立川談志師匠は文才がありたくさん本を出しています。
立川流ではモノを書かざるは立川流にあらず…とか。
でも弟子たちは談志師匠がちょっぴり焼き餅やきのため、師匠より本が売れないことを祈り、そして何よりも師匠のテリトリーをおかさないよう気をつけていたようです。
まあ気をつけなくても談志師匠の本は物凄く売れていたようですが…。
立川談四楼さんは談志師匠が絶対に手を出さない小説に目覚め、いつしか「落語ができる小説家」の異名をつけられた…とか。
ところが談四楼さんに刺激された談志師匠が、突然小説を書き始めたそうです。
このくだりが可笑しく私は声を出して笑っちゃいました。
「小説を書いたんだ。我ながら素晴らしい書き出しなんだ。こうだ、よく聞け」
「三遊亭朝之助は野垂れ死にであった」
「…」
「書き出しはどうだときいてるんだ」
「シャープな書き出しだと思います」
「次が書けねえんだ。いきなり結論を書いちまったってことだろうな、続かないんだ。こうこうこうだからこう。それが小説ってもんだろ。オレの場合、キレ過ぎて、いきなり本質に行っちゃうんだな。つまり向いていないというこった。小説は、オマエにまかせる。運、鈍、根、と言うが、オマエのような少し鈍いくらいのヤツが向いてる」と。
小説を書けない自分を、頭のキレが良すぎて向いてない!と、自己評価する立川談志師匠の存在が落語そのものなんですね。
談志師匠は、破天荒ながら心根は優しく、紛れもない「天才」でした。
『ヨーガの四季』の編集の合間、立川談四楼さんの本を読んで、気分を一新しました。(荻山貴美子)