「メゾン・ド・ヒミコ」(2005年、131分)
監督:犬童一心、脚本:渡辺あや、音楽:細野晴臣
オダギリジョー、柴咲コウ、田中泯、歌澤寅右衛門、青山吉良、柳澤愼一、西島秀俊
新宿で伝説になったゲイの卑弥呼(田中泯)が引退し、ゲイのための老人ホームを作るが癌で余命短くなる。その若い愛人(オダギリジョー)は卑弥呼の別れた娘(柴咲コウ)に知らせ日曜に高給でホームの雑用に呼び入れる。
そして、その三人の反発、葛藤と次第に受け入れていく有様、また何人かの入居者の人間模様が描かれる。
それは、止めることが出来ない時間の歩みの中で、何かを喪失していく営みであり、不可能の中で何を望めるのか絶望の中で探っていく物語である。
そして、理解しえたと思ったときに、体は滅びてゆく、または体は動かない、この世界。
しかし、そのタッチはペーソスにユーモアというよりもう少し馬鹿笑いを交え、そして深刻な重いテーマをその軽い調子の中で見失わないという妙を見せる。
監督の犬童一心は「ジョゼと虎と魚たち」(脚本は同じく渡辺あや)で、重いテーマにコミカルなエピソードを重ね、時にはそれに突っ走ってしまうところをみせながらうまく綱を渡って見せた。それはこの映画にもあり、例えば少女アニメ、コスプレ、そして一人が念願のディスコに行くシーンでの周りの盛り上げようなどは、そのあとどうなっちゃうの、とまで思わせる。
このクラブでの「星降る街角」のキッチュな盛り上がりは見事だし、オダギリ、柴咲を中心に皆が輪になって踊る「また逢う日まで」は日本映画におけるいくつかの名シーンの一つとして残るだろう。
オダギリジョーはこのあともっと男っぽくなったが、ここまではまだ美青年で演技もみずみずしい。田中泯はずっとベッドの上で神々しさと弱さを動き少なく演じて見事、そのほかゲイの役も皆うまい。
それにしても特筆すべきは、そして驚いたのは柴咲コウで、まさに怪演。女の役は彼女一人といってもいいくらいで、得といえば得、彼女の視点が観客の視点でもあるという意味で荷は重いのだが、この人がこんなに細かく、多様な面を、器用さを特に見せないで演じるとは、想像できなかった。