あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

野ざらしを心に風のしむ身哉   芭蕉

2009-08-21 05:30:10 | 日記
ブリューゲル

ロダンとともに好きな彫刻
芸術論や
歴史的価値よりも
好みです。

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今日の芭蕉

野ざらしを心に風のしむ身哉  

行き倒れになり髑髏になってもと覚悟をきめて旅に出かけると、ひとしお秋風が身にしみることだの意。 

いつか、取り上げたのですが、今日はページをめくって
「これこれ、これかの時期はこれだ」という感じ。
素人オジさんの目にとまるのだから、きっと、世間での評価も高い句なのだろう。
そう思う。

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今日の斎藤茂吉

浅草の観音力もほろびぬと西方の人はおもひたるべし

昭和23年の作です。この時期、山形に戻っていますね。茂吉にとって、精神的にも支離滅裂の季節だったのでしょう。戦争体験があり、敗戦を自分の中でどのように説明するか、どうにもならない、そんなうっ屈した時代の歌なのでしょう。でも、この歌を読むと、経済的繁栄以外にはちっとも戦後は終わっていない。積み残してきた。そんな気がしますね。

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今日の放哉

海が明け居り窓一つ開かれたる

この「しみじみ」とした時間のながれと静けさがいいですね。
このときとして、このような「どきっ」とする切り口の句に出会えるから
放哉も素敵ですね。

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朝の風

昨晩はメールが二通きた。
その返事を送った。
それだけのことなのに
時間がかかるし
疲れた。
でも、楽しかった。

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われもこう風吹く丘に背を向けて   あきオジ

2009-08-20 19:51:32 | 日記
神代植物園の「われももう」

何か意味がありそうな。
物語がありそうな、そんな花ですね。


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今日の方代さん

亡き母よ侮る勿れ野毛市の夜のとどろきに歌一つなす

気力が充実していた時代の歌ですね。言葉も気配も若いし新鮮ですね。

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今日の放哉

師走の夜のつめたい寝床が一つあるきり

放哉らしい「偽悪趣味」という列の中にある「偽孤独趣味」に近いのではないでしょうか。ことさら言わなくても。それを意図的に句にする。
それもあるか!

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ふとん積みあげて朝を掃き出す   放哉

2009-08-19 06:47:40 | 日記
神代植物園の薔薇

花には、その季節があります。
神代植物園のバラもその季節がありますね。
もっとも輝く時は、いっとき、その季節はさっていくのですね。
人の命も同じ。
自分は人生の後半戦
でも終局がいつか自分で設計することができない。

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朝の風

昨日はテレビをだらだら見ていたら今朝、起きられませんでした。
ぼーとしており、絶不調
神様は働ける時間を等しくお与えになりました。
夜更かしすると朝寝坊も当たり前

電車に乗れば何かが見える。目線を変えるだけで十分だ。

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今日の若山牧水

冬寂びし愛鷹(あしたか)山のうえに聳え雪ゆたかなる富士の高山

この歌は沼津市に住んでいたことがある人には「わかる」と共感するのではないでしょうか。私はきっと、ここから見た富士山だろうなと見当がつきます。この位置関係は千本松原あたりか、香貫山あたりです。沼津市内からは、場所によっては富士山は見えないのです。愛鷹山の上に聳える富士山となると、特定されるのですね。そんなことどうでもいいけど、気になるのです。でも、沼津に澄んだ気とがない人には、ちょっと感動が薄い。そんなことってありますね。「うん、見たことがある」「行ったことがある」そんなことが興味のもちかたっていうことありますね。富士山を眺めるスポットって、いろいろあるのですね。

そういえば、歌碑、句碑マニアもいそうですね。
どこにも、熱中人はいますね。

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秋立ちぬそれぞれの富士見える朝 あきオジ

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今日の山頭火

やっぱり一人がよろしい雑草

やっぱり一人はさみしい雑草

セットにして楽しんでいます。
俳句って、このような連にして作る人もいいじゃありませんか。
山頭火の柔らかさと形式がかみ合った句ですね。

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今日の一茶

秋の雨小さき角力通りけり

一茶らしい弱者に対する目線がいいですね。反対がわを表現する技法が面白いですね。一茶の意外性のある目線や表現法は楽しいですね。素人の私には芭蕉のときとして、「うんうん」と分かった顔をして、頷かなければならない作風よりも魅力がありますね。そうでもありませんか。

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今日の方代さん

かぎりなき雨の中なる一本の雨すら土を輝きて打つ

現在の若い女性歌人を想起するような柔らかい感性がいいですね。ぐしゃぐしゃ頭で黒ぶち眼鏡の姿を思い出せませんね。誰にも若い時があり、若い感性があり、体も変化し、感性も屈折したり、磨かれたりする。方代さん。こんな歌を含めて、好きになっていきます。きらきらした季節のまぶしさがいいですね。

ホームレス歌人の公田耕一さんも地元の歌人に関心をもっているようですね。

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夕べの風

どんなことでも説明がつく。
説明がついたからと言って
それが正しいことになるとは限らない。
でも、人はけっこう自分が信じている。
政治家を見れば、それが分かる。

でも、困るのは「○○が言っていた」
から、正しいと言いだす人
そんな人がいちばん困る。

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杏仁豆腐が好きだと口にする秋深し  あきオジ




ころり寝ころべば青空  山頭火

2009-08-18 05:40:03 | 日記
神代植物園の蓮

昨日もアップしましたが
同じものではありません。
それにしても蓮は終わりましたね。
来年までのお別れです。
蓮は来年も咲くでしょうが
私は元気でいられるでしょうか。
永遠であるようなことすら
何一つ確かなものはないのですね。

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今日の山頭火

ころり寝ころべば青空  

無一物。何と自由で気楽な身だろう。何もいらない。疲れたら、ただある身を野に横たえて、空を仰ぐ。放浪の一日にとって、心から憩いの時である。視野に葉青い空。ひろがる空。限りない青。そこを流れる雲。放浪の身であればこそ、味わえる充実感が、ここにはある。むずかしく考えることは、もうやめよう。放下してしまえば、人生の重い荷物は、何ともなくなる。旅は、そんな心をいざなう。

俳句と日記を重ねると別の世界が生まれるような気がしますね。いいですね。宗教者のような雰囲気さえ感じます。西行、一遍、一茶、自分が好きな歌人はみな旅人だった。偶然ではなく、そのような形を人生に求める人が好きなのです。山頭火は句集ではなく、日記と重ねる。随筆と重ねる。それがいい。その路線で楽しんでいきましょう。

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若山牧水

霜解くるひなたの路次をほがらかに呼びつつ来る鮒を買はうよ

若山牧水は44歳でなくなっています。子規も若死でしたが、それなりの作品を生みだし、充分な量の作品を残しています。
この句の「ほがらかに」という言葉がいいですね。私は、大好きな言葉です。短歌の中で使用されるケースをあまり知らないのですが、いいですね。同様のような言葉の広がりになると「鮒を買ふ」という言葉につながると、物語は温かいですね。

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今日の蕪村

秋たつや何におどろく陰陽師

芭蕉と蕪村に出て来る「前提教養がないと理解できない」句は
困りますね。当時も、今の時代も知識人だけが楽しめる。
そんな気配があります。
でも、あれこれあるけど、そのうちどこかでひっかって見えてくる。
その日のために、「こんな句があった」という記憶だけ残しましょう。
「陰陽師」が過去のものではなく、江戸時代にも存在したのが不思議ですね。しかし、言葉として物語空間が広がって面白いですね。

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「仕事ある」嬉しさ誘う蓮が咲きました  あきオジ

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秋の暮辻の地蔵に油さす  蕪村

2009-08-17 15:29:13 | 日記

神代植物園の蓮

蓮のタネです。
蓮は葉も美しい
台も独特のデザインを思わせますね。

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今日の蕪村

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秋の暮辻の地蔵に油さす  

秋のたそがれ時、だれかが地蔵さまに灯明を上げようとして油をさしている。淋しい中にもなつかしい人のふるまいである。

そんな解説が秋風を感じます。
街を歩いていてもなんとなく秋を感じる風が吹いています。
それと同じ時期だと思うと懐かしい。これもいい雰囲気や物語を感じる句ですね。
好きです。
すぐに覚えました。
立派すぎる句ですから芭蕉と間違わないようにしましょう。

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今日の方代さん

今日はもう十一月の二十日なり桐の梢空に桐の実が鳴る

方代さんの作品は、若いころの作品はスマートで形がしっかりできており、それなりの権威ある結社の傾向を踏まえているのでしょうか、いい作品ですが、響いてくるものは若いですね。でも爽快で素敵な響きがありますし、選ばれた言葉も美しいですね。技巧的な作品の代表作ですね。

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斎藤茂吉

残年はあるか無きかの如くにて二階に登る真昼間も寝ぬ

昭和23年の作品。戦争当時の自分の行動が批判された時期なのでしょう。痛ましい姿を熱を込めて描いている。この不条理な姿は芸術家のものなのですね。それはそれで芸術家の姿なのですね。

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一遍さん

こころをば西にかけひのながれゆく水の上なるあはれ世の中

このような歌をどのような状況で作ったか分かりませんが、一遍さんの作品には観念的なイメージより、現実的な皮膚感覚に訴えるものがありますね。

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今日の山頭火

山のいちにち蟻もあるいてゐる

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夕べの風

評論することは暇つぶし
知識自慢
切り口の良さを誇る。

内容などどうでもいいのですね。

今日はゆっくり寝ましょう。



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二またに細るあはれや秋の水   蕪村

2009-08-16 05:30:31 | 日記
神代植物園の蓮

この色具合がいいですね。
でも、近所で写真を撮っている人が
「お仏壇の花ね」という。
蓮はそのつもりはないのにね。
やはり美しさの下にある
薄汚い泥の中から伸びあがり
咲く
その物語に惹かれるのですね。
記憶は確かではないのですが
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に登場する池にも
蓮が咲いていたような・・・・

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蓮終り盆帰りの子らも帰途につき  あきオジ

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朝日歌壇

マクドナルドの無料コーヒーを飲みながら方代さんの伝記読み継ぐ

                    公田耕一
田澤拓也の「無用の達人 山崎方代」か。
そんな解説がありましたが、方代さんは鎌倉の人、きっと地元出身の歌人として興味をもったのでしょう。私も憚りながら、ファンなのですね。

朝顔もラジオ体操も「白熊」もみーんな懐かしい祖国の夏休み

                     郷 隼人 

公田さんと郷さんがセットにならないと朝日歌壇も盛り上がりませんね。ホームレスとアメリカで収監されている日本人。ため息が出るような時間の長さを感じますね。

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今日の山崎方代

手の内にあたたまりたる石ころは風雨にたえて来る石なり

優しくて、淋しくて、外観に似ず繊細で背筋が伸びている。
それが方代さん。
元々は山梨の人。
その土地がその人を育てる。
そんなことなのですね。

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今日の蕪村

二またに細るあはれや秋の水   

春は伏流水などが表に現れ
水量も多いのですが
夏が過ぎ水量が少なくなり
秋になるとさらに枯れてくる。
その水がさらに二股に分かれると、
迫力が薄くなる。
そんな当たり前のことを取り上げられると
自然とは摂理に基づいて動いているようでいて
その一つ一つはまったく違っているのだ。
そんなことを再発見させてくれますね。

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今日の放哉

わが顔ぶらさげてあやまりにゆく  放哉

どのような状況か分かりませんが、「そうするしかない」という
諦めと覚悟が見えるようで面白いですね。
何か、人生そのものを含めて反省させられるような
不思議な句ですね。

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今日の牧水

古寺の木立のなかの離れ家に棲みて夜ごとに君を待ちにき

歌人の中でも突出した歌人は、精神的にも肉体的にもタフですね。
牧水の歌も汗の匂いすら感じる。
繊細すぎたり、観念的な言葉を組み合わせた現代短歌にない
青春の匂いを感じますね。

牧水は晩年、沼津で暮らしました。
下香貫、市道で暮らしたとか
井上靖と重なるかもしれませんね。

そして、戦後、間もないころ
「幾山河超えさえ行かば寂しさの終なん国ぞ今日も旅ゆく」
の石碑が建立されました。
しかし、この歌は牧水23歳のときのうた。
そんなものかもしれませんね。

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朝の風

テレビを見なければ政治のことは気にならない。
野球のことも朝日新聞を読まなければ気にならない。
噂の中に入らなければ
「品定め」が気にならない。

静かなところで
騒音に煩わされることなく
そんなことを考えただけで
寒山拾得だ。

青い空を眺め
風に包まれる。
あり得ない暮らしは本当はあるのだ。

最近、そんなことばかり思います。

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朝の風

日曜日は「こころの時代」(最近は、全く新鮮さもなく、番組を変えた方がいいくらいにつまらない。)「日めくり万葉集」(一週間まとめたもの)を見て、目覚めます。

夕がた「鬼平犯科帳」と「剣客商売」「日曜美術館」「N響アワー」が終わって寝る時間です。面白くもへったくれもありませんね。こんなことでいいのだろうか?そんな難しいこと考えたこともありません。


神代植物園はただただ猛暑

2009-08-15 18:31:13 | 日記
神代植物園に出かけました。
猛暑
ぎとぎと
首筋が痛い

夏!

それでいいのだ。

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今日の一茶

大根引き大根で道を教へきり

この句にも解説がありました。
これを俳句というか川柳というか
そんなことはどうでもいいじゃありませんか。
口に出る。
それが名句。

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今日の子規

のどかさや千住曲がれば野が見ゆる

江戸の境は千住
今の景色でいえば、浅草の東武駅を出発して
墨田川を渡り、江戸川を越えたあたりは
もうすでに江戸を越えている。
何もない。確かにそうだったろうけれど
今はただただ民家が密集している。
「剣客商売」でも、そのように描いている。
でも、ここに出てくる千住だという保証はない。

そんな厳密さなど必要だろうか。
名句中の名句だったら必要だろうけれど
そんなことどうでもいいじゃありませんか。

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今日の放哉

傘干して傘のかげある一日

どこかで取り上げたような気がします。
技巧的ですがいいですね。
この句を発見して
印象派の絵画を思い出しました。
理由など分かりませんが
色彩
そして、光と影が思い浮かびますね。
人間の連想法って面白い。
それだけです。



込み合っているのでしょうかパソコンは焦れている。

2009-08-15 07:10:07 | 日記
更新しようとしても反応が悪い。
お盆はそんな状態を生むのでしょうか。

とりあげず、今日は午後から更新します。

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あれこれありましたが更新できるようになりました。
ある海外の製品を使っていましたが
今回は日本のメーカーの製品にしましたが
いまのところ海外の製品の方が操作性がすぐれている感じがします。

それより「水彩」「ホームページビルダー」が使えないので
不自由しています。
新しいバージョンのものを手に入れたいけれど・・・・

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朝の風

何もないって素敵なことなのだ。
ただ、何もない。
細かく言えばあれこれあるかもしれないけれど
全体としては何もない。

それってすごいことではありませんか?

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なぜか気分はアビーロード

2009-08-14 07:09:56 | 日記
雨の横浜桜木町駅前

歌でも流れそうな気分
雨もいいですね。

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今日の芭蕉

朝露によごれて涼し瓜の泥 

涼しげな景色は気持ちがいいですね。
時代の景色のようにも思えます。
芭蕉だって、このような句を作る。
そう思うと嬉しくなります。

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今日の蕪村

わするなよほどは雲助はととぎす

雲助でもふんだんに聞けるということをお忘れなく。そんな解説がついていましたが、北海道の人は、広大な風景は当たり前、漁港に暮らせば、新鮮な魚は食べるのは当たり前。そんな状況。当たり前がよそでは当たり前にならない。
さりげない表現がいいですね。

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猛暑なりへそ出し歩く麦帽子  あきオジ

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朝の風

今日は仕事の日
帰りは猛暑
でも、土日も
休み。

何もない日は小津映画。
「男はつらいよ」も中盤戦に入った。
13本観ました。

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ロダン

ロダンとカミーユとの関係を取り上げたドキュメンタリー番組をしました。
ロダンとローズの関係、そしてカミーユとの三角関係。
その関係と作品について説明を加えていました。
以前、観た番組の再放送でした。

ロダンの肖像写真とか葬儀の様子を写したフィルムが紹介されていましたが
いかにも巨匠、その評価を受け入れているようなある種傲慢な姿です。
あまり、好感が持てませんでした。

先日、上京したさい、西洋美術館に立ち寄りました。
そこには「カレーの市民」と「地獄の門」そして「考える人」が展示されていました。考える人の量感とブリューゲルの緊張が印象に残っています。
でも、私はロダンの作る彫刻にさほど魅力を感じません。
ミケランジェロがいれば、それで十分なのです。

久しぶりにロダンを取り上げた番組なので興味深く観ました。

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夕べの風

「チャイコフスキーが音楽史上に存在しなくても、困りはしない」と言い切った評論家がいました。そういうあなたがいなくても誰も気にしない。
その時代、権威あるとされる評論家が歴史上、評価が変わらないことなどない。

一番売れた曲がその時代の名曲なのです。
その名曲も時代が評価を変質するのですね。


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花火せよ淀の御茶屋の夕月夜  蕪村

2009-08-13 05:19:25 | 日記

上野高架通路

何もかも、少しずつどこかが変わっている。
とどまるものなど何一つないのですね。

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今日の蕪村

花火せよ淀の御茶屋の夕月夜 

夕月夜の下にくろぐろとただずんでいる淀の茶屋の風景はわびしすぎる。華やかな淀君にふさわしい花火をうつえげたいものだ。

そんな解説(日本古典文学大系)がありました。
この句は、物語があるし、許容的でもあり、内容が膨らんでいていいですね。芭蕉でも蕪村でもいい。ちょっと、淋しげな懐古趣味。

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今日の一茶

おれが姿にいふ

ひいき目に見てさえ寒いそぶりかな

でこぼこ頭の自画像と共に親しまれている句である。

そんな解説がありますが
ちょっと小声でつぶやくと意外な効果があります。
自虐的というか、自分を笑いものにする
そんな技法も一茶にはありますね。
それがいいねすね。

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今日の放哉

日まわりこちら向く夕べの机となれり  

「机となれり」とはどのようなイメージでしょうか。
単なる視覚的なものなのでしょうか。
向日葵が登場している風景なので取り上げてみました。

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向日葵が疲れて眠る日暮れ哉  あきオジ

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