城郭 長谷川博美 基本記録

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近江 虎御前山城の深層

2020-02-13 18:38:29 | 規矩術、ビイスタ工法、城郭平面幾何学、
近江 虎御前山城の深層
世間様
虎御前山に城跡があるなど
聞いた事がありません。私
あの山ハイキングに行きま
したけど何もありませんよ。

対談者
でも写真には織田信長本陣
の切岸の壁が明確に写って
います。写真は真実を写す
から写真と言うのですよ。
貴方はハイキングでこの山
を通りすぎた人で城址は全
く見る気が無かった事になり
ます。現実の写真は虎御前
山の現実を現実に捉えてる。
長谷川
まあ城址を通りすぎるハイキングと
城址に立止る城郭遺跡見学の趣旨や
目的や大きな個人差があります。
大多数の人が城跡など無いと認識
しているの現実は否定できませんが。

対談者
あの城郭研究家の長谷川銀蔵先生
でも賎ヶ岳合戦の砦の遺構など無
い400年前の砦跡など絶対残る事
は無い。息子長谷川博美氏図面を
破り捨てようとした行為は一般の
社会通念と全く同じ正義や正論と
ある意味言えます。これ世間常識。

世間様
でもね。誠実で信用ある近所の人
が次々に城址など絶対にないわよ。
と誠意や真心を込めて言われたら
絶対に世間一般の人は信用や誠意
ある人の言説に絶対信じますのよ!

対話者
虎御前山を通りすぎるハイキングの
習慣が身に付いた人は城址に気が付
かないと思います。当然城址を見る
気持ちと見る心が稀薄と思うんです。
人間は横断歩道や信号や踏切は一旦
停止の習慣が子供の頃から交通教室
身について実践できますが城址停止
を教示する先生は昭和、平成、令和
に全くいらしやらないのが現実です。

長谷川
どうでしよう。虎御前山城の城主の
織田信長は日本全国の武将人気投票
でも常に一位ナンバー1にランクさ
れる日本史の中の著名人です。そし
て秀吉もこの城の定番つまり城代と
して文献『信長公記』に記されてる
ならば、この城跡は全国区の観光の
名所。長浜市、滋賀県歴史観光資源
の1ポイトとして全国の社会に顕彰
宣伝PRすべきが長浜/滋賀県の観光
促進つまり地方再生創造かと私は
素朴に思います。
世間様
虎御前山に城跡があるなど
聞いた事が全くありません。
長谷川
そうでした!湖北人の
虎御前山に対する評価
や湖北人の社会認識は
日本全国の虎御前山城
の知名度や信長の知名
度には全く関心が稀薄
かもしれませんからね。
世間様
だいたい虎御前山には
何もないと聞いてます。
対談者
でも写真に信長の城の
シルエットさえ歴然と
映し出されている現実!

対談者
でも虎御前山城が測量
されたり遺跡が確実に
あるとは証明されない。
長谷川
測量図はすでにあります。
虎御前山保全顕彰の会様
の滋賀を長浜を興さんと
する真心気迫誠意や奮闘
の涙と汗と郷土愛の結晶
が激しく躍動しています。




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安土桃山の気風と文化 うつわ/器とくるわ/曲輪の文化論

2020-02-13 15:31:22 | 規矩術、ビイスタ工法、城郭平面幾何学、
安土桃山の気風と文化 うつわ/器とくるわ/曲輪の文化論

 安土桃山時代を代表する九州博多の商人神屋 宗湛
「かみや そうたん」は九州からみて日本の東国の
未知の陶芸文化を次にように的確に記している。

慶長四年(1599年)茶人武将、古田織部の茶会で
織部の用意した茶器の様子を宗湛が的確に述べ
いる。
「セト茶碗 ヒッミ候也 ヘウケモノ也」と
彼の日記に記している。
つまり織部の用意した茶器が
ヒツミ「歪んでいる」=定型から逸脱した形状。
ヘウケモノ「ひょうきん」洒脱で楽しいくモダン。
唐物や九州の陶器と比較してひの価値観や形状の
違いを指摘している。これは当時の陶器や九州と
東国の文化の差異に言及した比較研究論と言って
も過言でもないだろう。

文献『信長公記』も「ひょうげ」と言う文言が
登場している。また茶湯つまり数寄の文化をも
記している。
「七月十八日おどりを御張行
一、祝弥三郎鷺になられ侯。一段似相申し侯なり。
一、上総介殿は天人の御仕立に御成り侯て、小鼓を
遊ばし、女おどりをたされ侯。津島にては堀田道空
庭にて、一おどり遊ばし、それより清洲へ御帰りな
り。津島五ヶ村の年寄どもおどりの返しを仕り侯。
是れ又、結構申す計りなき様躰なり。清洲へ至り候。
御前へめしよせられ、是れは、ひようげなり。又は
似相なりなどと、それぞれあひあひと、しほらしく、
一々御詞懸けられ、御覧にて冥加なくあをがせられ、
御茶を給べ侯へと、下され、悉き次第、炎天の辛労
を忘れ、有り難く、皆感涙をながし、罷帰り侯ひき」
とある。
私は滋賀民俗学会や国学の系統なので先ずは
祝弥三郎鷺になられ侯と言う神職「祝」の姓
と民俗学でもよく語られる鷺舞に注目したい
安土や後に近江八幡でも左儀帳祭りを連想。
また青年信長が女おどりをした事が記され
いる。近江八幡の若衆が今も祭礼に化粧する
伝統は現代にまで町衆の伝統文化として残る。

さて津島衆が清須に津島祭祭礼の御礼に信長
の居城清須に御礼の踊りをする描写が続いて
本日のテーマの「ひようげなり」も登場する。
また信長が津島衆に茶を振舞う描写も記され
ており当時の民俗文化やと茶湯の文化や祭礼
の様子を知る為の貴重な文献資料でもある。

◆日本の陶器の様々な形状
室町末から何者にも束縛されない自由に気風
は陶器や芸能の歌舞伎や傾奇者の文化を生み
だして安土桃山やがて初期江戸文化へと継承
されて行く。これは桃山の文化の形状や着衣
や陶芸や築城にまで影響を及ぼす歪の文化、
いびつの文化、傾奇者の文化、当時の時世の
文化モードの特徴であり流行と言える文化で
あつたのだと私は歴史大観したい。極彩色の
文化の残影は伏見城の唐門を移築した長浜市
の竹生島にも残り、日本全国の観光客の良く
知る日光東照宮の極彩色の文化も安土桃山文
化の残影と言えよう。大河麒麟が来るの色彩
や着衣の考証は的をえている可能性も高い。
瀬戸、美濃、織部、などの自由奔放な陶器の
形状は傾き者や精神や自由闊達な九州の商人
商人神屋 宗湛「かみや そうたん」が古田織部
の茶器を見て
「セト茶碗 ヒッミ候也 ヘウケモノ也」と
彼の日記に記した事の意義は比較文化研究論
において非常に重要な文化論と言っても良い。

◆陶器「うつわ」と城郭「くるわ」の形状の共通性
城郭の基礎を持っておられる有識者各位はこの陶器
が城郭で言う「入隅」「折れ」「なわだるみ」等に
共する事は瞬時に解ると言えよう。しかし「うつわ」
「くるわ」の安土桃山の形状やデザイン美的モード
に関して言及する人は皆無に等しい美濃出身の武人
古田織部が後々の世まで賞賛される安土桃山織豊の
文化人は何も器「うつわ」だけにとどまらずに郭
「くるわ」曲輪にまでその文化は流布流行していた
時代のモードと私は考えている。

↓ 城郭フオーラム別所山城見学会記念写真

◆傾き者/槍の又左/前田利家の賎ケ岳合戦/別所山砦の考察

この傾き者の流を汲む前田利家の陣城の形状つまり
城壁の線をよくよく観察すると織部焼と同種の小さ
な横矢や横堀に折れ「曲折」がある事が解るのだ。


また文禄慶長の役における羽柴秀保の陣城も
不可思議な安土桃山の平面形状文化の系譜に
あると思われる。一万五千人もの臣下を持つ
秀保の陣は礎石群こそ企画的に整然としてる
のにその外周を囲む城壁はかくも歪「いびつ」
なのか?シンプルに四角にすれば良いものを!

あの天下の安土桃山の文化の極致たる
あの織田信長の安土城天主の形状とは
正方形に普請可能なのに礎石列と石垣
列は著しい違和感齟齬を露呈している。
四角に天主を作ればよいではないか?
この著しく歪んだ安土城天主の形状とは
一体何の文化の系譜にある様式や美学か?

再度神屋 宗湛(かみや そうたんの日記を読もう!

慶長四年(1599年)茶人武将、古田織部の茶会で
織部の用意した茶器の様子を宗湛が的確に述べ
いる。
「セト茶碗 ヒッミ候也 ヘウケモノ也」と
彼の日記に記している。
つまり織部の用意した茶器が
ヒツミ「歪んでいる」=定型から逸脱した
形状東国の文化を見事に表現している事だ。
安土城天主が大きく歪んだ意義が大きい!
それはヒッミ候也 ヘウケモノ也深意は?

◆痛烈な私の文言!壮烈な父の文言
城郭研究家長谷川銀蔵は真面目な人
曲がった事や嘘が大キライな人間で
あった現実の民俗学を語る郷土史家
でその知識は図書館一館の書物をも
暗記するほどの人間であった。父は
文字を、第一等とする人物であった。
長谷川博美少年は父から学ばず現地
の賎ケ岳城郭群の陣城の計測を始め
10城ほど図面を私が作成した時に父
は百雷の如く息子に怒りを吐露した。
そのような400年も前の遺跡が現地に
絶対に残っているはずががないそんな
事常識で考えて解る事だ!息子の私は
愚鈍である。その図面すべてを破り捨
てると激怒した人物である。父の激怒
は当然の事である。どの様に図書館の
書物を全て暗記して歴史に精通する人
でも現地を全く見る気がないない場合
長谷川博美の賎ケ岳城塞群図面などは
全く意味をなさないものなのだ、是は
令和の現代にも社会に通底し残存する。
無いと頑固に言い張るか?静かに心を
澄まして目をすまして現地を見るか?
見ないかは個人の選択は自由です。

◆うつわの周囲の壁を見る人は正論
器の周囲を観察する人は陶芸に興味
ある人には当然の認識行為で正論だ。
◆しかし城郭に残された土塁を見ようとする
人は正論を述べる人だとは社会からは認めら
ない現実が存在する。佐和山城本丸には土塁
が残っている真実を写しだす写真とは現実だ。
余呉城郭研究会と米原城歩会の宮本さんは
佐和山城本丸の土塁から目を離していない。
土塁は意外に高く現然と現地に残っている。
器や茶器を人間がよく見ないと当然茶器も
茶も飲料さえも手元から流れ落ちてしまう。

うつわ器の周囲を見る人は当然の事をする人
くるわ郭の周囲の土塁を見ている宮本さんは
当然の事を物事の道理を素朴にしている人だ。
冬の虎御前山織田信長の陣城を遠望している
私は日本で一番人気のない無名研究家なのだ。
しかし宮本さんも私長谷川もありののままの
現実をありのままに見学している素朴な人間
だ。私も宮本さんも自然と歴史ロマンの会の
会員でもなんでもない。是を解って下さいね。
私は日本で一番人気のない無名研究家ですが
どこの世界に自分で人気が全くないとわざと
ブログで言う人がいますか?深く洞察し慧眼
ある人は全て看破されていますよ。

神屋宗湛
出典: フリー百科事典
『ウィキペディア(Wikipedia)』
神屋 宗湛(かみや そうたん、天文20年1月1日
(1551年2月6日) - 寛永12年10月28日
(1635年12月7日))は、戦国時代から
江戸時代前期にかけての博多商人、茶人。
神屋氏の第6代当主。出家前の諱は貞清。
島井宗室・大賀宗九とともに「博多の三傑」
と呼ばれる。 
天文20年(1551年)、博多の豪商神屋家
5代当主・神屋紹策の子として誕生。 神屋
氏は代々博多の貿易商人の家であり、曽祖
父の神屋寿貞は石見銀山を発見し、日本へ
の灰吹法導入によって本格的開発に携わっ
た人物であった。 天正10年(1582年)
5月、同じ博多の豪商島井宗室と共に上洛
し、時の天下人・織田信長と近江国安土城
にて謁見した。信長の保護を得ることで、
当時九州で日の出の勢いで勢力を拡大して
いた島津氏を抑えるとともに、豪商として
の地位をさらに極めようと考えた。とある。


コメント (1)
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滋賀民俗学会  菅沼晃次郎先生  日本人の本音と立て前の文化の追想

2020-02-13 10:17:12 | 民俗学
滋賀民俗学会  菅沼次晃郎先生 
 日本人の本音と立て前の文化の追想

活動歴50年以上を誇る民俗学冊子『滋賀民俗学』は
会長、菅沼先生の御逝去をもって、その会誌は残念
ながら幕を閉じた私事ながら私は当会の会員であり
後期には理事に推挙された。当誌は滋賀県内図書館
にも収録されており私が昔日に記した犬上郡の明智
光秀伝説と城郭についても収録されており是非とも
県内の後進の民俗学を志す人には一読を推薦したい。

さて菅沼先生晩年の連載には「日本人の本音と立て前
の文化」が掲載され私はその冷静な日本人の持つ習慣
や文化を大観する機会を得た事に改めて感謝したい。

第一級文献資料と評される太田牛一の著した『信長
公記』にも日本人の持つている本音と立前が明に記
録した資料が残っている。昨今国会討論がテレビで
放映されているが、日本人の本音と立前が生々しく
錯綜し国政を担う議会が紛糾混乱する様子は残念だ。

『信長公記』原文によると
「四月十九日、守山の織田孫三郎殿、清洲の城南矢蔵
へ御移り、表向は此の如くにて、ないしんは信長と仰
せ談ぜられ、清洲を宥め、取り進めらるべきの間、」
と記録されている。

この文章の中では
「表向」おもてむき、つまり、タテマエが表現される
「ないしん」内心、つまり、孫三郎の本音に該当する

※現代令和の時代となっても
本音/内心/「表向」
タテマエ「型式」
表裏の世界が今も継承されている。
柔らかく穏やかなな「たてまえ」は良い
流行、詐欺、牽制、誘導には注意したい。

ウイッキペデイア織田信光によると
「『信長公記』によると、信長と敵対する織田大和守家
当主・織田信友の重臣・坂井大膳の誘いに応じるふりをし、
天文24年(1555年)4月19日に清洲城に入城。翌20日、
信友を謀殺して清洲城を奪い、大膳は今川義元の下に逃
れた。 信光は信長に清洲城を渡すと、自身は信長より
譲られた那古屋城に入ったが、弘治元年11月26日
(1556年1月7日)に不慮の死を遂げた。『甫庵信長記』
によると、近臣で北の方(信光夫人)と通じていた坂井
孫八郎により殺害されたという。 」とある。

人間の歴史とは絶えず本音とタテマエの文化の
連続である。ウソを言うや。人のネタやタネを
巧妙に搾取して栄え正直で誠実な者が敗れ去る。


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