「日月神示は魔法の宝 (テーマ:私の好きなもの)」
(株)船井メディア 『ザ・フナイ』編集長 高岡 良子
このところ、私は、中矢伸一先生が監修された『完訳 日月神示(ひつきしんじ)』を毎日のように読んでいます。私にはとても面白く、読んでいると安らかな気持ちになるので、眠る前に寝床で読んで、そのまま枕元にお守り代わりにおいて寝ています。早くに目が覚めるので、朝にも読んでいます。
また、夏はとくに、美しい朝焼けや、昇ってくる朝日を見るのが無上の喜びなので、目が覚めるとまっさきに外に飛び出して東の空を眺めます。マンションの7階なので、よく見えるのです。昇ったばかりのオレンジ色の日の出を拝みながら、日月神示に書いてあるように(中矢伸一先生が出されているCDを参考にしながら)、ひふみ祝詞(のりと)をあげています。
私は当初、ひふみ祝詞のすばらしさを理解できませんでした。また「ひとふたみよいつむななやここのたり、ももちよろず」という天地の数歌(あめつちのかずうた)もよくわかりませんでした。が、良いと言われたことは素直に取り入れてみようという気持ちになりました。
また、音霊(おとたま)や言霊(ことたま)の力が、むかしはいま以上に強く、言ったそばから実現するほどだったそうなので、この数歌やひふみ祝詞には、生命全体に影響する何か大きな力があるのではないかと感じています。
ところで、日月神示の黒鉄(くろがね)の巻、第二十六帖には、こう書いてあります。
――神は理窟ではない。理であるぞ。生きた自由自在の絶対であるぞ。ただ求めるよりほかに道ないぞ。親呼ぶ赤児の声で神を求めよ。神に呼びかけよ。すべてを投げ出せよ。まかせ切れよ。神は喜びの光となって、そなたに現われて来るぞ。理窟の信仰に囚われると邪道。赤児心の理解は第一ぞ――
幼子のように、神さまのお膝の上に駆けのぼり、その懐に飛び込み、その懐のなかで憩う幸せ、安らぎ、心地よさ、たのしさ、うれしさ、ありがたさ。
ほんとうに、「ありがとうございます!」とすべてのものに向けて呼びかけたくなりますよね。
「まだまだ至らない私ですが、どうぞよろしくお願いします」
<転載終わり>
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この文章を読んで、「ザ・フナイ」の編集長ともなると、さすがにレベルが高いと思いました。(私が言うのはたいへん失礼ですが)
今年の6月に中矢代表に同行させていただき、品川の船井メディア社を訪問し、高岡編集長とお打ち合わせをさせていただきました。
弊社の商品を取り扱っていただけるようお願いにお伺いした次第です。高岡編集長とはそのときに初めてお会いしましたが、商品についてポイントを突いた鋭い質問をされました。
とても優しい対応をいただいたのですが、顔は微笑んでいるのに、眼が笑っていない場面がたまにあった時はちょっとびっくりしました(笑)。でもとても誠実にご対応いただいたのが印象的でした。
私も日月神示の道を歩むようになってからは、朝は早く起きるようになりました。それまでは、お酒ばっかり飲んで、朝も7時半くらいに起きることもあったものです。
日月神示では、朝早く起きる者は仕事をいただけるとあります。遅く起きるから仕事がないのだとあります。
ここで言っている仕事というのは、普通でいう仕事という意味もあるのでしょうが、神のお役をいただくという意味で、仕事と言っている部分も多いように思います。
真剣にやっていれば、誰にでもお役をいただくことはできるのだと思います。そして、私が毎日意識しているのは、先ずはどんなお役でも有難くやらせていただくことです。
それは、できる時とできない時がありますが、なるべく実行できるよう努力しています。
また、高岡編集長は「ひふみ祝詞」を奏上されているのも立派だと思います。できそうで結構できないものです。
高岡編集長が言われる通り、太古の昔では「ひふみ祝詞」などの言霊を唱えれば、すぐに実現したようです。霊界と現界が近かったため、言霊の威力がすぐに現実化されたようです。これは、イオンアルゲイン氏の「聖書の暗号は読まれるのを待っている」でも言われています。(詳しくは著書をご覧ください)
今後また、元の元の元の世に戻れれば、言霊が昔のように活かせるようになるのだと思います。誰でも言霊を使えるようになるのでしょう。
そういう意味でも、9月12日の「にんげんクラブ全国大会」で、中矢代表と共に4000人でひふみ祝詞を奏上することは、どれほど価値のあることでしょう。今年も皆さんと一緒に「ひふみ祝詞」の大奏上ができることに大変期待しています。
●船井幸雄.com
http://www.funaiyukio.com/shain/index.asp?sno=201009004