日本ヨーガ学会

ヨーガ的生活

リセット

2013年12月27日 23時34分03秒 | 思うがままに
iPadのイヤホンが上手く作動しません。イヤホンの故障?私にしては張り込んで買ったイヤホンなのに...。

仕方なく、買い直しを考えていたのですが、念のため、一旦電源をオフにして再度立ち上げたところ、何事もなく作動しはじめました。

リセットが必要なんですね。

人間もそうかもしれませんね。

マイフォームの片付けはほんのわずかを残し、終わりました。

そこで気づいたこと...

私はどうしてこんなに不要なものを後生大事にしまいこんでいたのでしょう。
ぎゅうぎゅう詰めに詰め込まれていた本たちは今はゆったりして深呼吸しています。

古い書類を捨てるのは勇気がいりましたが、なぜかスッキリするものです。

衣類を整理することは洗っても落としきれない厄が落ちるとか…。

さて、『ヨーガの四季』66号の表紙は可愛い蓮の花ですが、タイトルは「煩悩即菩提」
弘法大師は煩悩に汚れた身・口・意を浄化することが修行だと教えます。つまり煩悩を使ってこそ悟りに行けるのだと…。

奇しくもヨーガ・スートラの第2章は煩悩を弱めるのにはクリヤー・ヨーガしかない!と教示します。
そうなんです。私たちにとって一番大切なクリヤー・ヨーガが第2章で解き明かされます。

煩悩は5種類

アヴィディヤー(無明)アスミター(エゴ)ラーガ(愛着)ドヴェーシャ(嫌悪)アヴィニヴェーシャ(生命欲)だ…と。

さらにヨーガ・スートラ2・4に「無明はそれ以後の煩悩にとっての田地である…」とあります。
アヴィディヤーゆえにエゴが現れエゴゆえに、執着が生じ、執着ゆえに嫌悪が生じ、最終的には、物に執着し不安に駆られる…と。
アヴィディヤーは、いつも私たちの背後ではたらくそうですが、アヴィディヤーは直接表現しないといわれています。つまり自分が産んだ子供たちの存在でアヴィディヤーであることを知る…とか。

その子供たちが別々にあらわれたり組み合わさったり、複雑になるのでアヴィディヤーを明確に見ることが困難になる…と、デシカチャー師はおっしゃっています。
ですから分かりやすい人のほうが救われるのでしょうか?(笑)

つまりはアスミター、ラーガ、ドヴェーシャ、アヴィニヴェーシャがせっかく表現しているのに気づかなかったら何もはじまらない…ということでしょうか?
毎日反省!している私は少しは救いがあるのかもしれません。

また、自分を高めようとする思いはエゴ(アスミター)に根ざしたものであるかもしれないけれど、それは第一段階だから、正しい一歩…だとも。
ヨーガ・スートラではこの煩悩を一つ一つ明確に説明します。

ところで、木村秋則さんは奇跡のリンゴを生み出すのに田地(土壌)が大事であることに気づかれました。この気づきはほとんど悟りの境地ですね。(荻山貴美子)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする