信長公記 信長かぶり食い
◆長谷川
織田信長の青年期の行儀は悪かった
『信長公記』には青年期の織田
信長の路上食事風景を描写して
いる。「ここに見悪き事あり。
その頃は世間公道なる析節にて候間、
◆長谷川
大名の子息でありながらも織田
信長の痛快な常識やぶりな食生活
の模様が描写されておもしろい事
ではありますがこの記述には暗喩
が含まれていると私は思ってます。
織田家紋五つ木瓜(いつつもっこう)
でウリ科植物の種子の切口の紋様
を意味しているのですよ。
◆長谷川
尾張名古屋中村の出身だった
藤吉郎は木下藤吉郎羽柴筑前
関白秀吉太閤秀吉へと次々に
立身出世して行った事は有名
です。『太閤記』には脚色が
ありますが文禄3年(1594)
6月28日九州名護屋城で秀吉が
開いた「瓜畑の遊び」は彼が
瓜販売商人の役を自らすると
い言う一種のアトラクション
ですが尾張名古屋の中村から
出て太閤にまで立身出世して
同じ韻を持つ肥前名護屋にて
瓜売商人の役を演じる訳です
が秀吉の瓜売り商人の売口上
は本格本物だった事でしょう
秀吉は本物の庶民出身です。
◆質問者
昭和の高度成長期の創業企業
の社長は大企業の社長になっ
も過去の赤貧の頃の話を社員
や関係者に語る習慣があった
と言われていますよね?
◆長谷川
太閤記の瓜の秀吉アトラクション
織田の家紋「もっこ」を売りった
事つまりは主家織田氏に代わって
藤吉郎が織田以上に成った比喩!
◆長谷川
実力派の男児とは家格や家譜
ではなく裸一貫で成り上がった
自分の功績履歴を披瀝し第三者
が認める様を見て自己満足する
ものですね!私は有名人二世の
名門だとは成功者の人は言わな
い心理が存在する訳ですよね
夜の明けない早朝から琵琶湖
で小魚を取って長浜の市場に
でお金に変えて虎姫高校へと
行く教科書やノート買ったと
か自分の家には畳が無かった
虎姫に下宿して初めて畳見て
招来は畳のある家に住む事や
会社経営をする事を志した人
の話はよく聞くお話なのです。
男は苦労し薪炭をなめ逆境か
ら大成したと言うお話ですね。
◆対談者
これは昭和の長浜虎姫話です。
◆対談者
秀吉の馬標は瓢箪ですね?
◆長谷川
瓢箪はウリ科と言う事です。
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