城郭 長谷川博美 基本記録

城郭遺跡見学講師 信長公記講師 お城イベント案内 民俗学講師  神道思想史講師 などの情報を発信して行きます。

既に存在しない遺構 近江大森山城腰郭城館群

2020-02-26 21:10:57 | 城郭
既に存在しない遺構 近江大森山城腰郭城館群

城址見学をしていますと先日まで存在
していた遺構や遺跡が、今週にも既に
無くなっており城址見学を希望される
人には先週まで存在しましたがと断る
事が有ります。日本全国は遺跡だらけ
人類の歴史は創造と破壊を繰り返して
おりますので私は遺跡が壊れる事には
いつも傍観している立場の人間であり
遺跡保護活動の履歴は一切ありません。
遺跡保護の関するアドバイスの立場で
もありません。しかし大森城の腰郭は
どんな様な遺跡だと聞かれてお答えす
る時もあります。ただ私は公共事業の
計画のある場合はお答えはできません。
県外で私が発掘のアルバイトに関わる
場合も常識として是をブログや写真に
は絶対掲載しないで下さいと公務員様
に言われます。私は公共工事の進捗を
希望するタイプの人間ですから是非、
誤解の無いようお願い申し上げます。

先ず①②③④は現在の大森城の東方
の位地した腰郭です。大森城からの
落差/比高差は約15mほどの高い岸
になっておりました。①②②④の長
さは約60m以上ありました。⑤⑥⑦
と溝状のたて堀がありました。⑧は
規模の大きなたて堀で約10m巾です
⑧⑨と嶮しい竪堀になっていました。⑩は腰郭⑩
左に短い土塁や虎口の跡があれました。⑪は横矢
で⑪の右は虎口です。⑫も横矢で⑪⑫は1セット
になった相横矢ともいえましょう。⑫と⑬の間も
竪堀が存在しました。⑬は腰郭の中に設けられた
櫓台です。⑭これも削平地腰郭です。⑭から⑮に
到と堅固な土塁が存在しましたその高さ2㍍です。
⑮の土塁の左には犬走が存在しました。⑯は虎口
もしくは小規模な虎口です。23は建物基壇でその
排水路口が⑯と思われます。⑰⑱土塁に横矢があ
⑲はこの屋敷の正門と推定されるもので⑱と⑲と

⑳で喰い違い虎口の様式になっていました。24は
門の前面の武者溜りや外桝形に相当します。この
片の縄張りは信長家臣となった布施藤九郎の織豊
形城郭にも属す複雑なものです。25は枡形の外の
出口になってました。ここでこの曲輪「郭」は⑯
と⑲の2つの虎口を持つ非常に室町様式としても
格式の高い身分の高い人物の曲輪「郭」と思われ
ます。⑮から⑳までの長さは約36.6mと堂々たる
本格的に郭でした。21は深く掘削した工事がなさ
れていました。29たて堀です。22は⑲り蔀に相当
します。23は建物基壇。2、は2段の犬走りで⑲の
虎口全面を用意周到に防御しています。27たて土塁
26は溝です。26右は横矢。30は郭の跡です。31は
枡形です。32は土塁と櫓土塁です。42は溜池水堀
でした。曲輪「郭」です。34は横矢と土塁です。
35、36と土塁は続き横堀は37で堀止められいま
した。38は横矢と虎口40短い土塁て゛す。39は
左右に横矢を設けて虎口を防御していました。
この遺跡の全体規模は縮尺を参考にしても解
ると思いますが60間×60間つまり3600坪もある
起きな規模の遺跡でした。見学した人は一部
少数ですが驚くばかりの規模の大きいものです。
今回もう既に現地には存在せず工事も無いとの
事今回は紹介させて頂きました。通じ様私の
ブログは地図や遺跡も場所を明記していません。
これは林道工事が進捗する事を願っての事です。

コメント (1)
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安土城と丹羽五郎左衛門尉長秀の家紋による民俗学的考察

2020-02-26 20:09:27 | 規矩術、ビイスタ工法、城郭平面幾何学、
城郭ビイスタ論 上文字クリック

安土城と丹羽五郎左衛門尉長秀の家紋による民俗学的考察

◆はじめに

私にとり長秀は馴染のあるごく身近
にある戦国武将である。彦根鳥居本
の百々屋敷丸山城も一時期佐和山城
包囲戦の時に城主だったり虎御前山
城の現在既に遺構が破壊され存在し
ない伝丹羽長秀砦や『信長公記』に
は城代として記録さている事は既に
述べてたまた同記では安土城築城の
現場監督総普請奉行であった事述べ
た。彼は坂本城や最後は越前北庄の
城主として割腹自殺して、亡くなる。

◆安土城ビスタ論
私は昔日より、安土城が放射線状に
縄張されている事を繰返し述べてい
る。おそらく測量台を安土に構えて
放射状に縄張を展開したと思われる。
◆扇形を丹羽長秀が用いたのか?
さて民俗学的見地や人間心理か
ら類推すると丹羽氏の定紋は
扇紋であり彼の基本性格をプロ
フアイル分析すると一度皇室よ
り九州の名族惟住姓を下賜され
たが後に再び丹羽姓に服してい
る。これは彼丹羽氏が丹羽なる
姓名や自らのアイデンティテイ
つまり丹羽氏族としての自負や
誇りを持っていた事であろう。
従って丹羽長秀は扇紋の造形に
常に潜在的に顕在的にも固執し
ていた可能性があると私は思う。

▼ 丹羽長秀 扇紋
長谷川
御指摘によりますと丹羽長秀は扇紋
ではないのではと言う御指摘があり
ました。御指摘に感謝致します。
◆安土城天主台 石蔵の対角線考察
また私は当該ブログで安土城天主内部
石蔵にはその基礎設計構想において対角線状
の幾何学存在を既に何度も指摘している。
この角度も並行四辺形の対角線を有する事も述べた。
さて丹羽長秀のシンボルマーク彼の家紋
筋違紋は非常に有名な対角線紋様である。
丹羽直違(にわすじかい) を検索すると
  丹羽直違(にわすじかい)「直違紋」
の一種。丹羽直違は、通常の直違より角度
がついているのが特徴である。 直違(筋違)
は、柱と柱の間に建物の補強用木材のこと
であることから、家紋として使用する場合
は家や城を守るという意味が込められている
。一説には、呪術的な意味が込められている
といわれる。 丹羽直違は、 合戦の最中、血ま
みれになった刀を布でぬぐったところ、布に
×状に血が付いたことが始まりとも、馬印の
短冊が激しい戦闘のなかで二枚だけ残ったの
が始まりだとも伝えられる。              

コメント (3)
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近所の犬を見て涙する私

2020-02-26 19:22:46 | エッセイ
近所の犬を見て涙する私

近所の人が散歩に連れて
元気に歩いている柴犬の
ポンキチ君を見ていると
元気を私はもらう事が出
来た健気に楽しくシッポ
を一生懸命振りながら私
を横目でチラツと見る犬
の姿は可愛らしいものだ。
ある日ポンキチ君の犬小
屋を見ると犬小屋はなく
彼はこの世にいなかった。
ありがとう、ポンキチ君。
冬に涙を逃すと湯の様に
なま暖かく感じるものだ。

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