あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

願いなどありはしない梅が咲く  あきオジ

2012-03-10 05:46:12 | 日記
浅草寺です。
ここにもあれこれの人生を引きづって生きている人が集まっている。
何となく感動します。
そして、講堂での度胸も
華麗で壮麗であるだけに
「ありがたい」ものに感じますね。

でも、それはいったいなのでしょうか。
あるものはそれなりの意味がある。
そう思っています。
それでいいのです。

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ぬす人も妹とぬる夜やなく乳鳥  夏目成美

(洒落た意味深の句ですね。時代劇の殺され役にも生活があるだろう。妻子もいるだろうと思いながら見ている私には気になる句です。)

貝むきが手もとまぎるる落葉かな  夏目成美

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博打打ちあれこれ算段妻の春  あきオジ

あれこれもどうにもならない福寿草

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今日は昭和記念公園に出かけ
昼食は「天や」の海老天丼にして
帰りに泳ぎましょうか。
それだけで十分です。

いや、これでも多いと思います。

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2012-03-10 05:30:56 | 日記
浅草の店です。
高級感がなく、下町を安直に売りにしている。
それが嫌いな人もいるでしょうが
それがいいと言いだす人もいるのでしょうね。

それぞれがそれぞれの楽しみですね。
他人の作ったものを鑑賞すると作るのは呼吸のようなものなのでしょうか。
素人にはあれこれ講釈することはないと思いますが
鑑賞するのも「まあ、いいか」
でも、何でもいいから生み出す
その両方がないと面白くはない。
そんな気がするのです。

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気まじめな友の訃報も梅の頃  あきオジ

あの人もこの人もなくなり春がくる  あきオジ

春雨や転ばぬようによろけぬように  あきオジ

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うららかな鐘を撞かふよ  山頭火

春の雪ふる女はまことうつくしい  山頭火

けふはおわかれの糸瓜ぶらり  山頭火

(どうでもいいことなのですが、放哉に共感するときは山頭火は「まあ、そんなものかな」と思うし、突き放した表現の放哉にぶつかると、山頭火の方が暖かいと思ったりするのですね。不思議ですね。)

星めぐり縁なき日々も終わるころ  あきオジ

2012-03-10 05:08:18 | 日記
浅草の風景です。
今日は晴れれば昭和記念公園に出かけたいですね。

もう、梅が見ごろになっています。
歩きまわるのは楽しいことです。

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「うるさい」と怒鳴りし冬も遠くなり  あきオジ

「まあいいか」つぶやく春はやわらかに  あきオジ

どうしてもそれもなくて春電車  あきオジ

何となく春はひたすら散歩する  あきオジ

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月花や四十九年のむだ歩き  一茶

(このような句に出会えなかったら、一茶は厭味な俳人で片づけていたかも知れません。そんなことを思います。俳句の世界での評価や位置づけなど、さほど重要ではなく、「自分が刺激され」「触発されたら」それが自分にとっての大切な句なのです。

亡き母や海見る度に見る度に  一茶

(この句も過剰ではありますが、スレートでいいですね。お気に入りです。自分の気持ちに重なる珍しい一句です。)

淋しさに飯をくふ也秋の風  一茶

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