メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

モーツァルト「イドメネオ」(メトロポリタン)

2018-08-08 17:16:44 | 音楽
モーツァルト:歌劇「イドメネオ」(K.366)
指揮:ジェイムズ・レヴァイン、演出:ジャン・ピエール・ポネル
マシュー・ポレンザーニ(イドメネオ)、アリス・カート(イダマンテ)、ネイディーン・シェラ(イリア)、エルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァー(エレットラ)、エリック・オーウェンス(ポセイドン/神の声)
2017年3月25日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 2018年8月WOWOW
 
1982年の故ポネル演出をもとにしたもの。レヴァインはこの時も指揮をしていて、イドメネオはパヴァロッティ、という伝説的なものらしい。
 
「イドメネオ」は作曲者24歳の時の作品で見るのははじめて。いわゆるオペラセリアで、「後宮からの誘拐」から晩年の「魔笛」へと続くジング・シュピーゲルとは全く趣きが違う。
 
舞台は古代ギリシャ、トロイ戦争の後の話で、クレタの王イドメネオはトロイとの戦いに勝つが帰路嵐にあい、海の神ポセイドンに帰って最初に会うものを生贄にささげるという約束をして生きながらえる。ところが顔をあわせてしまったのは息子イダマンテだった。一方イダマンテはトロイの王女でクレタに囚われているイリアと互いに恋仲になっているが、それにここに来ていたエレットラが嫉妬の炎を燃やす。
 
物語の構造が提示されてしまえば後は、音楽と演技をしっかりと見ていくほかはない。そうなるとこの作品、そう面白いというものではなく、少し肩がこる。脚本ばかりでなく、モーツアルトの音楽もである。この真面目な形式のセリア、父と子、それに対する若い世代の愛という要素、24歳のモーツアルトが父を意識して独り立ちをしようと書いた、という説明もあるが、そういわれればという感じもある。
 
とはいえ、勝負の第三幕(ここは評価が高い)では、冒頭のイダマンテとイリアの長い二重唱、そのあとの父イドメネオが神との約束を果たそうと息子に剣を突きつけるクライマックス、その後の大団円を受け取れないエレットラの狂乱など、展開の面白さはある。
 
特にここでは、合唱が音響の効果ばかりでなく、しっかりとした語り手として進行を担い、いわゆるギリシャ悲劇のコロスとなって素晴らしい効果を出している。これは世界一といわれるメトの合唱団の面目躍如といったところだろう。
 
ポレンザーニのイドメネオ、実力は十分で、むしろ上品に演じた感があるが、それがむしろイダマンテとイリアに焦点をあてた形になり、物語の受け止め方としてはこれでよかった。
 
イダマンテは女声のいわゆるズボン役で、カートの歌は力強さよりもう少し透明感に寄ったほうがよかったように個人的には思う。一方イリアのシェラが素晴らしい。澄んだきれいな声で、想いを表出するときの強さもあり、また風貌、スタイルが抜群である。出演時まだ20代だが、コンクールの実績もあるようだ。メトはライヴ・ビューイングでの集客も重要だが、そうなるとガランチャ(カルメンなど)、オポライス(蝶々夫人など)に加え、このシエラも楽しみというものだろう。
 
なおイダマンテとイリアの二重唱を聴くと、イダマンテが女声というのは頷ける。モーツアルト最後のオペラ「皇帝ティートの慈悲」もオペラセリアであるが、ここでもズボン役が使われている。
 
それにしても、ここにどうしてエレットラ? あのアガメムノンの娘であるが、何故ここにいるのかよくわからない。だがここはあの「マリア・ストゥアルダ」(ドニゼッティ)の烈女エリザベッタ(エリザベス)で、演技は素晴らしい。
これを聴くと、モーツアルトのオペラで、その後オペラセリアでなく、またコメディの傑作群でもなく、あのドン・ジョヴァンニが出てこざるをえなかったのは、、、と想像が膨らむのである。
 
ジェイムズ・レヴァインの指揮、作品を自立させることに力を注いで、無駄に力が入っているところがなく、文句のつけようがない。





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