少し身体を休めていますが、いつまで経っても心が休まらないです。(笑)
さて、昨日、キャスターの辛坊治郎さんが言っておられた言葉が印象的でした。
ガン細胞も不死身じゃない!
どうやらご自分の体験に基づいた言葉みたいです。
体験に基づいた言葉には説得力があります。
最近、ラインやメールの既読スルーで事件にもなります。本当に心を病んでいます。
喧嘩をしても「ごめんね」のひと言で、また仲良くなれた単純な時代が懐かしいです。
溜め込むことに問題があるのかもしれません。
心のしこりは意識の中に沈み込んでいきます。
自覚されない微細な煩悩は、一度表面に浮かび上がらせなくてはならない…と、『ヨーガ・スートラ』にもあります。
指がチクチクして不快な時、よく見るとトゲが刺さっていた…という体験はありませんか?
そういえば、まずはトゲ抜きで表面にゆっくりと浮かび上がらせますよね。
ティク・ナット・ハンはこう言っておられます。
「私たちの日々の言動の中には、愛する人の中にしこりを残すようなものもあるかもしれません。そのままにしておくと、その苦しみや痛みのかたまりは大きくなっていくことがあります。すると、あなたの愛する人はいつ爆発してもおかしくない、爆弾のような存在に変わり、たったひと言二言が引き金となって怒りを爆発させます。理解ある平和な言葉を話す力も失ったあなたも、爆弾のような存在になり、これではコミュニケーションを取るのは不可能です」と。
セラピストに頼るのは、家に自分の話を聴ける人が誰もいないからだともおっしゃっています。
「あなたが誰かを愛しているならば、まず自分が深く聴けるように訓練すること…」と。
この傾聴こそ瞑想そのもののようです。
仏教では慈悲喜捨の教えは愛の4つの側面と言い、ヨーガ・スートラでは、自分自身の心の清澄のために、この慈悲喜捨をまず挙げています。
どんな状態でも悠然と構えていられる人になれるのは一体いつなのでしょう?
これが在家の人間の難しいところですね。
毎日が修行です。
『ヨーガ・スートラへのいざない』はビックリするくらいご注文いただき本当に数か月集中した甲斐がありました。ありがとうございます。そして、たくさんの労いのお言葉に涙しています。(荻山貴美子)