あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

御無沙汰の言いわけ笑う盆休み  あきオジ

2011-09-08 20:46:16 | 日記
昭和記念公園です。

葉鶏頭遅速もなくて日和哉  蛇笏

行く雲や霰ふりやむ寺林  蛇笏

秋虹をしばらく仰ぐ草刈女  蛇笏

(蛇笏の句です。これらの句、お気に入りでもなければ選んだわけでもありません。ただ、語調というか言葉が平明で、読みやすい。それだけの理由です。でも、それだけの理由でも見つかればよいのです。それだけに才能がある俳人が登場すれば新しい時代が開く可能性があるような気がします。それまでは待てませんね。でも、それでいいのかもしれません。)

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ひとごとと思わぬ撫子散り始め  あきオジ

2011-09-08 20:35:24 | 日記
昭和記念公園のです。

どうしても、俳句のように淡々としては描写の中に意味を与えようとする。
それって、現代的でない。
意味など意味がない言葉のぶつけ合いから生まれるのだ。
そんなわけのわからないことを思っています。

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いざともに穂麦喰はん草枕  芭蕉

田一枚植て立去る柳かな  芭蕉

(この句、有名なのに気分が楽しめませんでしたが、最近、「なかなか・・・」という読み方に変わってきました。句が変わってきたのではなく、自分の読み方が変わってきたのですね。当たり前のことなのですが、大きな発見です。この句はいいです。)

風流の初やおくの田植うた  芭蕉

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田植えなど知らぬ子等の茶摘唄  あきオジ

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干し柿を藁からはずす香りかな  あきオジ

2011-09-08 20:25:54 | 日記
昭和記念公園です。

つり鐘の中からわんと出る蚊哉  一茶

山の町どつとどつと露の流れけり  一茶

花ふぶき泥わらんじで通りけり  一茶

(このごろ、何となく見当がつく句が増えてきました。それまでは意味不明、内容難解、伏線故事理解できず、そんなことばかりでした。今も変わりませんが、自分でもわかるぞ、そんな思いで読める句も出てきました。馴れることが大切なのですね。)

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このブログ
かなりいいかげんな覚悟で管理しています。
訪問してくださる方に申し訳ないと思っています。
続けていることだけが意味を生み出すのだ
そんな信念なのです。

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年とらぬ我が子不憫と嘆く母  あきオジ

2011-09-08 05:40:29 | 日記
昭和記念公園です。
秋風が爽快ですね。
でもだんだん、苦手な冬が来ますね。

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据え風呂に頸すじさする夜寒かな  龍之介

お神輿の渡るを見るや爪立ちて  龍之介

峰の雪を胸つき坂の上にみる  龍之介

(俳句的な視点で堂々とした句にしたてている。きっと、俳句評論家はそんなことを言いそうですね。「だから、それなり」という感想もあります。もっと、深くまで読めるようにしたいですね。)

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吾亦紅四方照らし燃え尽きる  あきオジ

2011-09-08 05:29:42 | 日記
昭和記念公園のボートです。

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ただひとり風の音聞く大晦日  風天

陽炎の向うバスのゆれてゆき  風天

豆ふ屋の奥ぼんやりと雛くらく  風天

(風天の句の中で、真面目でしっとりした気分があって、好きな句です。でも正統的ですね。風天(渥美清)は根がきまじめだったのですね。

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流れゆく風書き残す秋桜  あきオジ

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凛として撫子の花空見上げ  あきオジ

2011-09-08 05:18:21 | 日記
昭和記念公園です。

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まったく雲がない笠をぬぎ  山頭火

酔うてこほろぎと寝ていたよ  山頭火

見すぼらしい影とおもふに木の葉ふる  山頭火

(影は着ているものの色合いが見えませんから見すぼらしいかどうか分からないですね。俳句的世界の新しい発見でした。)

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畑を作る楽しみは句を作るよろこびに似ている。それは、産む、育てる、よりよい方への精進である。 (山頭火・日記)

(日記があるから山頭火理解が深まるとということでしょうが、日記を読むことで、計算ずくの山頭火という一面も見えてきますね。知らないで妄想しているときが楽しいのかもしれませんね。また、新しい楽しさを山頭火の中に見つけましょう。)

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山頭火を読み続けること、老後の生活の一部になってしまいそうです。