日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

開運の秘訣は「食」にあり  水野南北 2

2009-01-19 07:43:13 | 菜食・正食
 水野南北は、粗食を続ければ運は段々と良くなってくると言ってます。また、肉食は止めて、量も少なく食することが、開運につながると言ってます。人間の欲求は、食欲、睡眠欲、性欲、名誉欲などいろいろありますが、何と言っても食欲が一番強いと思います。水野南北は江戸時代の人々に対して、もっと粗食で少食にすべきだと言ってますが、江戸時代は肉食はほとんどされていませんし、米も一般の人々はあまり食べられなかったようですから、現代人から見ればそもそも粗食だったわけです。南北自身は、麦と大豆を基本とする相当な粗食をしていました。そんな南北が、現代の食のメニューを見たら、卒倒してしまうと思います。現代人の食は、超大凶食であると言うことでしょう。(それなのに、何故平均寿命がこんなに長いのかと疑問に思うかもしれません。その分病人も多いですが)
 肉料理も豊富で、しかもフランス料理、中華、イタリアン、タイ、インドなど世界の料理が何でも食べられる日本で、水野南北の言う粗食、少食、肉食禁止を実践することが、どれほど困難なことでしょうか。テレビでは料理番組を毎日放映していますし、不況と言ってもレストランやグルメ居酒屋はそこそこ繁盛してます。ファーストフードも以前のような100円バーガーではなくて、500円や1,000円もする豪華なメニューが人気があるようです。古い言葉ですが、飽食の日本で粗食や少食を実行することは至難の業だと思います。自分としては、できるだけやってみたいと思ってます。


 <水野南北の教え>

■また大いに食らうは強く勇ましい人の食といえよう。しかし強気にはみえるが多くの人の気をのがしてしまう。これは自然からの徳が薄いといえる。

■また、食を厳しく定めている人は、正しく誠意の心があるようにみえる。これはまた自然の徳といえよう。

■婦人が大いに食らうということになれば、それは夫を負かす、しのぐと言うことになる。男の食を侮りさげすむ気性にして、当然のことながら気は激しくなり夫を負かすことになる。しかし、夫の方が強ければそうした事態は成らない。したがって禄が安らかである。

■一方、少ない食で夫を負かす女はたいがい心がねじれており、みだらでよこしまといった悪女の類といえよう。すでに家の中が混乱していて心が乱れているときは、食そのものが乱れ、いっこうに揃わないものである。これは災いがあっての後か、まだ何ら災いもない場合には、災い、苦しみの前兆である。

■家の後継ぎ相続すでに決まった人があると言っても、日夜美食をほこりにして何一つ慎みがなければ、その家がやがて滅ぶ、無くなるときが来ていると知るべきだろう。若しくは家の主人が早く退くと言う前兆である。

■表にみえる物や形が厳重にみえるとはいっても、食が乱れ揃わない人は、心の中は厳重でなく只表のみ飾り立てる人である。

■食を厳しく定めるという心が在れば、それはひとえに心が厳重と言うことである。したがって、かたちや表も知らず知らずのうちに厳重になる。しかし、心が厳しくなくて顔ばかりが厳しい、というのであれば、これはやはり表のみを飾る人であるといえよう。

■一飯一菜を常食に貴人には食無く、小人に食ありという。つまり貴人は常に正しくしており、むやみと食べないが、小人はべらぼうに食らいながらなおその節度を知らない。これを見て次のように解釈できよう。貴人は食してその与えられた天命を知ることができるが、小人は食して己を忘れ去り、ついには自ら善をなくして しまう。故に食の少ない人はなお貴いといえる。

■いつもいつも小食の定めのある者が、もし病みついてしまったとき食を作らないとしたら、脈や血色がすこぶる良いといっても死なないことはない。必ずや死が訪れるものである。こうしたことは食が尽きて自然と滅ぶようになっている。だからさしたる罪はないし、病というほどのものもなく、困窮はさらにない。ともあれ、人々それぞれに分限、ほどほどの食がある。 

■身分の低い者は粗末な食事、粗食をもっぱらとして一飯一菜を常食とすれば良い。

 ●水野南北の教え
  http://www7a.biglobe.ne.jp/~nanboku/gaiyou.html

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関東最古の大社 「鷲宮神社」

2009-01-19 07:41:48 | 神社
 「らき☆すた」の記事に出ていた鷲宮神社について、ネットで調べたところ、大変由緒の正しい神社ということがわかりました。
 神代の時代に建立された神社ということですから、2000年以上前ということになります。また、名だたる武将から篤く信仰されていた神社ということです。
 このような由緒ただしい神社であれば、以前の会社にいるときに、参拝しておけばよかったと思いました。ただ、新宿から湘南新宿ラインで1時間弱で行けますので、今後機会を見て、一度参拝に行きたいと思います。

 ■鷲宮神社を信心していた武将
 藤原秀郷・源義家・源頼朝・源義経・北条時頼・北条貞時・新田義貞・小山義政・足利氏歴代・古河公方・関東管領上杉氏歴代・武田信玄・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康


 <鷲宮神社>
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 当神社は、出雲族の草創に係る関東最古の大社である。由緒は神代の昔に、天穂日宮とその御子武夷鳥宮とが、昌彦・昌武父子外二十七人の部族等を率いて神崎神社(大己貴命)を建てて奉祀したのに始まり、次に天穂日宮の御霊徳を崇め、別宮を建てて奉祀した。この別宮が現在の本殿である。
 崇神天皇の御世には、太田々根子命が司祭し、豊城入彦命、彦狭島命、御諸別王が、それぞれ幣帛を奉納した。
 景行天皇の御世には、日本武尊が当社の神威を崇め尊み、社殿の造営をし、併せて相殿に武夷鳥宮を奉祀した。
 桓武天皇の御世には、征夷大将軍坂上田村麿が、武運長久を祈り奥州鷲の巣に当社の御分社を奉祀した。
中世以降には、関東の総社また関東鎮護の神として、武将の尊崇が厚く、歴史上有利な武将だけでも藤原秀郷・源義家・源頼朝・源義経・北条時頼・北条貞時・新田義貞・小山義政・足利氏歴代・古河公方・関東管領上杉氏歴代・武田信玄・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康等があげられ、武運長久等を祈る幣帛の奉納や神領の寄進、社殿の造営等がなされた。なかでも江戸時代には、四百石の神領を与えられ、代々の将軍の名で朱印状が残されている。
 明治天皇の御世には、神祗官達により准勅祭社に定められ、勅使参向のもと幣帛の奉納がなされた。そして明治天皇行幸の際、当社に御少憩され、祭祀料として金壱封を賜り、昭和天皇の御世にも、幣帛を賜った。

●鷲宮神社
   http://www.washinomiyajinja.or.jp/
 

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