平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

 平和への希い1230 原爆投下前後

2018-08-09 09:58:29 | 日記
    平和への希い1230 戦後73年 
   原爆投下前後 2018.8.9.

今日8月9日は、73年前の11時過ぎに長崎が原爆を投下された日。6日の広島に次ぐ2発目。
広島・長崎に未曾有の惨禍をもたらした原爆。原爆投下前後の「事実」をまとめてみると、結果論ですが、
「1945年8月5日以前にポツダム宣言を受諾していたら」と残念無念。
(1)1942年、アメリカはマンハッタン計画で、原爆を開発。1945年7月16日、原爆実験成功
(2)その後ソ英仏中なども開発成功。
(3)1945年7月27日、日本に「無条件降伏を受け入れるようポツダム宣言」が届く。
(4)1945年8月6日、広島に、三日後の9日、長崎に、原爆投下。
(5)1945年8月14日、「無条件降伏のポツダム宣言受諾」を通告。
(6)1945年8月15日、「玉音放送」で、国民に終戦宣言。
(7)1945年11月に予定されていた九州南部上陸作戦、1946年3月に予定されていた関東地方
   上陸作戦が中止となり、終戦で更なる犠牲者を出さずに済んだことが、米・原爆投下正当性の根拠に。
(8)その後朝鮮戦争・ベトナム戦争・中東戦争などあったが、核爆弾は使われなかった。
(9)現在、人類を何回も滅亡できる15000発を越す核兵器が世界に散在。
日本に「無条件降伏を受け入れるようポツダム宣言」が届いた時、政府は「無視」。
マスコミは、「笑止、対日降伏条件、聖戦あくまで完遂」など、軍部と一緒になって、東京はじめ各都市の
大空襲や悲惨な沖縄戦などによる国民の窮状よりも、軍部の鼻息を伺って、国民を煽っていたのです。

スウェーデン大使などからの冷静な情報を握り潰し、政府もマスコミも完全に冷静な判断力を失い、国民を
欺き続け、「狂気の世界」を繰り広げ、国民を塗炭の苦しみに落とし込んだのです。
一旦、「戦い」となると、「狂気の世界」になってしまうのです。
狂気の世界」を体験して「平和」の尊さを骨身に感じている私達日本人は、世界平和のために、
「武力で紛争を解決しない、戦う前に冷静に話し合う」ことを身体を張って、訴え続ける必要があるのです。

ウォーキング中に出会った花々です。


8月9日「今日は何の日カレンダー」より
長崎原爆記念日、野球の日(ミズノ)、ハリ・灸の日
▲ラクダ、日本に初登場(1821)▲士農工商四民の斬髪勝手たるべき事」の太政官布告発布。チョンマゲから
 ザンギリ頭へ。始めなかなか実行されず、東京でも断髪が完全に実施されるのは10年後(1871)
▲歌舞伎、最初の夜芝居(1878)▲イギリスの推理作家コナン・ドイルにサーの称号が贈られる(1902)
▲11時2分、長崎に原爆投下。死者6~7万人。翌日、政府はポツダム宣言の受諾を決定(1945)
▲第一回国体夏季大会開く(1946)▲古橋広之進、水泳400m自由形で世界新記録達成(1947)
▲国産ジェット機F86-F,初飛行(1956)▲シンガポール、マレーシア連邦より分離独立(1965)
▲三木首相、首相として初めて長崎原爆記念式典に出席(1976)▲形状記憶合金についての研究報告(1982)
▲細川内閣発足(1993) ▲国旗・国歌法成立、日の丸と君が代が正式に決まる(1999)▲美浜原発、蒸気噴出
事故、5人死亡(2014)