あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

足元を風が追い抜くわれもこう  あきオジ

2011-09-04 17:38:32 | 日記
スカイツリーの見える景色です。

スカイツリーはもう、成長しませんね。
早く登りたいですね。

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かなしさや釣の糸吹あきの風  蕪村

おもひ出て酢つくる僧よ秋の風  蕪村

(「酢」をつくることに特別の意味があるのか気になりましたが、解説には特段の記事はありませんでした。)

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ため息のでる秋の日は風を追い  あきオジ

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女郎花小兵衛ら暮らすはこの川辺   あきオジ

2011-09-04 17:16:40 | 日記
隅田川です。
「剣客商売」に登場する秋山小兵衛の暮らしたあたりです。

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何とかしたい草の葉のそよげども  山頭火

あるけばきんぽうげすwればきんぽうげ  山頭火

炎天かくすところなく水のながれくる  山頭火

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年寄りの物忘れは恩恵だ、忘れたいのに忘れられないことがどんなに多いことか  (山頭火日記)

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反省とは、忘れないこと。

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でも当たり前の日々の出来事は忘れちゃいけなくても忘れてしまうのです。


稽古事なれど俳句の秋になり  あきオジ

2011-09-04 17:06:52 | 日記
湯島聖堂です。
公式には孔子廟とでもいうのでしょうか。

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われよびて故郷へ行や夜の雁  良寛

紅葉葉の錦の秋や唐衣  良寛

ゆく秋はあはれを誰に語らまし  良寛

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良寛の実はの部分は、もうここまで持ち上げる組織ができあがってしまうと、見たくとも見えないでしょうね。それはこのましいことではないのですが、日本人好みなのですね。

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落語ながれ昼寝もしたし秋の午後  あきオジ

濁流を感じる電車の震えかな  あきオジ

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言いわけをそのままおきて月を見る   あきオジ

2011-09-04 05:50:48 | 日記
神代植物公園です。
ただ、俳句だけ作る。
短歌もついでに作ってみる。
それだけで楽しめる老後もいいような気がします。

でも、強欲でわがままな私にはそんな老境には入れません。

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退屈があるから生きる女郎花  あきオジ

比喩などをぶち壊しゆく冒険家  あきオジ

(先日、冒険家がブックレビューに登場しました。眼力の強い若者でした。この一途な眼つきはいいですね。言葉も装飾がすくないのに力がありました。この人の本を読もうと思います。)

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松はみな枝垂れて南無観世音  山頭火

(山頭火の俳句を取りあげた評論集等でも、この句が冒頭に置かれます。句集「草木塔」の配列がそうなっているからでしょう。でも、繰り返し出会うと、懐かしさを感じますね。仏教的な意味合いを考えることなく読んでも美しいですね。)

松風に明け暮れの鐘撞いて  山頭火

落ちかかる月を観てゐるに一人  山頭火

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「一人」と「独り」そして「ひとり」同じようで同じではない。きっと山頭火にしても放哉にしてもこだわったのでしょうね。

何もかも流してしまう野わきかな  あきオジ

2011-09-04 05:39:55 | 日記
台風の余波が続いていますね。


濁流となりて止まるをしらぬ秋の雨  あきオジ

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此道や行人なしに秋の暮  芭蕉

松風や軒をめぐって秋暮れぬ  芭蕉

萩原や一よはやどせ山のいぬ  芭蕉

(失礼な言い方ですが、読む回数を増やすと芭蕉は馴染んできますね。洗練されているし文字の配列が美しいし、絵がらのバランスもいいですね。「さすがの芭蕉」ですね。本当は裏側がみえない芭蕉だけでは物足りないのですが、それで押し通した芭蕉だと思えばよいのでしょう。)

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どろどろした魑魅魍魎の世界や不条理を扱った俳句世界に出会いたいですね。

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女郎花咲けど言葉も見つからず  あきオジ

2011-09-04 05:31:16 | 日記
神代植物公園の女郎花です。

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九月は忙しくなりそうです。
そこそこ、ぼちぼち
それがあきオジスタイルです。

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時雨きてかっこうの声遠く  風天

いく春や誰か名前呼ぶように  風天

閉ざされし茶亭すだれのほつれかな  風天

枝豆の皮だけつまむ太い指  風天

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どのような俳人の句でも、いくつも読んでいると味がにじみ出て来るものです。
そんな気がします。
俳句はそんな特質をもった文芸ですね。
だから、いっぱい読む必要があるような気がします。

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