城郭 長谷川博美 基本記録

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佐和山城話題騒然!織豊城郭ビスタ論世間の話題騒然!

2020-02-20 19:38:29 | 規矩術、ビイスタ工法、城郭平面幾何学、
佐和山城話題騒然!織豊城郭ビスタ論世間の話題騒然!
一般者
写真は現実と真実を写しだす現実だと
言う言葉に今更ながら驚いております。
私達山城探訪者や城址ハイキングの人
や歴史に詳しい人は遺構Dは興味あり
ません。まったくハイキング歴史探訪

趣味の人は遺構Dなど見学も観察も全く
しません。それは余計な事関係ない事。
対談者
しかし遺構Dは現実に現場に残ってる。
写真は真実を写しだす鏡なのですよ!
現実真実ありのままを写す意味が写真。
対談者
あなたは?
城や歴史を文字や言葉と考えています。
私はモノ現地遺跡が真実を語る証人と
考えております。現実現物のモノです。
対談者
長谷川先生!先生の織豊城郭ビスタ論
最近ものこの凄く話題沸騰してます!
長谷川
幻想や誤解です私の学説など支持
する人はゼロ。ブログ読者もゼロ!
対談者
でも安土城ビスタ論小牧山城ビスタ論
などどんな学者も気がついていません。
本当に長谷川先生を理解しているのは
社会に一名様は必ずおられます。もし
今度他の先生が織豊城郭ビスタ論を軽
く盗用して称えたら私達は長谷川先生
の理論のパクリのニセ者と見なします。
長谷川
私のブログは誰も読んでおられません。
対談者
あのう~私なんか軽率にも長谷川先生
が澤山城図を考察されていた事を全く
気にも止めていませんでした。唯の絵
としか見てません。天守や小天守配置
角度など全く気にも問題にもしてませ
でした。しかし私の考えは浅かった。
対談者
A基壇やC遺構の佐和山現地遺構の写真を見て
私は衝撃を受けてしまった。▼A基壇
遺構Bと遺構C▼現地写真
▼佐和山城現地C遺構写真の土塁
長谷川
絵図に放射線技巧がある事に
私も正直に驚いております。
絵図には廻り縁のある前記
望楼型天守と櫓の隅柱の露
出した慶長期豊臣系天守の
塔層が新旧二種類の天守が
絵画描写されている。現地
では2種類の時代の異なる
コビキAタイプとBタイプ
2種の瓦も採取されている。
長谷川
天守閣の正面は左右の鯱の中心を通る
線が正中線つまりセンターラインであ
るを、この絵画は語っている。つまり
一方の大手はもちのき谷「彦根方面」
を暗示しており石田三成屋敷伝承が

ある方面を示している可能性がある。
勿論現況では鳥居本方面の大手土塁
は城郭の正面を明確に示しているの
であるが、ある武将のある時期には
佐和山城の西山麓に旧芹川が外構の
堀の如く流れていた事は彦根築城以前
の古図からもうかがい知る事が出来る。
上図り古城に該当する場所が佐和山城
であり佐和山城西山麓は松原内湖に
なっていて彦根村は芹川のなんと東
に表現されている。古図の天守はこの
方向を正面、としていたと推測される。
1987年の私の鳥瞰図でも山頂の右側
つまり彦根市街側に集結縄張線私の
言うところのビスタ工法が存在した
可能性がある。勿論、鳥居本側にも
二ノ丸方面にも縄張をしていた様子
をうかがい知る事ができる。写真は
真実を写しだすものだ。本丸の右に
つまり、鳥居本側の本丸側面帯郭は
今でも明瞭に写真撮影する事が可能
であ。 ▼本丸東北方面帯郭写真。



現地を計測し澤山城絵図から推定すると
本丸は概ね、このような姿ではなかった
かと推測する。ご笑覧下さい。
また春になったら、みなさんと、お会いしたいと
思っております。楽しく遺跡見学を、長谷川博美。





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安土城、小牧城は両城石垣とビスタ工法

2020-02-20 05:20:15 | 規矩術、ビイスタ工法、城郭平面幾何学、
安土城、小牧山城は両城石垣とビスタ工法。
対談者
やはり予想したとおり
安土城にも小牧山城にも石垣が存在し
また両城ともビスタ工法を使って築城
されたんですね?画期的な比較研究と
言えますね?
▼2方向のビスタ
▼江戸時代の二カ所の城郭測量方法。

▼一方向のビスタ
対談者
両城とも大手道が直線的で
登城路の右に本丸や天守を
望む形式に縄張りされていた。
長谷川
今後慎重に両城を比較研究する必要が
あると思います。小牧山城から佐久間
の石垣墨書が出土した事や過去に安土
城の石垣内で惟住内九の墨書が発見さ
れた事も併せて意義深い事かと思いま
す。世の中に中世の城に潜在する扇状
の縄張理論に気付いていたたげける事
を私は願います。▼甲斐新府の検討
▼武蔵 菅谷館 ビスタ縄張
武蔵 杉山城 幾何学論

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滋賀の城跡をみましよう。余呉城郭研究会。米原城歩会編。

2020-02-20 03:44:41 | 小説
滋賀の城跡をみましよ。余呉城郭研究会。米原城歩会編
星ヶ崎城 横矢石垣

星ヶ崎城石垣 調査協力田畑先生

近江八幡 岩崎山城 堀切の歪土橋の上の会員諸氏
土橋がわざと野球の変化球の如くカーブしている現実。

小谷城本丸石垣
塩津浜城 箱堀切▼土橋    土塁▼
▼甲賀村雨城支城土塁
鎌刃城虎口「城の出入り口」

長浜市 赤尾山城堀切と土塁。 遺跡は歴史の証人。

▼勝楽寺城の石積み
▼著者の概略図
▼同城隅石垣
▼勝楽寺城の石積を見る人。しっかりよく見てます。
▼余呉 菅山寺城の大堀切
▼菅山城見学の記念写真。

▼小堤山城小櫓台石垣
小堤山城小櫓台石垣(しのぎ積み)
西坂砦 楽しく城址を見学     ▼城の帯郭を見る田畑先生
切の中の男鬼城と堀切 ▼田畑先生
▼長浜市 沓掛西砦の堀切 深々と掘削している。
大依山砦 たて堀  人物の左に下っている。
大依山砦の前面の堀切 左右に土橋 この遺構は現在消滅。
木尾古墳群の巨大堀切
▼木尾古墳群のあまりにも大きい堀切。 人が小さく見える。

▼木尾古墳群と堀切が続く続く
▲枝折城の石礫混じりの土塁
▼枝折城の生々しい堀切の嶮しい切岸
▼枝折城の堀切の堀底を望む

▼枝折城元城の西側堀切と切岸 明瞭な堀切だ
▼枝折城東の堀切と切岸 記念写真 左が切岸みんなは堀底に
▼枝折城嶮しい切岸
▼江龍奥の城の登り塀の痕跡 右城内 左城外
▼江龍奥の城の石積み

江龍奥の城の堀切 登り土塁
▼枝折 本城のたて堀

▼枝折 本城の堀切
前記の堀切のシルエット。
▼本城の土塁 生月新会長と廣畑名誉理事

▼須川城調査中の田畑先生 土塁の上

▼湾曲する須川城土塁と田畑先生
▲須川城堀切 注意この須川城は須川山城と異なる城跡
▼三重県 伊坂城の嶮しい切岸と犬走
▼安土城八角平の嶮しい高石垣
▼安土城天主台
▲余呉 天神山城の土塁見学 低土塁が廻っている
▼北内貴城の横堀の中で昼食を取る 左には土塁がある
▼同じく北内貴城の横堀の中で昼食を取る別角度の写真
▼同じく北内貴城の土塁上で昼食をとる。おなかま

★城郭遺跡見学とは城塁や塹壕の跡を見学する事だ
同じく北内貴城の土塁と虎口の前での記念写真だ

▼三国志の諸葛孔明の陣城 五丈原の砦の城壁

▼宇佐山城の塹壕を解説する著者
▼織田信澄の高島 大溝城天守台を見学した
▼高島 明智光秀ゆかりの田中の城の巨大堀切
本丸櫓台には石礫も残っている。これも土塁の上だ。
▼この櫓台かなり高く険しい。一種の初期天守だ。


美濃岩村城石垣と虎口 門前を翳石垣でカードしている。
西坂砦の堀切と土橋と虎口▼

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滋賀余呉柳ケ瀬内中尾山城見学会思い出フオトグラフ

2020-02-20 03:23:17 | 小説
滋賀余呉柳ケ瀬内中尾山城見学会思い出フオトグラフ
玄蕃尾城で馬出を解説するブログ著者
ある日の見学記念写真みなさん楽しそうです。

また玄蕃尾城の学習研鑚する機会があれば宜しく御願い致します。

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