1月1日の夜、NHKスペシャルを見ました。6名の参加者が各々意見を言っていました。竹中平蔵氏は改革が停滞しているので、日本は景気が悪いと言ってましたが、正直自分には政治経済の知識が足りないため、どのように判断を下してよいか分かりませんでした。(それと、元旦の夜で、いい調子でビールとワインを飲んでたので、あまり集中して見ていませんでした)
そこで、「株式日記と経済展望ブログ」や、植草一秀氏の記事を読んでみますと、小泉・竹中氏が主導してきた政治が、良くない結果を招いたという見方が正しいと思うようになりました。
<株式日記と経済展望から転載>
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「テレビ朝日」や「テレビ東京」は、自ら「市場原理主義」を推進してきた
経緯を踏まえて、竹中平蔵に対して「詭弁」を弄する機会を与えている。
◆市場原理主義者の詭弁-NHKスペシャルから- 1月 2日 植草一秀
元日夜にNHKが経済問題、国際政治をテーマに討論番組を放送した。「市場原理主義者」と「反市場原理主義者」の討論が行われた。
竹中平蔵氏と八代尚宏氏が「市場原理主義者」の代表として討論に参加した。旧外務官僚の岡本行夫氏も小泉政権の首相補佐官として「市場原理主義者」を擁護する発言を提示した。
竹中氏は「市場原理主義」の言葉を使われることを好まないらしい。「市場原理主義」は小泉竹中政治が実行した政策を表現する上で、もっとも的確な言葉であるが、的確であるがゆえにこの言葉が市民権を得ることに抵抗を感じるのだろう。
竹中氏の発言はワンパターンである。竹中氏の発言を要約すると以下のようになる。
サブプライム危機と言われるが、株価下落は日本の方が米国よりも大幅である。日本の不況深刻化には日本独自の理由がある。三つの問題がある。第一は「改革」が停滞して、経済成長の予想が低下したこと。「期待成長率」の低下が株価下落をもたらした。「期待成長率」が低下した理由は「改革」が逆戻りしているためだ。第二は「コンプライアンス不況」。さまざまな分野で規制が強化されて不況が生じている。これも「改革」の逆行が原因だ。第三は日銀の金融緩和が不十分であること。ゼロ金利政策解除、量的金融緩和政策の解除が不況深刻化の原因だ。日銀が金融緩和を強化して、「改革」を進めることが問題解決に不可欠だ。
これが竹中氏の主張だ。番組に出演したほとんどの識者が竹中氏の発言を冷ややかな視線で聞いた。
竹中氏は「分配の格差」、「生存権を脅かされる労働者」、「年金制度の崩壊」、「後期高齢者医療制度」、「セーフティネットにカバーされない多数の国民」の問題に対して、まったく解答を示すことができない。
小泉竹中政治は、財政収支の数字を改善させるために、内容を吟味せずに、社会保障費の削減に突き進んだ。社会保障費を毎年度2200億円削減する方針を定めた「骨太2006」。竹中氏は、「社会保障費そのものを削減しているわけではない。自然増が大きいから自然増を2200億円圧縮するだけだ」と言う。
人口の年齢別構成が急激に高齢化しているのだから、社会保障支出が増加するのは必然だ。自然増を圧縮するのは社会保障のサービス水準を切り下げることを意味する。社会保障費を削減することが、どのような問題を引き起こすのかについて、詳細を吟味せずに財政収支の辻褄(つじつま)合わせのために社会保障費の削減に突き進んだ。その弊害(へいがい)が至るところで噴出(ふんしゅつ)している。
社会保障費削減のひずみは、高齢者、障害者、低所得者、母子世帯など、経済的弱者を直撃してきた。斉藤貴男氏は「競争促進と言うが、競争を開始する時点での条件に大きな格差がついているのだから、正当な競争になっていない」と指摘した。
竹中氏は「がんばった人が報われる社会」が望ましいとして、結果における「格差拡大」を奨励してきたが、現実には、「一生懸命にがんばっているのにまったく報われない国民」がますます増大し、自由放任された金融市場のひずみを活用して、とても正当とは言えぬ不労所得を巨大に築いた人物を、竹中氏が絶賛しただけだった。
財政収支を改善するのなら、まず「天下り特権」などの「政治利権」を根絶するのが先決である。「官僚利権」を根絶し、セーフティネットを強化する「改革」が行われたのなら国民は賛同するだろう。しかし、現実は逆だ。セーフティネットを破壊して「官僚利権」が温存されてきた。
竹中氏は制度を変更することを「改革」と呼び、内容を示さずに「改革」が必要だと繰り返す。しかし、「制度の変更」には「望ましい制度変更」と「望ましくない制度変更」の二つがある。竹中氏が推進した「制度変更」は「望ましくない制度変更」だった。
小泉竹中政治は労働市場の規制緩和を推進した。八代氏もその中心人物の一人だった。竹中氏は働き方の多様化が求められたと言うが、製造業への派遣労働の解禁などの制度変更は、労働コスト削減を求める「資本」の要請を反映して決定されたものだ。「資本」にとっては、①労働者の賃金が安く、②労働者をいつでも解雇でき、③労働者に対する福利厚生を削減できる、ことが望ましい。
「資本にとって望ましい」ということは、「労働にとって望ましくない」ことを意味する。竹中氏や八代氏が推進したことは「労働」に犠牲を強いて「資本」に利得を与える「制度変更」だった。
このような制度変更を実施しつつ、解雇される労働者に対する保障を強化しなければ、深刻な不況が発生する局面で、労働者が厳しい状況にさらされるのは当たり前だ。
深刻な不況が日本を襲っている理由についての竹中氏の説明はまったく実情を説明していない。深刻な不況は「外需依存型経済」を強めた日本経済が、急激な海外景気悪化と日本円の急上昇に直面して発生しているものだ。
2002年から2006年にかけての日本の超金融緩和政策、および過剰なドル買い為替介入政策は、二つの重大な副作用を残した。ひとつは、米ドルに連動する形での日本円の他の主要通貨に対する暴落を招いたこと。いまひとつは、米ドルが日本円に対して下落しなかったために米国の金融緩和を長期化させてしまったことである。
米国の超金融緩和政策の長期化が米国の不動産バブルを生み出し、サブプライム金融危機発生の原因になった。サブプライム金融危機の遠因に日本の超金融緩和政策が存在することを見落とすことはできない。
2000年から2008年にかけて日本円は米ドルとともに他の主要通貨に対して暴落した。この長期円安が、日本の著しい「外需依存型経済」を生み出し、昨年7月以降の急激な日本円上昇の原因になった。竹中氏は日銀の超金融緩和政策をいまだに求めているが、日本の超金融緩和政策の副作用についての認識が完全に欠落している。
企業に対して、景気変動に連動する雇用削減を容認するのであれば、仕事を失う労働者の生活を支えるセーフティネットを強化することが不可欠である。竹中氏と八代氏がそのような施策実現に注力した形跡はない。政府は雇用保険の制度縮小を促進してきた。企業と政府の負担軽減が目的だった。
八代氏は正規雇用労働者と非正規雇用労働者の処遇均等化を主張してきたと述べたが、八代氏が主張してきたことは正規雇用労働者の処遇引き下げであって、非正規雇用労働者の処遇改善ではない。つまり、八代氏も竹中氏も「資本の論理」を代弁してきただけに過ぎない。
「市場原理主義」は「資本の論理」そのものである。「市場原理主義」を追求し続けた結果、日本社会の安定性が破壊された。「市場原理主義」を明確に否定して、「所得再分配」を強化し、国民の「生存権」を確実に確保するための「セーフティネット」を再構築することが求められる。
「市場原理主義者」はみずからの誤りを謙虚に認めるべきである。「所得再分配」、「生存権重視」、「社会民主主義」を重視する論者が「市場原理」を全面的に否定しているわけではない。「市場メカニズム」を基本に据えつつ、「市場原理」にすべてを委ね、「結果における格差拡大」を奨励する「原理主義」に対して、根本からの見直しを求めているのだ。
マスメディアが「市場原理主者」を単独で登場させれば、「市場原理主義者」は自らの過ちを隠蔽(いんぺい)して、自らを正当化する詭弁(きべん)を滔滔(とうとう)とまくし立てる。「テレビ朝日」や「テレビ東京」は、自ら「市場原理主義」を推進してきた経緯を踏まえて、「市場原理主義者」に対して「詭弁」を弄する機会を与えているが、視聴者は「詭弁」を見抜かなければならない。
「市場原理主義者」を総括し、「市場原理主義」から「人間尊重主義」、「社会民主主義」に明確に方向を転換することが求められる。
『株式日記と経済展望ブログ管理人のコメント』
元日のNHKの番組で「新春ガチンコトーク」というスペシャル番組がありましたが、竹中平蔵と金子勝のバトルトークが面白かった。市場原理主義を是とするか非とするかはすでに結論は出ている。大企業は「派遣切り」で労働者のクビを切っているし、派遣労働者はクビを切られると住む家も追い出されてしまう。
日本の歴史には奴隷階級は存在しなかったのですが、トヨタやキヤノンといった国際的大企業は奴隷階級を必要としている。つまり正社員は非常に大切にするが非正社員は雇用調整の道具にされて人ではなく物扱いにされてしまう。派遣社員は人ではなく物なのだ。派遣社員は人件費から給与が支払われるのではなく外注費なのだ。
中川秀直元幹事長は外国からの移民を1000万人受入れ政策を提言していますが、現在でもブラジルやペルーなどから日系外国人労働者を受け入れていますが、それを1000万人に増やそうという事らしい。また中国や韓国などからの不法滞在労働者もたくさんいる。企業にとってはこのような低賃金労働者を求めているのであり、日本の若者であろうと外人であろうと関係ない。
日本の支配階級にとっては奴隷が日本人であろうが外人であろうがかまわないのであり、派遣労働の規制の緩和を進めて外国から多くの低賃金労働者を持ってこれるようにしたい。アメリカの識者からも盛んに日本も外国人労働者を受け入れろという政策提言がなされるが、日本はアメリカのような市場原理主義を受け入れるべきではない。
金子氏などが批判するのは規制緩和の負の部分の総括であり、規制緩和で輸出企業は儲けて内部留保をたくさん溜め込んでいるのに対して、雇用分配率は下がりっぱなしになっている。それにもかかわらず竹中氏は法人税を下げろとさらなる提言をしている。つまり竹中氏は大企業の犬でありアメリカの忠実なる犬なのだ。
市場原理主義とは資本家や経営者の論理であり、労働者の原理ではない。だから小泉内閣では労働分配率が下がりっぱなしだ。トヨタやキヤノンにとっては国内は市場ではなくアメリカが主な市場であり、国内の市場は労働分配率が上がって消費が増えなければ市場は拡大しない。
1991年に共産主義が破綻して2009年は資本主義が破綻する年となるだろう。アメリカでは金融機関や自動車メーカーが国有化されていっていますが、鉄鋼メーカーも国に救済を求めている。アングロサクソンの文化は弱肉強食の文化であり、敗者は市場から退場させられるのが原則だ。しかしアメリカ政府はその原則を棄てて社会主義国家になりつつある。
日本は以前から最も進んだ社会主義国家と言われてきましたが、竹中氏は市場原理主義を取り入れて会社は株主のものであるとする資本主義に変えようとした。その結果派遣労働者という社会の底辺から這い上がれない奴隷階級を作ってしまった。ワーキングプアといわれる人たちだ。
日本人はこれを肯定する事はないだろう。確かに小泉改革で大企業は豊かになりバブル期を上回るほどの利益を上げている。しかしその利益は内部留保されて労働者には回ってこなかった。そして株主や役員報酬は倍増した。これが金融資本主義ですが、格差を広げるばかりで貧しいものから収奪するものがなくなれば破綻する仕組みだ。すなわち金融資本主義とはねずみ講と同じであり鴨がいなくなれば破綻する。
アメリカは国家戦略として金融立国を目指してきましたが、アメリカ自らネズミ講のネズミになってしまった。アイスランドは金融立国として成功したかに見えましたが、一番最初に国家破綻してしまった。アイスランドは危険を知らせるカナリアであり金融立国はいずれこうなるという警告を発しているのであり、アメリカもいずれそうなるのかもしれない。
90年代から現在に至るまで絶えず米英などから改革しろという圧力をかけられて、英米型の資本主義を目標としてきた。確かにウォール街やシティは金融の中心地となり、日本も物作りから金融立国を目指せという学者が多かった。米英がバブル景気に沸いていればそれは正論に思えた。日本には個人の金融資産が1500兆円もあるのだから押しも押されぬ金融大国である。しかしアイスランドや英国やアメリカは外国からの借金で金融を行なっていたのであり、破綻すれば目も当てられない結果になる。
日本はバブルの崩壊の教訓から非常に慎重な金融で利回りも低かった。それに対して米英のファンドの利回りは高利回りであり、金融工学によるものといわれていた。しかし金融破綻してみると金融工学はペテンであり、金融工学商品は市場では売れないものになってしまった。ファンドの高利回りはレバレッジを効かせた運用によるものであり、本来は銀行のように規制されるべきものだ。ファンドは丁半博打をしてきたのであり、儲ければ自分のものであり負ければ政府に補填させてしまえば良いとしている。これではアメリカも破綻するのは時間の問題だ。
つまりアメリカは金融モラルそのものが腐りきっているのであり、竹中平蔵も日本をそのようにしようとしたのだ。誰だって税金を安くして非正規社員を増やして賃金をカットすれば大企業は儲かる。不景気になれば真っ先に派遣切りを行なっていますが、大企業の幹部も経営モラルが腐りきっているのだ。
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●株式日記と経済展望ブログ
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/d/20090103
●植草一秀氏のブログ
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/nhk-05d0.html
そこで、「株式日記と経済展望ブログ」や、植草一秀氏の記事を読んでみますと、小泉・竹中氏が主導してきた政治が、良くない結果を招いたという見方が正しいと思うようになりました。
<株式日記と経済展望から転載>
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「テレビ朝日」や「テレビ東京」は、自ら「市場原理主義」を推進してきた
経緯を踏まえて、竹中平蔵に対して「詭弁」を弄する機会を与えている。
◆市場原理主義者の詭弁-NHKスペシャルから- 1月 2日 植草一秀
元日夜にNHKが経済問題、国際政治をテーマに討論番組を放送した。「市場原理主義者」と「反市場原理主義者」の討論が行われた。
竹中平蔵氏と八代尚宏氏が「市場原理主義者」の代表として討論に参加した。旧外務官僚の岡本行夫氏も小泉政権の首相補佐官として「市場原理主義者」を擁護する発言を提示した。
竹中氏は「市場原理主義」の言葉を使われることを好まないらしい。「市場原理主義」は小泉竹中政治が実行した政策を表現する上で、もっとも的確な言葉であるが、的確であるがゆえにこの言葉が市民権を得ることに抵抗を感じるのだろう。
竹中氏の発言はワンパターンである。竹中氏の発言を要約すると以下のようになる。
サブプライム危機と言われるが、株価下落は日本の方が米国よりも大幅である。日本の不況深刻化には日本独自の理由がある。三つの問題がある。第一は「改革」が停滞して、経済成長の予想が低下したこと。「期待成長率」の低下が株価下落をもたらした。「期待成長率」が低下した理由は「改革」が逆戻りしているためだ。第二は「コンプライアンス不況」。さまざまな分野で規制が強化されて不況が生じている。これも「改革」の逆行が原因だ。第三は日銀の金融緩和が不十分であること。ゼロ金利政策解除、量的金融緩和政策の解除が不況深刻化の原因だ。日銀が金融緩和を強化して、「改革」を進めることが問題解決に不可欠だ。
これが竹中氏の主張だ。番組に出演したほとんどの識者が竹中氏の発言を冷ややかな視線で聞いた。
竹中氏は「分配の格差」、「生存権を脅かされる労働者」、「年金制度の崩壊」、「後期高齢者医療制度」、「セーフティネットにカバーされない多数の国民」の問題に対して、まったく解答を示すことができない。
小泉竹中政治は、財政収支の数字を改善させるために、内容を吟味せずに、社会保障費の削減に突き進んだ。社会保障費を毎年度2200億円削減する方針を定めた「骨太2006」。竹中氏は、「社会保障費そのものを削減しているわけではない。自然増が大きいから自然増を2200億円圧縮するだけだ」と言う。
人口の年齢別構成が急激に高齢化しているのだから、社会保障支出が増加するのは必然だ。自然増を圧縮するのは社会保障のサービス水準を切り下げることを意味する。社会保障費を削減することが、どのような問題を引き起こすのかについて、詳細を吟味せずに財政収支の辻褄(つじつま)合わせのために社会保障費の削減に突き進んだ。その弊害(へいがい)が至るところで噴出(ふんしゅつ)している。
社会保障費削減のひずみは、高齢者、障害者、低所得者、母子世帯など、経済的弱者を直撃してきた。斉藤貴男氏は「競争促進と言うが、競争を開始する時点での条件に大きな格差がついているのだから、正当な競争になっていない」と指摘した。
竹中氏は「がんばった人が報われる社会」が望ましいとして、結果における「格差拡大」を奨励してきたが、現実には、「一生懸命にがんばっているのにまったく報われない国民」がますます増大し、自由放任された金融市場のひずみを活用して、とても正当とは言えぬ不労所得を巨大に築いた人物を、竹中氏が絶賛しただけだった。
財政収支を改善するのなら、まず「天下り特権」などの「政治利権」を根絶するのが先決である。「官僚利権」を根絶し、セーフティネットを強化する「改革」が行われたのなら国民は賛同するだろう。しかし、現実は逆だ。セーフティネットを破壊して「官僚利権」が温存されてきた。
竹中氏は制度を変更することを「改革」と呼び、内容を示さずに「改革」が必要だと繰り返す。しかし、「制度の変更」には「望ましい制度変更」と「望ましくない制度変更」の二つがある。竹中氏が推進した「制度変更」は「望ましくない制度変更」だった。
小泉竹中政治は労働市場の規制緩和を推進した。八代氏もその中心人物の一人だった。竹中氏は働き方の多様化が求められたと言うが、製造業への派遣労働の解禁などの制度変更は、労働コスト削減を求める「資本」の要請を反映して決定されたものだ。「資本」にとっては、①労働者の賃金が安く、②労働者をいつでも解雇でき、③労働者に対する福利厚生を削減できる、ことが望ましい。
「資本にとって望ましい」ということは、「労働にとって望ましくない」ことを意味する。竹中氏や八代氏が推進したことは「労働」に犠牲を強いて「資本」に利得を与える「制度変更」だった。
このような制度変更を実施しつつ、解雇される労働者に対する保障を強化しなければ、深刻な不況が発生する局面で、労働者が厳しい状況にさらされるのは当たり前だ。
深刻な不況が日本を襲っている理由についての竹中氏の説明はまったく実情を説明していない。深刻な不況は「外需依存型経済」を強めた日本経済が、急激な海外景気悪化と日本円の急上昇に直面して発生しているものだ。
2002年から2006年にかけての日本の超金融緩和政策、および過剰なドル買い為替介入政策は、二つの重大な副作用を残した。ひとつは、米ドルに連動する形での日本円の他の主要通貨に対する暴落を招いたこと。いまひとつは、米ドルが日本円に対して下落しなかったために米国の金融緩和を長期化させてしまったことである。
米国の超金融緩和政策の長期化が米国の不動産バブルを生み出し、サブプライム金融危機発生の原因になった。サブプライム金融危機の遠因に日本の超金融緩和政策が存在することを見落とすことはできない。
2000年から2008年にかけて日本円は米ドルとともに他の主要通貨に対して暴落した。この長期円安が、日本の著しい「外需依存型経済」を生み出し、昨年7月以降の急激な日本円上昇の原因になった。竹中氏は日銀の超金融緩和政策をいまだに求めているが、日本の超金融緩和政策の副作用についての認識が完全に欠落している。
企業に対して、景気変動に連動する雇用削減を容認するのであれば、仕事を失う労働者の生活を支えるセーフティネットを強化することが不可欠である。竹中氏と八代氏がそのような施策実現に注力した形跡はない。政府は雇用保険の制度縮小を促進してきた。企業と政府の負担軽減が目的だった。
八代氏は正規雇用労働者と非正規雇用労働者の処遇均等化を主張してきたと述べたが、八代氏が主張してきたことは正規雇用労働者の処遇引き下げであって、非正規雇用労働者の処遇改善ではない。つまり、八代氏も竹中氏も「資本の論理」を代弁してきただけに過ぎない。
「市場原理主義」は「資本の論理」そのものである。「市場原理主義」を追求し続けた結果、日本社会の安定性が破壊された。「市場原理主義」を明確に否定して、「所得再分配」を強化し、国民の「生存権」を確実に確保するための「セーフティネット」を再構築することが求められる。
「市場原理主義者」はみずからの誤りを謙虚に認めるべきである。「所得再分配」、「生存権重視」、「社会民主主義」を重視する論者が「市場原理」を全面的に否定しているわけではない。「市場メカニズム」を基本に据えつつ、「市場原理」にすべてを委ね、「結果における格差拡大」を奨励する「原理主義」に対して、根本からの見直しを求めているのだ。
マスメディアが「市場原理主者」を単独で登場させれば、「市場原理主義者」は自らの過ちを隠蔽(いんぺい)して、自らを正当化する詭弁(きべん)を滔滔(とうとう)とまくし立てる。「テレビ朝日」や「テレビ東京」は、自ら「市場原理主義」を推進してきた経緯を踏まえて、「市場原理主義者」に対して「詭弁」を弄する機会を与えているが、視聴者は「詭弁」を見抜かなければならない。
「市場原理主義者」を総括し、「市場原理主義」から「人間尊重主義」、「社会民主主義」に明確に方向を転換することが求められる。
『株式日記と経済展望ブログ管理人のコメント』
元日のNHKの番組で「新春ガチンコトーク」というスペシャル番組がありましたが、竹中平蔵と金子勝のバトルトークが面白かった。市場原理主義を是とするか非とするかはすでに結論は出ている。大企業は「派遣切り」で労働者のクビを切っているし、派遣労働者はクビを切られると住む家も追い出されてしまう。
日本の歴史には奴隷階級は存在しなかったのですが、トヨタやキヤノンといった国際的大企業は奴隷階級を必要としている。つまり正社員は非常に大切にするが非正社員は雇用調整の道具にされて人ではなく物扱いにされてしまう。派遣社員は人ではなく物なのだ。派遣社員は人件費から給与が支払われるのではなく外注費なのだ。
中川秀直元幹事長は外国からの移民を1000万人受入れ政策を提言していますが、現在でもブラジルやペルーなどから日系外国人労働者を受け入れていますが、それを1000万人に増やそうという事らしい。また中国や韓国などからの不法滞在労働者もたくさんいる。企業にとってはこのような低賃金労働者を求めているのであり、日本の若者であろうと外人であろうと関係ない。
日本の支配階級にとっては奴隷が日本人であろうが外人であろうがかまわないのであり、派遣労働の規制の緩和を進めて外国から多くの低賃金労働者を持ってこれるようにしたい。アメリカの識者からも盛んに日本も外国人労働者を受け入れろという政策提言がなされるが、日本はアメリカのような市場原理主義を受け入れるべきではない。
金子氏などが批判するのは規制緩和の負の部分の総括であり、規制緩和で輸出企業は儲けて内部留保をたくさん溜め込んでいるのに対して、雇用分配率は下がりっぱなしになっている。それにもかかわらず竹中氏は法人税を下げろとさらなる提言をしている。つまり竹中氏は大企業の犬でありアメリカの忠実なる犬なのだ。
市場原理主義とは資本家や経営者の論理であり、労働者の原理ではない。だから小泉内閣では労働分配率が下がりっぱなしだ。トヨタやキヤノンにとっては国内は市場ではなくアメリカが主な市場であり、国内の市場は労働分配率が上がって消費が増えなければ市場は拡大しない。
1991年に共産主義が破綻して2009年は資本主義が破綻する年となるだろう。アメリカでは金融機関や自動車メーカーが国有化されていっていますが、鉄鋼メーカーも国に救済を求めている。アングロサクソンの文化は弱肉強食の文化であり、敗者は市場から退場させられるのが原則だ。しかしアメリカ政府はその原則を棄てて社会主義国家になりつつある。
日本は以前から最も進んだ社会主義国家と言われてきましたが、竹中氏は市場原理主義を取り入れて会社は株主のものであるとする資本主義に変えようとした。その結果派遣労働者という社会の底辺から這い上がれない奴隷階級を作ってしまった。ワーキングプアといわれる人たちだ。
日本人はこれを肯定する事はないだろう。確かに小泉改革で大企業は豊かになりバブル期を上回るほどの利益を上げている。しかしその利益は内部留保されて労働者には回ってこなかった。そして株主や役員報酬は倍増した。これが金融資本主義ですが、格差を広げるばかりで貧しいものから収奪するものがなくなれば破綻する仕組みだ。すなわち金融資本主義とはねずみ講と同じであり鴨がいなくなれば破綻する。
アメリカは国家戦略として金融立国を目指してきましたが、アメリカ自らネズミ講のネズミになってしまった。アイスランドは金融立国として成功したかに見えましたが、一番最初に国家破綻してしまった。アイスランドは危険を知らせるカナリアであり金融立国はいずれこうなるという警告を発しているのであり、アメリカもいずれそうなるのかもしれない。
90年代から現在に至るまで絶えず米英などから改革しろという圧力をかけられて、英米型の資本主義を目標としてきた。確かにウォール街やシティは金融の中心地となり、日本も物作りから金融立国を目指せという学者が多かった。米英がバブル景気に沸いていればそれは正論に思えた。日本には個人の金融資産が1500兆円もあるのだから押しも押されぬ金融大国である。しかしアイスランドや英国やアメリカは外国からの借金で金融を行なっていたのであり、破綻すれば目も当てられない結果になる。
日本はバブルの崩壊の教訓から非常に慎重な金融で利回りも低かった。それに対して米英のファンドの利回りは高利回りであり、金融工学によるものといわれていた。しかし金融破綻してみると金融工学はペテンであり、金融工学商品は市場では売れないものになってしまった。ファンドの高利回りはレバレッジを効かせた運用によるものであり、本来は銀行のように規制されるべきものだ。ファンドは丁半博打をしてきたのであり、儲ければ自分のものであり負ければ政府に補填させてしまえば良いとしている。これではアメリカも破綻するのは時間の問題だ。
つまりアメリカは金融モラルそのものが腐りきっているのであり、竹中平蔵も日本をそのようにしようとしたのだ。誰だって税金を安くして非正規社員を増やして賃金をカットすれば大企業は儲かる。不景気になれば真っ先に派遣切りを行なっていますが、大企業の幹部も経営モラルが腐りきっているのだ。
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●株式日記と経済展望ブログ
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/d/20090103
●植草一秀氏のブログ
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/nhk-05d0.html