あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

じっとみる自分をみてる木槿かな  あきオジ

2011-09-10 18:37:26 | 日記
神代植物公園です。
猛暑ですね。

木槿が盛りなのですが、人気がないのですね。
カメラマンは振り向きもしません。
あの病的ともいえる色合いが好まれないのかもしれません。
私もどうも苦手です。
韓国の国の花だと聞きましたが
どの色なのでしょうかね。

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秋風やあれも昔の美少年  一茶

(それだけ?と思うのは素人だからでしょうか。岩波文庫では、この句には何の解説もありません。機会があったら、調べてみましょう。)

秋風の吹行多太の薬師堂  一茶

白露にまぐれ込だる我家哉  一茶

はつ時雨俳諧流布の世也けり  一茶

(一茶の句は、俳句として上等なのか分かりませんが、世相を切りとっている意味での価値は大きいのではないでしょうか。時代の臭いが感じられていいですね。)

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蕎麦ありと呼び込みうれし深大寺  あきオジ

2011-09-10 18:26:47 | 日記
深大寺参道

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たばこが消えて居る淋しさをなげすてる  放哉

海のあけくれなんにもない部屋  放哉

すでにあかつき仏前に米こぼれあり  放哉

(現代俳人の技巧的な作風も面白いですが技法パターンが見えてくると退屈ですね。その点、放哉の句は読み方いろいろで面白いことありますね。でも、私にとっては削り過ぎて本質さえ痩せてしまっているように思えますが・・・・)

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深大寺森を抜ければ蕎麦屋  あきオジ

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謀略を説明しきり枯葉散る  あきオジ

2011-09-10 07:03:28 | 日記
隅田川です。

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このごろ「いかにして成功するか」というような本が氾濫しています。
このような本は成功者でなければ書けないし
そのような人が書いたものでなければ参考にもならない。
「鬱病」からの回復も同じです。
でも、いずれにしてもバランスが悪いですね。

「どうして成功者になれなかったのか」だけでなく
「成功者になれたはずなのにならなかったのか」というような本

「鬱病から抜けでない理由」といような本を書く人いませんかね。
もっとも、私はそのいずれも読むつもりはありません。

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一日物云わず蝶の影さす  放哉

柘榴が口あけたたわけた恋だ  放哉

雨に降りつめられて暮るる外なし御堂  放哉

病人花活ける程になりし  放哉

(ファンが多いだけの要素がありますね。そんなことを思います。)

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このごろは大根おでんが無性に喰いたい   あきオジ

2011-09-10 06:50:46 | 日記
隅田川から見えるスカイツリーです。

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菊の香や風に切たる履の底  芭蕉

凩に匂ひやつけし帰花  芭蕉

もののふの大根苦きはなし哉  芭蕉

(俳句は時代を表象するのですね。そのような句が残るのですね。)

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俳句は季節を緻密に掬いあげることで形が生まれるのですね。
でも、そんなことを決めつけたら俳句がつまらなく見えてきます。
不可解がいいですね。

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それなりにそれだけでいい秋のみち  あきオジ

2011-09-10 06:35:13 | 日記
隅田川です。

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このごろ、面倒なので5・7・5だけ意識して作っています。
難しく考えることはしません。
気楽で「いいかげんでいいのだ」と思わなければやってられません。
でも、雑文とまぎれないように自分の名前を付記しています。

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よくかかずまあまあ秋風吹けばいい  あきオジ

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麦秋や子を負ながらいは(わ)し売り  一茶

(この句いいですね。このような状況は情緒的でいいですね。日本人はこのような句に弱いのですが、それでいいかなと思います。)

年寄の腰や花花の迷子札  一茶

(これも一茶の個性なのですね。江戸時代の臭いが見えて楽しいですね。)

松の木に馬を縛って角力哉  一茶

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