松本竣介展の補足、全体を見て感じたこと。
この展覧会でも大きく有名な絵、「画家の像」(1941年、宮城県美術館蔵)と「立てる像」(1942年、神奈川県立近代美術館蔵)を見ることができる。
これらは、戦時中の軍の美術政策に対して、松本画家たちの中では数少ない発言をし、それが戦後「抵抗の画家」といわれ、それを反映しものという意見もあった。それはいまでもなくなってはいない。
しかし、私が画家の名前と初めて知った「気まぐれ美術館」で洲之内徹は、そうではなくてむしろそんな戦中でも画家は十分に表現できると松本は言い切っており、この二枚ではそれを大見得をきった自身のポーズで描いていて、その自負と使命感と陶酔は虚しい、と書いている。
そうかもしれないがと思ってきて、今回こうして全体の中であらためて見ると、絵を描く中でさまざまな探究をし、その多様な技法と表現力で見るものを楽しませ感銘を与えてきた画家としては、これらの作品はたしかに唐突で無理があるなと感じる。
そうだから、他の多くの作品の位置と価値がわかるともいえるのだが。
ただ、そうではあっても、洲之内徹という人は松本竣介がとっても好きで、「気まぐれ美術館」の連載でも、おそらくこの画家に一番多くの紙幅を費やしている。