「皇室の名宝 ― 日本美の華 1期 永徳、若冲、大観、松園まで」 東京国立博物館 平成館 2009年10月6日-11月3日
皇室所蔵品のうち、1期は宮内庁三の丸尚蔵館が主体、2期は正倉院が主体、といった区分けになっているようだ。
なかなかまとめてみる機会はない。
今回は、江戸時代までの日本画を主体とした前半部分、そして明治維新以降、皇室から指名された作家たちによる作品を集めた後半に分かれている。
やはり見ものは前半に多い。ひと目見るだけで圧倒されるのは狩野永徳、中でも「唐獅子図屏風(右隻)」で、このたいへん大きな屏風、想像上の対象ながら、このしっかりした体、姿勢、動きの中の一瞬、説明の必要がない。また「四季草花図屏風」(伝狩野永徳)は、草と花の配置のよさが心地よく、むしろその後の琳派のような装飾性、デザイン性がないことが効いている。
そして伊藤若冲、これは動物と植物、その細かさ、画面配置、色使い、これでもかこれでもか、なんだけれども、お見事といって、もういいやとなることはない。最初にある「旭日鳳凰図」など、日本画の世界にある多くの受ける要素をこんなに多くつぎ込んでしまったという画でありながら、そのきれいさ(そういう常套的な言葉しかでてこない)に酔ってしまう。
「動植綵絵」も、こうして並べて次から次へと見ると満腹になるが、一つ一つの魅力はなんだろうと考えてみれば、それは生きているもの、動いているものに対する好奇心であり、慈しみといってもいいものだろうか。
「動植綵絵」全30幅を見ることが出来たのもこの企画ならではで、調べてみたら若冲没後200年展(京都国立博物館)でも11幅しか見ていなかった。
さらに今回の収穫は、まさに天才岩佐又兵衛の「小栗判官絵巻」で、多くの人々の多彩な動作、表情に、そしてその大胆な構図、絵巻としての流れ、色使いを楽しむことが出来た。まさにその後の浮世絵、現代のマンガなどの源流だろうか。
明治維新以降の後半になると、レベルの高い作家が書いていることから一定の水準には達しているものの、若冲の時代に比べ皇室の地位は飛躍的に高いわけで、そのためかあまり大胆かつ刺激的なものはない。富岡鉄斎など見れば明らかで、この人が本来持っている画面のダイナミズムよりはまとまりのよさに走っている。解説にも書かれているとおりである。
とはいえ、やはり横山大観となると、いかにもの富士山ではあるがそこには他の人のものとはちがった存在感がある。
本当は、海外の王立博物館のように、もっと立派な館を作り、もっと公開されるようにになってほしい。
またレベルの高いデジタルアーカイブでネット上で見られるようにしてほしいものである。