水野南北は、粗食を続ければ運は段々と良くなってくると言ってます。また、肉食は止めて、量も少なく食することが、開運につながると言ってます。人間の欲求は、食欲、睡眠欲、性欲、名誉欲などいろいろありますが、何と言っても食欲が一番強いと思います。水野南北は江戸時代の人々に対して、もっと粗食で少食にすべきだと言ってますが、江戸時代は肉食はほとんどされていませんし、米も一般の人々はあまり食べられなかったようですから、現代人から見ればそもそも粗食だったわけです。南北自身は、麦と大豆を基本とする相当な粗食をしていました。そんな南北が、現代の食のメニューを見たら、卒倒してしまうと思います。現代人の食は、超大凶食であると言うことでしょう。(それなのに、何故平均寿命がこんなに長いのかと疑問に思うかもしれません。その分病人も多いですが)
肉料理も豊富で、しかもフランス料理、中華、イタリアン、タイ、インドなど世界の料理が何でも食べられる日本で、水野南北の言う粗食、少食、肉食禁止を実践することが、どれほど困難なことでしょうか。テレビでは料理番組を毎日放映していますし、不況と言ってもレストランやグルメ居酒屋はそこそこ繁盛してます。ファーストフードも以前のような100円バーガーではなくて、500円や1,000円もする豪華なメニューが人気があるようです。古い言葉ですが、飽食の日本で粗食や少食を実行することは至難の業だと思います。自分としては、できるだけやってみたいと思ってます。
<水野南北の教え>
■また大いに食らうは強く勇ましい人の食といえよう。しかし強気にはみえるが多くの人の気をのがしてしまう。これは自然からの徳が薄いといえる。
■また、食を厳しく定めている人は、正しく誠意の心があるようにみえる。これはまた自然の徳といえよう。
■婦人が大いに食らうということになれば、それは夫を負かす、しのぐと言うことになる。男の食を侮りさげすむ気性にして、当然のことながら気は激しくなり夫を負かすことになる。しかし、夫の方が強ければそうした事態は成らない。したがって禄が安らかである。
■一方、少ない食で夫を負かす女はたいがい心がねじれており、みだらでよこしまといった悪女の類といえよう。すでに家の中が混乱していて心が乱れているときは、食そのものが乱れ、いっこうに揃わないものである。これは災いがあっての後か、まだ何ら災いもない場合には、災い、苦しみの前兆である。
■家の後継ぎ相続すでに決まった人があると言っても、日夜美食をほこりにして何一つ慎みがなければ、その家がやがて滅ぶ、無くなるときが来ていると知るべきだろう。若しくは家の主人が早く退くと言う前兆である。
■表にみえる物や形が厳重にみえるとはいっても、食が乱れ揃わない人は、心の中は厳重でなく只表のみ飾り立てる人である。
■食を厳しく定めるという心が在れば、それはひとえに心が厳重と言うことである。したがって、かたちや表も知らず知らずのうちに厳重になる。しかし、心が厳しくなくて顔ばかりが厳しい、というのであれば、これはやはり表のみを飾る人であるといえよう。
■一飯一菜を常食に貴人には食無く、小人に食ありという。つまり貴人は常に正しくしており、むやみと食べないが、小人はべらぼうに食らいながらなおその節度を知らない。これを見て次のように解釈できよう。貴人は食してその与えられた天命を知ることができるが、小人は食して己を忘れ去り、ついには自ら善をなくして しまう。故に食の少ない人はなお貴いといえる。
■いつもいつも小食の定めのある者が、もし病みついてしまったとき食を作らないとしたら、脈や血色がすこぶる良いといっても死なないことはない。必ずや死が訪れるものである。こうしたことは食が尽きて自然と滅ぶようになっている。だからさしたる罪はないし、病というほどのものもなく、困窮はさらにない。ともあれ、人々それぞれに分限、ほどほどの食がある。
■身分の低い者は粗末な食事、粗食をもっぱらとして一飯一菜を常食とすれば良い。
●水野南北の教え
http://www7a.biglobe.ne.jp/~nanboku/gaiyou.html
肉料理も豊富で、しかもフランス料理、中華、イタリアン、タイ、インドなど世界の料理が何でも食べられる日本で、水野南北の言う粗食、少食、肉食禁止を実践することが、どれほど困難なことでしょうか。テレビでは料理番組を毎日放映していますし、不況と言ってもレストランやグルメ居酒屋はそこそこ繁盛してます。ファーストフードも以前のような100円バーガーではなくて、500円や1,000円もする豪華なメニューが人気があるようです。古い言葉ですが、飽食の日本で粗食や少食を実行することは至難の業だと思います。自分としては、できるだけやってみたいと思ってます。
<水野南北の教え>
■また大いに食らうは強く勇ましい人の食といえよう。しかし強気にはみえるが多くの人の気をのがしてしまう。これは自然からの徳が薄いといえる。
■また、食を厳しく定めている人は、正しく誠意の心があるようにみえる。これはまた自然の徳といえよう。
■婦人が大いに食らうということになれば、それは夫を負かす、しのぐと言うことになる。男の食を侮りさげすむ気性にして、当然のことながら気は激しくなり夫を負かすことになる。しかし、夫の方が強ければそうした事態は成らない。したがって禄が安らかである。
■一方、少ない食で夫を負かす女はたいがい心がねじれており、みだらでよこしまといった悪女の類といえよう。すでに家の中が混乱していて心が乱れているときは、食そのものが乱れ、いっこうに揃わないものである。これは災いがあっての後か、まだ何ら災いもない場合には、災い、苦しみの前兆である。
■家の後継ぎ相続すでに決まった人があると言っても、日夜美食をほこりにして何一つ慎みがなければ、その家がやがて滅ぶ、無くなるときが来ていると知るべきだろう。若しくは家の主人が早く退くと言う前兆である。
■表にみえる物や形が厳重にみえるとはいっても、食が乱れ揃わない人は、心の中は厳重でなく只表のみ飾り立てる人である。
■食を厳しく定めるという心が在れば、それはひとえに心が厳重と言うことである。したがって、かたちや表も知らず知らずのうちに厳重になる。しかし、心が厳しくなくて顔ばかりが厳しい、というのであれば、これはやはり表のみを飾る人であるといえよう。
■一飯一菜を常食に貴人には食無く、小人に食ありという。つまり貴人は常に正しくしており、むやみと食べないが、小人はべらぼうに食らいながらなおその節度を知らない。これを見て次のように解釈できよう。貴人は食してその与えられた天命を知ることができるが、小人は食して己を忘れ去り、ついには自ら善をなくして しまう。故に食の少ない人はなお貴いといえる。
■いつもいつも小食の定めのある者が、もし病みついてしまったとき食を作らないとしたら、脈や血色がすこぶる良いといっても死なないことはない。必ずや死が訪れるものである。こうしたことは食が尽きて自然と滅ぶようになっている。だからさしたる罪はないし、病というほどのものもなく、困窮はさらにない。ともあれ、人々それぞれに分限、ほどほどの食がある。
■身分の低い者は粗末な食事、粗食をもっぱらとして一飯一菜を常食とすれば良い。
●水野南北の教え
http://www7a.biglobe.ne.jp/~nanboku/gaiyou.html