌う暮らしもあれば女郎花  あきオジ

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