城郭 長谷川博美 基本記録

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米原起点の城郭見学 県外城郭遺跡愛好家様の御電話

2020-02-16 16:59:30 | 城郭
米原駅ベンチでの光景
対話者
いつぞや米原駅で待ち合わせをして
いる時に見しらぬ青年が鎌刃城へと
行く道を地図で探している。老夫婦
が鎌刃城に向かわれる準備をしてる
のに長谷川先生は全くヒマで散歩し
て米原駅ベンチで休憩そけておられる
光景を見ました。
私はそれらの人々にあなたの面前にお
られる仕事全然ない長谷川先生に案内
してもらったら価千金の見学が出来ま
すよと言おうとしたら長谷川先生に止
められました。それガイドさんの仕事
観光に関わる人のテリトリーだから私
は善良な米原市民として観光やガイド
には踏み入らない事と関係ないんです
と言われた事が気になりました。その
青年一度でも長谷川先生に一度で学べば
貴方の城郭人生が全く変わり確実に城郭
遺跡を見る力量が上がりその青年の城郭
見学の世界が劇的に変化するのにと私は
そばで見ていてそう思いました。私は御
節介でしようか?私は自然に佐和山城の
本丸の天守基壇も土塁も素直に普通に見
学しているのに?こま思い解りますか?
長谷川
それ間違ってます。観光や旅行や探訪と
は私や貴方の目指す城郭遺跡見学研修の
世界とは分野やジヤンルが全く違います。
その青年は観光で来ておられる楽しみで
来ておられるのに是を邪魔する事は余計
な御節介に相当致しますから余計な事は
しない事が適切です。それが米原市民と
しての常識と言えます。
対話者
でもその青年は虎口や枡形や城郭構造を
学んで充実した人生が送れます。真心と
は親切に教示される事が誠意と思います。
長谷川
そうでしょうか?深く悩み続けています。
何が一体善良な良心で何が米原市民とし
の常識なのか深く深く長く苦く悩みます。

米原起点の城郭見学 県外城郭遺跡愛好家様の御電話

県外者様
思い余って御電話致します、御容赦を!
私の経験した事をお話させて頂きます。
これは私個人の意見なので参考になる
かどうかは全く解りませんので宜しく。

滋賀県内の城郭見学
これに参加した経験はありますが私は
長谷川先生の様な城郭遺跡を親切丁寧
に解説する見学会を以前から長く希望
致していますが宮本さんの様な真心を
持っ人は城郭遺跡を見学する人にとり
自分の母の様な、サポーター様がいる
と絶対安心出来るんです。長谷川先生
の遺跡解説クオリテイーサポター宮本
さんの真心の両輪が県外の城郭見学者
からは鉄壁の誠意と安心の保証書です。
長谷川先生の現地遺構解説の先進性
斬新さ未来性を先取りした研究視点
は先程のべた事①の事案に加味され
ています。聞いた事。本に載ってな
い生々しい現場を長谷川先生が理論
的に解説され我々県外人が驚く衝撃
性は言葉では表現しにくいのですよ。
ブログはその一部分しか長谷川先生
の良い所魅力は発揮されていません。

県外者様
質問なんですが?我々県外の者や
県外から移住した者にとり長谷川
先生の城郭解説や宮本さんの案内
に全く人気が米原や長浜では全く
ないと言う事自体が真実ですか?
私達県外の者は信じられません!

長谷川
宮本さんの社会信用はこの地域で
は抜群の知名度と県外からの多く
の支持者がおられますが、長谷川
の支持者は滋賀県内では全く皆無
です。それは厳しい現実なのです。
私は長浜市出身の米原市在住です
が全く土地の人々から知られては
いません。米原城歩会は会員ゼロ
と言う現実です。厳しい現実です。

県外者様
そんなの絶対奇妙な現象ですよ。
私達県外の人達は米原城歩会の
良心的な見学活動には感心感動
して集合しているのに地元会員
がゼロで開催出来ないと言う事
は納得出来ません。米原まで県
外の人が到着したら越前や美濃
や若狭や岐阜東海の名城を長谷川
先生や宮本さんと充実した城郭
学習が確実にできるはずですよ。
滋賀県や米原は大きなチャンス
を見落としているのではないで
しょうか?長谷川先生のリピター
力は見学会の内容が良いから
集合している現実を知って下さい。

長谷川
そんな事を言われましても私は
学者です。県内の観光バス会社
とも全くツテや交流がありませ
ん私は学者です。県外の城郭
遺跡見学者が泣いて感動する
城址や図面は多数作成してます
がバス会社様と交渉相談する
能力が全くありません。

ガイドとして有能な宮本さん
には滋賀県の為に長浜市の為
にガイドに復帰される事を、
千度万度、お勧め致しましても
是を社会の為に貢献して下さい
と進言申上げますが、私は観光
ではなく城郭遺跡見学がしたい
の一点張りで是を拒否されます。
県外者
宮本さんがガイドではなく城郭
遺跡見学者様だから県外の私達
は共感し共鳴し感動安心し見学
会に参加してるのです。山城の
探訪や山城めぐりと言う内容な
らば私達県外の者は高い旅費を
払って、参加する意味や意義は
全くありません。長谷川先生と
宮本さんの城郭遺跡見学の資質
や現地解説の深さに感銘を受け
て遠方からはるばる来ている訳
です。私達県外の者は肩書きや
著書で県外からやって来てる訳
でないのです。しかるべき会長
を長谷川先生や宮本さんが見つ
けられしかるべきバス会社様を
発見されれば米原からは北陸へ
東海へと我々城郭遺跡見学者の
求める城郭遺跡見学研修会の道
は開ける可能性があるのに是を
見逃している。社会にも疑問を
感じます。宮本さん長谷川先生
は確実に県外城郭見学者のリピ
ターを長く何十年も獲得されて
きた実績があります!信用が!

長谷川
そんな事を言われても私は城郭研究家
として超4流なのでその様な事は絶対に
無理です。ブログ読者もゼロに近いし。

県外者
学者として優れているから織豊ビスタ論
や宮本さんも平然と新しい城郭遺跡発見
されるんです。これ無印良品のブランド
の育成です!ブランドを掘り起こす監督
やプロデユサーが滋賀にはおられないの
ですか?どの様な名歌手もプロデユサー
の゜ロデユスする人の力量次第で伸びる。
これ大事ですよ!城郭遺跡大国近江には
城郭遺跡に前向きに対峙する人が不在。
長谷川
そんな事はありません。私の人気がゼロ
と言うだけの事なのです。


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進め余呉城郭研究会 (活動記録編)

2020-02-16 12:35:44 | 城郭
進め余呉城郭研究会 (活動記録編)
安土城の素晴らしい石垣見学しました。天正の昔が真空パック。
賎ヶ岳城塞群の実態を見学する賎ヶ岳城郭フーオラム
を開催して過疎地を復興させる奮闘努力にも挑戦した。
東は東京、西は山口まで幅広い見学研修者様が参加された。
織田信長の虎御前山城も有意義な見学会を実施できました。
米原の長比砦では多数の御仲間が参加され勉強しました。

山城に行く林道に落ちた落石も前川常務さん自ら除去され奮闘された。
岩や倒木を除去して安全な林道を確保しておく事は地味ながら重要。
参加された方々の向学心と凛とした生涯学習への信念。

いですね!会員顔がひきしまっておられます。特に田畑さんが劇画調。









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近江佐和山城天守の絵画資料の一考察

2020-02-16 09:04:02 | 規矩術、ビイスタ工法、城郭平面幾何学、
近江佐和山城天守の絵画資料の一考察
城郭ビイスタ論 上文字クリック

◆楼閣の正面の基礎知識
禅宗の楼閣や中国の楼閣を始祖として
発達したのが日本の城の天守閣である。
その起源は中国楼閣の鴟尾(しび)とする
説が有力である。東大寺を代表とする
日本の仏殿の屋根の左右に大きく魚形
をした雌雄(オス/メス)の鯱形が天守の
鯱へと発達したと一般解釈されている。

◆天守の鯱鉾が見える方向が天守正面
言うまでもなく天守屋上に存在する
左右または雌雄の鯱鉾が見える方向が
天守閣の正面である事は基礎的常識だ。
◆彦根城天守の栄え「見栄え」はえ
滋賀県民の人がよく御存じの彦根城天守
閣の左右の鯱鉾を見る為に観光客は必ず
京橋方面と玄宮園から鑑賞されるのが常
であ。彦根駅方面から彦根城を鑑賞する
と小櫓と見間違えて彦根城天守に落胆さ
れる人もいると聞くが、言うまでもなく
彦根城天守閣は南北から見て見栄えする
所謂南北栄え(なんぼくはえ)に設計され
ている事は滋賀県民なら誰でも、知って
いる事だ。従って彦根城の軍事的大手門
は京橋方面に設定されている。井伊家の
平素の居館は表門と表御殿の中に営まれ
大手とは呼ばれていない事に留意したい。
彦根城の大手は本丸から見て南に相当。

▼寺院楼閣の意匠火頭窓と多数の波風を
用いどっしりと腰の据わった重厚な風情
を漂わせる国宝彦根城の雄姿は見事だ!

◆佐和山の呼称
この山は佐保山、さほやま、佐和山、澤山
などと古来様々に呼称されている。従って
当該図の澤山とは佐和山城を意味している。

◆古代条里制度の及ぼす方位感覚
古代に整備された碁盤目状の水田耕作面
は伊香浅井坂田でその方位が異なる北陸
線や国道8号線は湖北の条里の影響を受け
て走っている。坂田郡の条里は鳥居本ま
で及び犬上郡部に入ると犬上の条里方位
は全く異なり遠く伊吹山方面を望む方向
を概念的な北として犬上郡の条里が存在
し現在も東海道線、国道8号線、新幹線
もこの犬上条里の影響を受けて建設され
ている。従って彦根城天守の南面北面の
設定もこの方位感覚を基準にしたもので
ろう。
◆多賀大社社頭絵図の澤山城図を考察する。
この絵画を幻想画イメージ図と軽視する事は
学門する身として謙虚に慎みたい。美術史的
に絵画資料的に学術的見地から観察し洞察す
る事、時に別視座に立つ考察が必要であろう。
天守の鯱鉾を左右に見る事が天守の
正面を認識する基礎や基本である。
澤山城絵図にある天守の正面とは何処に
該当するのであろうあうか?これは左右
の鯱鉾を視認する事が基本と思われる。
当該絵図の天守の左右の鯱鉾は現在の
彦根市街方面やもちの木谷方面を正面
とした天守構造の描写である事が解る。
加えて楼閣の中軸をなす唐破風と大入
母屋の方向、もちのき谷方面を指して
いる。この絵画の描く澤山城の建築学
的な見地から見れば大手正面は彦根市
街側を意識して描写されている事が判
明する。しかしこの図が何処の時代の
武将の頃の佐和山城かはここで言及は
しない。伝承によると石田三成屋敷は
もちの木谷、島左近の屋鋪は龍潭寺方
面という彦根方面の伝承は軍事的大手
の再考や時代により大手は変化する事
に留意したい。

◆織豊城郭ビスタ論(放射状縄張線/見通線)
私のブログや私の研究家としての人気は
全くゼロと言ってよい。それでも私の論
が織豊城郭ビスタ論に及ぶ時全国の膨大
な読者がビスタ論を投稿した回だけ異常
な数の閲覧者数を記録している事に驚く。
私は大学者でも著名研究家でも決してない。
実際現実に著者は全く無名で無支持である
現実は否定出来ないが、全国の良識ある人
読者層が城郭ビスタ論を多数読まれている
現実に直面して私は正直腰をぬかしている。
おそらく学芸員学究者が読んでおられるの
だと、想像する。以下の図の如く一連の私
投稿の如く明らかに天守建物と小天守建物
天守に付随する附櫓の平面配置は放射状を
呈しており先の天守建物の大手方面を考察
する一論と大手正面の概念が一致する事が
観察できる。勿論観察する気があるのか?
絵図も縄張図も現地遺構も全く見る気なし
ならば佐和山城本丸に千度行く価値もない。
◆現地佐和山城本丸跡と社頭絵図の比較考察
会頭図にある楼閣部の基壇を図から推定復元
するとA基壇B突出基壇、C遺構が想定される。
それらの基壇と楼閣配置は私の解く
一連の織豊城郭放射状縄張の型式の
系譜に属している事が判明する。また
絵画技巧としても放射状建築群を的確
に描写する優れた画工の技量も看過で
きない。画工は庭園の技巧をも看破し
ている。ありのままを描写とも言える。

↑それは江戸の彦根城玄宮園内
の建物描写にも画工や絵師が放射線状
の作庭技巧が存在した事を認識してる
と言えるもの。絵師ならば、庭の構図
城郭の楼閣配置構図を理解していた事
であろう。なによりも立体的に描写し
いる事に注目したい。
◆佐和山城A基壇、B突出遺構、C遺構の現地写真
先ず天守A基壇を佐和山城本丸に求めよう。厳然
と生々しくA基壇は私達の心を衝撃を伴って現地
見学する人の心を射る!写真は現実を写しだす!
次ぎにB突出遺構を現地観察して写真に写す。
有る!生々しく土塁線から突出したB遺構が
存在する。その向うにC遺構が見えている。
次に余呉城郭研究会の宮本さんがC遺構の
上に立つ。その観察眼は遺構を確実に捉え
ている。遺構から決して目離れしていない。
山中の城址で酒食や雑談や楽しい会話をす
る華やかなハイキング性は全くないものの
遺跡を真剣に見る目は確か向学的学究的だ。
◆第三者に解説継続を断られる事も
さて絵図の秘める謎を全て解説したいが
優れた余呉城郭研究会や米原城歩会面々
から厳しい意見が入った。長谷川先生そ
の続きは我々の受講者の前で詳しく丁寧
に御願いします。先生は自分の価値に気
付いていおられない非常に斬新で進歩的
な研究を安売りする、必要はありません。

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