船井幸雄にんげんクラブのサイトに、経営難を乗り越えて、これから大きく発展すると思われる福井禎女氏の手紙が載ってます。
10年も経営難だったとのことですが、それを乗り越えた福井氏はすごい方だと思いました。ここには書かれていない、言うに言われぬ大変な思いをされたに違いないと思いました。私も福井氏を見習って、諦めずに地道に歩んで行きたいと改めて思いました。
<記事転載>
-----------------------
先月につづいてもう一度福井さんのお手紙を、その一部だけ紹介します。
これは2月18日付けのお手紙です。
今日の丹後路は野茂山も雪景色“浄化”の世界、私の好きな風景です。
先生、お身体の調子はいかがですか。
ご著書などを読ませていただき、
さらに先生のすごさ、やさしさ、強さを感じ感化され、
私も多くのエネルギーをいただいているようです。
本日、『ザ・フナイ』の高岡編集長よりお電話をいただき、
さらにありがたいことになりそうなので、とびきりのうれしさを味わっております。
あふれるほどのうれしさ繭に対する思いをどのように書かせていただこうかと考えておりますが
原稿〆切は四月末日だそうですのでゆっくり考えることができます。
(中略)
約十年間、私は経営難(資金調達)に苦しんできました。
子育て、親の介護なども担う私の不足分を懸命に補って働いてくれた社員を幸せにしたい!
という思いに反して印刷・出版業は年々きびしくなっていきました。
それでも自分史・歌集・句集など自費出版の注文がかなり多く、利益率が高いので助かりました。
併行して“まゆコロコロセラピー”の研究を続けました。
お体をお借りし、練習させていただくのですから、
十五年間は無料でコロコロ整体をさせていただきました。
また、モニターとして使っていただかなくてはなりませんので、
利益はでるどころか経費の方がかかりました。
それでも私はいつもワクワクしておりました。いつかは認められる。
会社の車庫を改装した狭い部屋に口コミで来られるお客様に
心をこめてコロコロマッサージをさせていただきました。
その効果に驚きの連続の日々、人類のために何かを広めたい!
とイベントにできる限り参加しました。
雑踏の中でのマッサージ・販売はおもしろいのですが、ハードです。
それでもあまり負担とは思いませんでした。
出会ってファンになってくださった方が六千人になりましたが、
まゆ商品は長持ちしますので、どんどん売れるものではありません。
クリームなど消耗品はリピーターがありますが―。
(中略)
その中で、コロコロセラピーは現代医学には通用しないのだと悟りました。
ところが大病院の先生方も看護師さんもこっそり来られるようになりました。
今では一日に三名くらいですが来店されます。
でも三名~五名入られると満員電車の中にいるようになるのでゆっくり落ち着いていただけません。
もっと広い所に行って、車椅子の方も入れるようにしたい!と考えておりました。
(中略)
知人の高田志郎氏より声がかかり、
元呉服屋の大きな建物を使わないかとのことでした。昨年の九月頃のことです。
高田氏は月一回船井総研・箕浦氏が来られる時、私を好意で呼んでくださっております。
アドバイスの一環としておっしゃっていただきました。
和風建築・築十五年、大きなホールもあり、部屋数も倉庫も多いのですが、
買い手が付かないのです。まゆセラピーだったら似合う建物だから……とのことです。
高田氏がスポンサーで、町の商店主の青年たちを集めて月一回夜、
箕浦氏を囲んで勉強会をしておられます。
その青年達の拠点としても使ってほしいとおっしゃっております。
高田氏は、船井先生のホームページを毎日見ておられ、
先生のご著書もかなり多く読んで勉強し、礼儀正しい人間味のある方です。
(中略)
高田氏より、よい話をいただいても私どもには資金力、販売力がありません。
しかし、まゆセラピー用品をもっと売れるようにしなければ会社は倒産する。
切羽つまった状態でした。ようやく社員もまゆセラピーの威力を認めるようになっております。
(中略)
宮津市は今、人口減、大手建築会社の相次ぐ倒産、税減などで悩んでいます。
ぜひ、広いところに移転してコロコロマッサージ技術者を養成し、
宿泊型の観光地をめざすためにも働いてほしいと市からも度々要請されております。
市長は丹後全体を癒しの里、絹の里にしようという構想をもっておられるようです。
そんな時、主人が読ませていただいた本『2009年 資本主義大崩壊!』
の中で先生のご病気のことを知り、先生とのご縁ができました。奇跡的なことです。
やっと広い建物のところに移ってもいいのではないかという気分になりました。
船井先生が応援してくださる!あー、やっと私は希望がはっきりと見えました。
市長さんもとても喜んでくださいました。長いトンネルを抜けた気分です。
日本の農村部の産業として根ずく可能性もあります。
こんなにうれしいこと、人生にはあるものなのですね。神さまのおはからいだと思います。
(中略)
平成二十一年二月十八日
福井禎女
船井幸雄先生
この3通を読みますと、世の中の変化がよく分ります。
いろんなところでそれぞれの人々が、いかに努力して生きておられるかもよく分ります。
2月~3月にかけまして感動したお手紙が多かったので、
3月には2通、そして今月は3通紹介しました。
感動は楽しいことです。
どうぞゆっくりお読みください。
10年も経営難だったとのことですが、それを乗り越えた福井氏はすごい方だと思いました。ここには書かれていない、言うに言われぬ大変な思いをされたに違いないと思いました。私も福井氏を見習って、諦めずに地道に歩んで行きたいと改めて思いました。
<記事転載>
-----------------------
先月につづいてもう一度福井さんのお手紙を、その一部だけ紹介します。
これは2月18日付けのお手紙です。
今日の丹後路は野茂山も雪景色“浄化”の世界、私の好きな風景です。
先生、お身体の調子はいかがですか。
ご著書などを読ませていただき、
さらに先生のすごさ、やさしさ、強さを感じ感化され、
私も多くのエネルギーをいただいているようです。
本日、『ザ・フナイ』の高岡編集長よりお電話をいただき、
さらにありがたいことになりそうなので、とびきりのうれしさを味わっております。
あふれるほどのうれしさ繭に対する思いをどのように書かせていただこうかと考えておりますが
原稿〆切は四月末日だそうですのでゆっくり考えることができます。
(中略)
約十年間、私は経営難(資金調達)に苦しんできました。
子育て、親の介護なども担う私の不足分を懸命に補って働いてくれた社員を幸せにしたい!
という思いに反して印刷・出版業は年々きびしくなっていきました。
それでも自分史・歌集・句集など自費出版の注文がかなり多く、利益率が高いので助かりました。
併行して“まゆコロコロセラピー”の研究を続けました。
お体をお借りし、練習させていただくのですから、
十五年間は無料でコロコロ整体をさせていただきました。
また、モニターとして使っていただかなくてはなりませんので、
利益はでるどころか経費の方がかかりました。
それでも私はいつもワクワクしておりました。いつかは認められる。
会社の車庫を改装した狭い部屋に口コミで来られるお客様に
心をこめてコロコロマッサージをさせていただきました。
その効果に驚きの連続の日々、人類のために何かを広めたい!
とイベントにできる限り参加しました。
雑踏の中でのマッサージ・販売はおもしろいのですが、ハードです。
それでもあまり負担とは思いませんでした。
出会ってファンになってくださった方が六千人になりましたが、
まゆ商品は長持ちしますので、どんどん売れるものではありません。
クリームなど消耗品はリピーターがありますが―。
(中略)
その中で、コロコロセラピーは現代医学には通用しないのだと悟りました。
ところが大病院の先生方も看護師さんもこっそり来られるようになりました。
今では一日に三名くらいですが来店されます。
でも三名~五名入られると満員電車の中にいるようになるのでゆっくり落ち着いていただけません。
もっと広い所に行って、車椅子の方も入れるようにしたい!と考えておりました。
(中略)
知人の高田志郎氏より声がかかり、
元呉服屋の大きな建物を使わないかとのことでした。昨年の九月頃のことです。
高田氏は月一回船井総研・箕浦氏が来られる時、私を好意で呼んでくださっております。
アドバイスの一環としておっしゃっていただきました。
和風建築・築十五年、大きなホールもあり、部屋数も倉庫も多いのですが、
買い手が付かないのです。まゆセラピーだったら似合う建物だから……とのことです。
高田氏がスポンサーで、町の商店主の青年たちを集めて月一回夜、
箕浦氏を囲んで勉強会をしておられます。
その青年達の拠点としても使ってほしいとおっしゃっております。
高田氏は、船井先生のホームページを毎日見ておられ、
先生のご著書もかなり多く読んで勉強し、礼儀正しい人間味のある方です。
(中略)
高田氏より、よい話をいただいても私どもには資金力、販売力がありません。
しかし、まゆセラピー用品をもっと売れるようにしなければ会社は倒産する。
切羽つまった状態でした。ようやく社員もまゆセラピーの威力を認めるようになっております。
(中略)
宮津市は今、人口減、大手建築会社の相次ぐ倒産、税減などで悩んでいます。
ぜひ、広いところに移転してコロコロマッサージ技術者を養成し、
宿泊型の観光地をめざすためにも働いてほしいと市からも度々要請されております。
市長は丹後全体を癒しの里、絹の里にしようという構想をもっておられるようです。
そんな時、主人が読ませていただいた本『2009年 資本主義大崩壊!』
の中で先生のご病気のことを知り、先生とのご縁ができました。奇跡的なことです。
やっと広い建物のところに移ってもいいのではないかという気分になりました。
船井先生が応援してくださる!あー、やっと私は希望がはっきりと見えました。
市長さんもとても喜んでくださいました。長いトンネルを抜けた気分です。
日本の農村部の産業として根ずく可能性もあります。
こんなにうれしいこと、人生にはあるものなのですね。神さまのおはからいだと思います。
(中略)
平成二十一年二月十八日
福井禎女
船井幸雄先生
この3通を読みますと、世の中の変化がよく分ります。
いろんなところでそれぞれの人々が、いかに努力して生きておられるかもよく分ります。
2月~3月にかけまして感動したお手紙が多かったので、
3月には2通、そして今月は3通紹介しました。
感動は楽しいことです。
どうぞゆっくりお読みください。