あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

花火みて感動残る老後かな   あきオジ

2010-08-28 21:09:17 | 日記
東京スカイツリー
ここまで成長しました。
三分の二にらいまで育ったのでしょうかね。

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ころり寝ころべば青空  山頭火

枯れすすき枯れつくしたる雪降のふりつもる 山頭火

青葉の奥へなお径があつて墓  山頭火

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家族葬しずかに広まる鰯雲

2010-08-28 06:28:11 | 日記
宗教色のない霊園に埋葬するケースが増えてきましたね。
時代は流れているのですね。

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門をしめる大きな音さしてお寺が寝る  放哉

たくさんの児等を叱って大根漬けて居る  放哉

黒い帯しつかりしめて寒い夜居る  放哉

(自由律といっても、繰り返し放哉の句を読んでいると、いつか放哉律とも言うべきリズムを感じるようになりますね。575の句の調べが古典的な時代の流れだとすれば、新しい時代の表現としてのリズムがあるかもしれませんね。今のラップ音楽などの饒舌な表現も時代を表しているのかもしれません。ちょっと、面白そうです。)

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今日は帽子をかぶって写真撮りに出かけます。
それだけで、ちょっと心弾むます。

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一人ずつ知人も消えて夏終わる  あきオジ

2010-08-28 05:54:21 | 日記
同窓会の通知を送っても
届かないことがあります。
去年まで届いたのに・・・

病気で動けない人もいます。
去年出席した人が脳卒中で倒れたので
出席できませんという返事もありました。

ひとりづつ当たり前のように亡くなっていきます。
人づてに話を聞いても
淡々と受け入れるようになりました。

人の気持ちはその時期になると
そのような覚悟をするようになるのですね。

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涼風や力一ぱきりぎりぎりす  一茶

最(も)う一度せめて目を明け雑煮膳  一茶

汁の実の足しに咲けりきくの花  一茶

(一茶は生涯2万句以上の句作をしたそうです。とにかく句作を生活にし、生涯続けたのですね。人柄などはそれぞれあるのでしょうが、一途に句を求めたのは日本人ですね。ちょっと勇気をもらいました。)

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「イ・サン」を見ていますが
韓国の歴史はよく分かりませんが
ドラマでは宮廷では陰謀、野望、裏切りなどで溢れており、
対立構造を準備してのサクセスストーリーが
人気なのですね。
そんな内容が視聴者の人気なのですね。
それにしては、陰謀も方法も稚拙ですぎますね。
今は、どうなのでしょうかね。

十年ひと昔どころか十年大昔ですからね。

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「阿波踊り」を繰り返し見ています。
躍り手は仕事に戻ったのでしょうね。
それにしても、女性の職場での生活は想像つきますが
男性の職場の雰囲気はなかなか想像できません。
私のように余韻が残ってしまっているのは違い
すっきり日常生活に戻っているのでしょうね。
それぞればらばらの仕事をもっており
阿波踊りの練習から本番までのお付き合い
それもいいですね。

そのあっさり感が長続きの秘訣なのでしょうね。


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ちぎっては鯉に餌やる夕餉どき  あきオジ

2010-08-28 05:29:45 | 日記
昭和記念公園に行くと
決まった時間に餌を求める猫が集まってきます。

そこにいつも餌をもってきては猫の与えています。
「猫に餌を与えないでください」という注意書きがあるのですが
知ってか、知らないでか分かりません。
当たり前のように与えています。
馴れ親しみ、猫の名前を呼んでいます。

猫が増えると入園者に危害を加える危険があるからでしょう。
そんな配慮と
自分の楽しみなのだ余計なことを言うな

見えない争いなのですね。

でも、餌を持ってくる人の思いは
管理するのとは違ったところにあるのですね。
猫が友であり
慰めであったりするかもしれません。

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また見ることもない山が遠ざかる   山頭火

(「山頭火」石 寒太著から引用しました。以下同様です。ただ、以下の文章は、山頭火の日記からの引用です。自分の句に自分で感想を書いているということになります。)

(この山も、再び見ることはないだろう。もう、この山は見まい。
いや、山だけでなく、どの街も二度と見たくないと思っている。
しかし、縁あって、また同じ町を通り、同じ軒に立ち、同じ山を見てしまうこともある。できることなら、一期一会を通したいと思っていたのだが・・・・
昨日を、いつも捨てたいと、真面目に思う。日々を捨てて、いつも無一物でありたい。
山が自分から遠ざかってゆく。)

捨てきれない荷物のおもさまへうしろ  山頭火

雲がいそいでよい月にする  山頭火

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最近は変えようと、あれこれ考えるより
今までとおりを続けることが
自分にあっていると思うことが多いのです。
それが老化なのでしょうかね。

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今日もまた猛暑を伝えるニュースかな  あきオジ

2010-08-27 16:44:56 | 日記
お元気でしょうか。
せめて、緑の風を送ります。

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風流の初やおくの田植うた  芭蕉

世の人の見付ぬ花や軒の栗  芭蕉

涼しさやほの三か月の羽黒山  芭蕉

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(ときには宮澤賢治を思い出さないと大好きな怠惰な生活に流れてしまいます。「無声慟哭は妹トシの死を歌った詩です。岩手県で暮らしていたとき、岩手山や物見山などに出かけました。そのような雄大な風景と宮澤賢治を重ねて、賢治の世界を楽しみました。それはそれはスケールの大きい風景でしたね。そして、「永訣の朝」と合わせて、この詩を読みました。賢治は生の音声を意識して作ったのですね。岩手弁でこの詩の朗読したのを聴いたことがありますが、独特の世界がありましたね。)

無声慟哭

      宮澤賢治

こんなにみんなにみまもられながら
おまへはまだここでくるしまなければならないか
ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ
また純粋やちいさな徳性のかずをうしなひ
わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき
おまへはじぶんにさだめられたみちを
ひとりさびしく往かうとするか
信仰を一つにするたったひとりのみちづれのわたくしが
あかるくつめたい精進〔じゃうしん〕のみちからかなしくつかれてゐて
毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき
おまへはひとりどこへ行かうとするのだ
(おら、おかないふしてらべ)
何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら
またわたくしのどんなちいさな表情も
けっして見遁さないやうにしながら
おまへはけなげに母に訊〔き〕くのだ
(うんにゃ ずゐぶん立派だぢゃい
 けふはほんとに立派だぢゃい)
ほんたうにさうだ
髪だっていっさうくろいし
まるでこどもの苹果の頬だ
どうかきれいな頬をして
あたらしく天にうまれてくれ
(それでもからだがくさえがべ?)
(うんにゃ いっかう)
ほんたうにそんなことはない
かへってここはなつののはらの
ちいさな白い花の匂でいっぱいだから
ただわたくしはそれをいま言へないのだ
(わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)
わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは
わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ
ああそんなに
かなしく眼をそらしてはいけない

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それはそれ笑いあう子の水遊び

2010-08-27 15:51:47 | 日記
昭和記念公園のシンボルツリーです。
この木はいつも出かけたときに写すことにしています。

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山頭火の作品と山頭火が作品について書いた日記がありますので、一通りに俳句を見通したところで書きうつしたいですね。swも、俳句だけで鑑賞するのが正統であるような気がします。日記や解説を読まないと理解できないようでは形式として・・・・いやいや素人は素人らしい鑑賞のしかたをしましょう。

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大根引一本つつに雲を見る  一茶

身じろぎのならぬ家さへ花の春  一茶

(一茶は義母とその子との確執があったことを知っておかないと俳句も理解できませんね。一軒の家を間仕切りして二つにして生活していた時の句かもしれませんね。)

暑き日に面(つら)は手習した子かな  一茶

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正義を語る人には心許さない。
それでけっこう間に合っている。

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はやく外に出かけて写真を撮りたいですね。
こう暑くては「我慢する」ということより
自ら皮膚を痛めにいくようなものですからね。

でも、明日は出かけます。
神田の古本屋に出かけます。
そして、墨田川のスカイツリーの写真を撮ります。

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どこまでも緑もうれし秋立ちぬ   あきオジ

2010-08-27 15:40:51 | 日記
一日物云わず蝶の影さす  放哉

たった一人になり切って夕空  放哉

昼寝起きればつかれた物のかげばかり  放哉

(放哉の代表作と言えば、あれこれ専門家があげるでしょうが、素人の初心者としてはこの句がいいですね。ひとりの切なさを「言い切り」で表現することが多い放哉ですが、ここでは物を表現することで淋しさを象徴している。そんな気がします。山頭火にしても放哉にしても心溢れて、言葉足りずですね。)

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「癒し」にならないとしても
言葉にして「捨てる」ことは
けっこう気分回復には、効果的ですね。

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ブログも洟をふいて
捨てるようなものですからね。
そうなんです。

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桔梗咲く河辺に子らの声がする  あきオジ

2010-08-27 07:25:38 | 日記
昭和記念公園の桔梗です。
野に咲く桔梗もいいですね。

写真技術がないので十分に表現できないですいません。

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衣更矢瀬の里人ゆかしさよ 蕪村

(この句に出てくる「ゆかしさ」最近使いませんね。でも、雰囲気のある言葉ですね。)

とかくして一把になりぬをみなえし 蕪村

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地平線山の凹凸に夕日かな  あきオジ

2010-08-27 07:23:29 | 日記
昭和記念公園の竹
この竹がいい雰囲気を作っているのですね。

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暑き火や火の見櫓の人の顔  一茶

海中や鰯貰ひに犬も来る  一茶

秋立といふばかりでも足かろし  一茶

(芭蕉の宗教的な雰囲気もいいのですが、私には一茶の生活感のある句も好きですね。同じ言葉を使って時代をえぐっているのが不思議な感じです。言葉は変わらないのですね。)

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言葉で説明されても
見たことにはならない
見えないものは
感じるしかないのか

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「言わなきゃ分からないでしょ」と母親
「・・・・」どうして分からないのと子ども

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凧上げるおじさんがいる真夏哉

2010-08-27 06:51:00 | 日記
昭和記念公園で凧あげを楽しむ人

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雨の幾日がつづき雀と見てゐる  放哉

空暗く垂れ大きなありが畳をはつてる  放哉

昼の蚊たたいて古新聞よんで  放哉

(放哉の句には、人の気配を感じませんね。山頭火には人恋しさが感じられるのですが、放哉にはあまり感じられません。懸命に堪えているのか、諦観なのか、研究家はどのようなことを言っているのでしょうか。自分でも探ってみたいと思います。)

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「阿波おどり」と「高知よさこい」
録画したものを、繰り返し見ています。 
「阿波踊り」の高度に洗練された技術に圧倒されます。
競いあうことが、磨きあげているうちに
優れた踊り手が出て来てレベルアップしているのでしょう。
「高知よさこい」はおいしいところを全国に配布して
それぞれが独自の展開をしているようですが
根っ子を喪失しているような気がします。
でも、それぞれの地方で新しい発展があるでしょう。

四国で暮らしていたとき
何度か出かけましたが
それぞれ楽しい思い出になりましたね。

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