島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

島原城下を歩く1

2014-04-21 17:51:09 | イベント
今日もネットワークの繋がりが悪いです。
昨日のアップ時間は15時になっていますが、私のところでアップしたものが見れたのは17時前でした。

さて、「島原城下を歩く!~文化財ジオツアー2014~」の報告です。
まずはセンターにて事前学習を行いました。(表紙写真)
事前学習によって、現場を訪れた時の理解度は格段に違います。
事前学習の後は、バスに乗り込んで島原市役所前に移動しました。

島原市役所の前を「大手広場」と言います。
昔は、この広場で「島原初市」が開かれ、多くの人が集まり、売買が盛んだったと言われます。
一見、交通量の多い市役所前の広場ですが、意外や意外こんな場所にも説明を受けるものがわんさとあります。

平成新山の溶岩です。
左の岩1個で約30㌧の重さがあるそうです。
そして、近くには「平成新山の火」があります。

いつだったか、このブログでも紹介したことがあると記憶しています。
噴火活動が落ち着いた後に自衛隊が登って採火したものです。
他にも南島原市の出身で彫刻家の北村西望さんの作品などがあります。

そして、講師の土橋氏の後ろにそびえ立つ石垣は、島原城の「大手門跡」の石垣です。
人の手では動かす事さえ困難そうな巨石が、上手い具合に積み重ねられています。
大手門は、島原城にあった七つの城門のうちの1つです。
城を落とすためには、城門を突破せねばなりません。
この大手門は「島原の乱」の時の古戦場跡になります。
「島原の乱」というと、どうしても原城や日野江城が思い出されますが、乱の初期には島原城も戦場になっていました。
一揆軍(?)はここまで攻め込み、城主たちを籠城まで追い込んだそうですが、結果的に門を破ることができず、敵に応援が来るということで撤退を余儀なくされたそうです。
そうして見ると、確かにこの石垣や門を突破するのは容易ではないことが分かります。
コメント
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