歌劇「椿姫」 (ヴェルディ)
ルイ・ラングレ指揮 ロンドン交響楽団、エストニア・フィルハーモニー室内合唱団、演出:ジャン・フランソア・シヴァディエ
ナタリー・デセイ(ヴィオレッタ)、チャールズ・カステルノーヴォ(アルフレード・ジェルモン)、リュドヴィク・テジエ(ジョルジュ・ジェルモン)、シルヴィア・デ・ラ・ムエラ(フローラ)、アデリーナ・スカラベルリ(小間使・アンニーナ)、マウリツィオ・ロ・ピッコロ(医者・グランヴィル)
2011年7月 エクス・アン・プロヴァンス音楽祭、大司教館中庭、2012年5月NHK BS (因みに「椿姫」の舞台はパリとプロヴァンス)
これまでに見た、聴いた「椿姫」で最高だし、他の作品を含めてもこれほど心を打たれる演奏はほとんどなかったといってよい。
屋外の公演で、舞台は場面を象徴する壁、それと床をうまく使っている。通常のように、第一幕の宴会で「乾杯の歌」が歌われる場面でも、豪華な部屋や衣装はなく、現代の酒場、衣装である。しかしヴェルディの次から次へとよどみなく流れる名曲、充実した音楽からすれば、そんなことはどうでもよく、歌と演技にかかってくる。
さて期待したナタリー・デセイのヴィオレッタ、アルフレードより年上の、その世界で経験たっぷりの女性の設定だから、彼女のメイク、演技は納得がいく。小柄なのはやむをえないが、その存在感、これほどタフな役とはこれまで想像していなかった歌の連続、見るもの聴くものをしっかりつかみ引きずり込んで離さない。
ジョルジュ・ジェルモンが息子アルフレードと別れさせようとする場面の対決でも、これはもっとリリックな若いソプラノがやるよりデセイはジェルモンと十分やりあって負けない。そしてこのオペラの最後、まさに愛は勝つのだが、それが納得いく。
第二幕でヴィオレッタが倒れ、その後ろで幕が閉まってそのまま第三幕、ここでデセイが靴を脱ぎ、つまり自室のベッドの傍ということを暗示し、ドレスを脱ぎ、鬘を自らとってシンプルな髪になり、小間使アンニーナがメイクを落としている間にアリアが始まる。この演出にはぞっとする。そして全体も、特にこの第三幕はある意味でデセイによる長大な「狂乱の場」であり、それで終わってこれほどの感動というのはなんとも言いようがない。
ルイ・ラングレの指揮もいい。それにしてもデセイという人は、この屋外の音響条件で、よくオーケストラの音と自分の声がきこえるものだと思う。そうでしかない歌唱であった。
フローラのシルヴィア・デ・ラ・ムエラ、美貌だし、スタイルもよくスリットから見える脚はどきっとする。。
こうして聴くと、ヴェルディの最高傑作は「椿姫」かもしれない。大作曲家ヴェルディとなると、ファルスタッフ、オテロ、アイーダ、ドン・カルロなど、シェークスピア台本や歴史に題材をとったものを評価する向きもあるだろうが、音楽が緻密で表現の振幅が大きく、そしてなによりどこをとっても忘れられないメロディー、というのは「椿姫」だろう。「カルメン」、「ラ・ボエーム」と並んで三大オペラといってよい。
これを見られたことの何という幸せ!