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今日は、久しぶりの夏の青空。蝉も鳴き出した。
この時期の「カンカン照りの夏空」は、太平洋戦争の終戦記念日の夏空と蝉の鳴き声を連想させる。
3歳の子供だったので、戦争も終戦も解る筈はなかったが、その後のいろいろな映画やドラマに出てくる
ラジオの前で、正座して「終戦の玉音放送」を涙を流し聴いているシーンと、夏の青空と蝉の声が、私の
「終戦の日」のイメージとして焼き付いてしまった。
74年前の1945年7月26日は、日本無条件降伏含むポツダム共同宣言がなされた日。
その翌日、7月27日、日本に「無条件降伏を受け入れるようポツダム宣言」が届いていた。
1945年8月15日、玉音放送で、無条件降伏を受け入れて終戦となる、半月ほど前のことだった。
冷静さを欠き、戦争責任を問われる政府は、「無視」し、「一億玉砕」を言い出し、徹底抗戦を打ち出す。
軍部の恫喝に慣らされ、軍部の広報局に成り下がったマスコミは、「笑止、対日降伏条件、聖戦あくまで
完遂」など、東京はじめ各都市の大空襲や悲惨な沖縄戦などによる国民の窮状よりも、軍部の鼻息を伺って、
国民をダマす片棒を担いでいた。
7月中にポツダム宣言を受け入れていれば、原爆で苦しむ広島・長崎も、ソ連の参戦も無かったのです。
日本軍部は、「狂気の世界」を創り上げ、国民を悲惨な目に合わせ、自滅したのだ。
「狂気の世界」を体験して「平和」の尊さを骨身に感じている私達日本人。
「マッチポンプ男トラさん」が、あちこちで緊張を煽り、武力抗争の危機を生み、米国製兵器を売り込む。
自分が起こした緊張・武力抗争の危機を「有志連合」で、多くの国を巻き込んで、納めようとする。
まさに、トラさんの自作自演の「狂気の世界」なのです。
トラさんの親友を自負している晋さん、トラさんを諌めて、狂気の暴走を止めてこそ本当の親友ではないか。
7月26日が来る度に、「広島・長崎の原爆投下」の前に「ポツダム宣言を受け入れていたら」と、
安倍総理のお爺ちゃん(岸信介、戦争を始めた東條内閣の閣僚)達に恨みを言いたくなる。
ウォーキング中に出会った花々です。
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7月26日「今日は何の日カレンダー」より
ポツダム宣言記念日、幽霊の日、日光の日、ふろの日(毎月)
▲弘法大師が日光山と命名(820)▲幕府は新田として開発可能な荒れ地、未開墾地には開発の許可を与える
高札を設置(享保の改革)(1722)▲東海道四谷怪談、初演。お岩さんの役は3代目尾上菊五郎(1825)
▲長州藩領内で大規模な一揆が発生。一揆は更に拡大し全藩を巻き込む騒動となる(防長大一揆起)(1831)
▲英公使オールコック、外国人初の富士登山(1860)▲東京横浜毎日新聞が開拓使官有物払い下げ暴露(1881)
▲津田梅子の英学塾、設立(1900)▲FBI誕生(1908)▲ポツダム宣言発表。ベルリン郊外のポツダムに
英チャーチル、米トルーマン、ソ連スターリンが参集して、戦後ドイツの処置、対日処置、日本の無条件
降伏など共同宣言(1945)▲OECD(経済協力開発機構)日本加入が承認される(1963)▲1783年の浅間山大噴火
による埋没地域の嬬恋村、発掘開始。人骨、仏像、石臼、戸障子などが発見(1979)▲福岡市地下鉄開業(1981)
▲政府、韓国で元従軍慰安婦から聞き取り調査を開始(1993) ▲神奈川・相模原障害者施設殺傷事件(2016)