あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

深大寺実りのうけて池に垂れ  あきオジ

2011-09-15 21:22:46 | 日記
深大寺の池です。

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法衣こんあにやぶれて草の実  山頭火

こんなにうまい水があふれてゐる  山頭火

(アップする時、ただアップしているだけで特別の感動もないときがけっこうあるのです。不思議ですね。ときには、同じ句が輝いて見えるのですから。)

年とれば故郷こいしいつくつくぼうし  山頭火

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分からないことはそのまま秋の草  あきオジ

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槿咲く黒塀続く城下町  あきオジ

2011-09-15 21:08:01 | 日記
神代植物公園です。

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木槿一日うなづいて居て暮れた  放哉

お遍路木槿の花をほめる杖つく  放哉

雨の舟岸により来る  放哉

冬木の窓があちこちあいてる  放哉

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テレビで「西大寺。はだか祭」を放映していたので見ていました。
宝木を奪いあう。
たわいないといえばそれまでのイベントですが
その気になっている人には命がけのことですね。
こんなことに夢中になる人っていいですね。

私は仲間に入りたい一人です。

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南瓜さえ居場所を見出し微動なし  あきオジ

2011-09-15 06:51:49 | 日記
神代植物公園に展示されているお化け南瓜です。

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花むくげはだか童(わらは)のかざし哉  芭蕉

(「かざす」とは、頭にかざりを挿すこと)

(この当たり前をそのまま表現したような句が好きです。よくある風景なのに切り取ると新鮮に感じることっていいですね。)

道のべの木槿は馬にくはれけり  芭蕉

(俳人にとっては大切な素材であっても、馬には単なる餌。それが自然の流れなのですね。それが面白い。人は自分に惹きよせて過剰なまでの思いを表現したがるものなのですね。)

何ごともまねき果たるすすき哉  芭蕉

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深く読めばいろいろ。今はそれまで読めない。でも時間がかけてくりかえしているうちに何かが見えて来るはずです。

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いつまでも待つことがない夕陽かな   あきオジ

2011-09-15 06:37:47 | 日記
神代植物公園です。

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このごろ、放哉や山頭火にしても二度三度取りあげることが多くなりました。
どうやら、出会いの挨拶が終わりかけたかなと思うこともありますね。
会話するのはこれからですね。
楽しみです。

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分け入つても分けいつても青い山  山頭火

(もっとも愛される句ですね。この一句で歴史に残るのでしょう。風景の日本的な湿めり気、宗教的な雰囲気、あれこれ限りなく広がりを与えてくれますね。そんな気がします。素人がそんな感想をもってはいけないのでしょうが、勝手にそう思っています。)

歩きつづける彼岸花咲きつづける  山頭火

どうしようもないわがしが歩いてゐる  山頭火

(この句が大のお気に入りです。自分があるいているような、歩いている自分を見ている自分がいるほうな、それ以外の何かが歩かせている。ストレートでありながら、考えれば「なにこれ」という句ですね。でも、そんなことはどうでもよくて、「捨てても捨てきれない」ものをひきづっている。それを句にしたところが凄いですね。口にする機会が一番多い句です。)

けさもよい日の星一つ  山頭火

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最近、芭蕉、蕪村、山頭火、放哉で間に合ってしまっているような気がします。なかなか、広がっていきません。

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それなりにありのまま咲く萩の花  あきオジ 

2011-09-15 06:29:59 | 日記
神代植物公園です。
今は萩が咲いています。

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木槿一日うなづいて居て暮れた  放哉

お遍路木槿の花をほめる杖つく  放哉

淋しきままに熱さめて居り  放哉

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放哉が見ていた花を自分も見ている。その不思議な感情がいいですね。同じであって同じでない。そうなのですが、そう思いこみたいのです。

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今週は今日で仕事はおしまい。
歯医者に寄れば、すべて終わります。
終わって、何も残らない。
それが最近の素敵な気分ですね。