カタクリの里の春の花です。
・・・・・・
ためらいもなく天丼を食い続け あきオジ
読経する僧が脱ぎたる草鞋かな あきオジ
喜捨をして感謝わすれぬ春の僧 あきオジ
・・・・・・
春雨や小磯の小貝ぬるるほど 蕪村
はるさめや暮れなんとしてけふも有り 蕪村
静かさに堪えて水澄むたにしかな 蕪村
(蕪村の格調高く、絵がらが美しい句は素敵ではありますが、ときには、距離があり過ぎて寄りつくことが難しく感じることがあります。そんなことの方が多いかもしえません。)
・・・・・・
俳句(もどき)を作るのは、日記代わりのような気がしますが、読みかえすかというと滅多にありません。ほとんどないと言ってもいいかもしれません。自分の体から排泄されるのと同じなのかもしれません。自分を通り抜けていく様々なことを言葉にろ過して捨て去る。そんなことに近いのかもしれません。最近、そんなことを思います。少しずつ何かが変わっているのですね。
続けると、きずかないうちに脱皮している。
そんな感じ方が嬉しいですね。
研究するともりもなく
「道」を意識することもなく
芸事でもなく
ましてや芸術でもなく
競い合うわけでもなく
批評し合うことも求めない。
ただ、作って終わる。
それがいいな。
最近は、そんな作り方です。
やっと、出発点に立てたかな?
・・・・・・
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ためらいもなく天丼を食い続け あきオジ
読経する僧が脱ぎたる草鞋かな あきオジ
喜捨をして感謝わすれぬ春の僧 あきオジ
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春雨や小磯の小貝ぬるるほど 蕪村
はるさめや暮れなんとしてけふも有り 蕪村
静かさに堪えて水澄むたにしかな 蕪村
(蕪村の格調高く、絵がらが美しい句は素敵ではありますが、ときには、距離があり過ぎて寄りつくことが難しく感じることがあります。そんなことの方が多いかもしえません。)
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俳句(もどき)を作るのは、日記代わりのような気がしますが、読みかえすかというと滅多にありません。ほとんどないと言ってもいいかもしれません。自分の体から排泄されるのと同じなのかもしれません。自分を通り抜けていく様々なことを言葉にろ過して捨て去る。そんなことに近いのかもしれません。最近、そんなことを思います。少しずつ何かが変わっているのですね。
続けると、きずかないうちに脱皮している。
そんな感じ方が嬉しいですね。
研究するともりもなく
「道」を意識することもなく
芸事でもなく
ましてや芸術でもなく
競い合うわけでもなく
批評し合うことも求めない。
ただ、作って終わる。
それがいいな。
最近は、そんな作り方です。
やっと、出発点に立てたかな?
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