月曜日は、東京は雪。
この日は月一回の「ヨーガまんだら」講座の日でした。
いつもなら10分で着くはずの東上線が1時間半もかかり、久しぶりの大混雑を体験しました。
同じような目にあって朝日カルチャーにお集まりくださった皆さんには感動でした。
さて、母が認知症になってかなりになります。
金子満雄氏著『生き方のツケがボケにでる』という本を大分前に読みました。
この本を読んで、「なるほど」と思い当たるフシが数々あります。
母はもともと、達筆で文章も絵も上手くて、子どもたちの洋服は当然のことながら、靴まで手作りでした。アイスクリームも手作りで、何でもできる母は私が目指していた理想の女性でした。しかし、これは私がうんと小さいときの話です。
父の事業が順調になり経済的に豊かになったころ、母は一切の経理を任されていましたから、食事は店屋物が多くなり、お惣菜はデパートで買ってくる…という生活になりました。夜中まで仕事をしていましたから仕方がないことです。
でも母は自分の役割に燃えていたので、このころは最高に幸せを感じていたと思います。
私が結婚し、さらに弟が結婚し、孫たちに恵まれてきたころは幸せの絶頂だったようです。
それから数年後…
私が実家に行くと父はいつも本を読んでいました。母は…というと。
いつもベッドでした。どこか具合が悪いわけでもないのに昼間に本格的に寝ていました。
そして、夜眠れず「不眠症」だと訴えていました。(笑)
今まで家庭での主役は母だったのに母の役割は失われてきました。
いつしか、自分の毎日の生活を計画することもしなくなり、好奇心も感動もなくなり、相手を思いやることも希薄になりました。
そして、何よりも生きる歓びを感じている様子がなくなりました。
ひたすら、妻として、母として生きてきた人。
自分の楽しみや喜びを家族の中の自分の役割の中に求めてきた人。
好奇心を押し殺してきた人。
その役割がなくなったときの喪失感はどんなだったでしょう。
もう少し、自分の趣味や楽しみを知っていたら、この時こそ新しい自分に出会えるチャンスだったかもしれません。
母は環境の変化についていけなかったのですね。
ある本にこんな話がありました。
一刻も早く友人に会いたい…とロサンゼルス・フリーウェイを走っていたとき、何があったのか、前の車がいきなり急停車したそうです。彼女は、急ブレーキをかけながらバックミラーをのぞきました。すると急接近してくる後続車がうつっていたそうです。
猛烈な勢いで追突されることが一瞬にわかり、「もうだめだ!」と思い、ふと気がつくと、両手でハンドルをぎゅっと握りしめていたと…。
これは意識的にそうしたのではなく、普段の自分だったようです。それが癖だったとか。
なぜだか、この時にこんな風に生きたくない、こんな風に死にたくないと思い、目を閉じ呼吸をととのえ両手をダランと垂らし、力を抜いて身を任せたそうです。
生きることに、死ぬことに自分を明け渡したというのでしょうか。その瞬間ものすごい衝撃があったそうです。
何と前の車は大破、後ろの車も原型をとどめていないのに彼女はほとんど無傷だったようです。
彼女は九死に一生を得たのですが、それよりも大きな贈り物はそれまでの自分の生き方がわかり、それを変えるきっかけが与えられたことだそうです。
かつての自分はしっかりと握りこぶしで人生をつかまえていた。これからは人生をふわっと支えていればいいんだ…ということ。そうすると死に直面したときも、リラックスして、恐怖心を手放すことができそうだ、と思えるようになったようです。
それから彼女の生活は一変して人生を心からエンジョイできるようになった…とか。
彼女にとってこの交通事故は神様のプレゼントだったのですね。
年を重ねていくことも環境の変化。病気になるのも環境の変化、いろいろな環境が変わっていく中で肩肘はらず、ふわっと生きたいものですね。(荻山貴美子)