リヒャルト・シュトラウス 歌劇「ナクソス島のアリアドネ」
指揮:ジェームズ・レヴァイン、演出:ボド・イゲス
ジェシー・ノーマン(アリアドネ)、タチアーナ・トロヤノス(作曲家)、キャスリン・バトル(ツェルビネッタ)、ジェームズ・キング(バッカス)
1988年3月12日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場
一昨日に初演時に近い版の公演についてアップした後、それが不評ということから短くした現在も通常上演される版といずれ比較してみようと思ったけれど、のんびりしていると印象が薄くなってしまうと思い、すぐにこっちも見てみた。どうも一回は見ているようだが、ずいぶん久しぶりだろう。
これはNHK BSの録画で、ビデオはなんとベータ。まだ装置を一台残してある。
結論からいうと、先の「町人貴族」と「ナクソス」の二部構成を一度見ていた方がよく理解できる。
短縮版ではその序幕で、発注する貴族(この主人は姿を見せないが)が宴でこの「ナクソス」とコメディを順番にやるのでなく(どっちが先かということで双方の関係者も争っている)一緒に上演するということが決まるまでが説明され、そしてその二つが混ざり合った演目ということになる。
ただこのメトロポリタンの演出だけなのかどうかはわからないが、ナクソスの部分はそれが普通に歌劇場にかかるようにしか見えない。つまり邸内の舞台にかけられているものを序幕の登場者たちと一緒に見るという形にはなっていない。
したがって、アリアドネをツェルビネッタが慰め、イタリアのコメディア・デ・ラルテ風の人たちが笑わせようと登場、違和感はあるものの結果としてうまくいくというプロセスの面白さが出てこない。これはやはり入れ子構造を舞台に出して、観客と貴族邸関係者を同じポジションにしたほうがよかったのではないか。
とはいえ、ノーマン、バトル、トロヤノスといった豪華配役だから、この部分は楽しめる。バトルは先のモシュクに比べると軽快な歌い方で、普通イメージされる歌い方はこっちだろう。バッカスのキングは同じヘルデン・テノールでも先のカウフマンに比べて単細胞的な歌い方だが、この役ではこの人の方があっているかもしれない。カウフマンにこの役のおめでたさは無理か。
この時期のメトロポリタン、今ほど洗練されてはいなかったと思うが、これを振ったのがレヴァインだったのは幸いだった。
時代を感じさせるのが衣装で、ナクソスの場面はまずまずとしても、貴族の人たちのいかにも19世紀風は重いし舞台を暗くしている。このところ現在人の衣装にしていることが演目にかかわらず多いのはわかる気がしてきている。