七万石坂はあとから造られた道なので、上の町通りを途中で切ってしまっています。
坂を挟んで、上の町通りは続いています。
先に少し進むと、なんてことの無い駐車場に行き当たりました。(表紙写真)
駐車場のわきに解説板が建っています。
記録によると、寛政四年(1792年)四月朔日に発生した島原大変の大津波の波先は、地区によってまちまちですが、三会町・有馬町では恵比寿堂の辻が「津波堺」になっていました。
昔は、この駐車場の場所に恵比寿堂があったそうです。
この場所で標高が8mあるそうなので、当時の津波の高さが伺われます。
肝心の恵比寿堂は十字路の道向かいに移転していますと、土橋氏が指す方を振り向くと、
え、これ!?
あまりにもこじんまりとし過ぎていて、見落としていました。
坂を挟んで、上の町通りは続いています。
先に少し進むと、なんてことの無い駐車場に行き当たりました。(表紙写真)
駐車場のわきに解説板が建っています。
記録によると、寛政四年(1792年)四月朔日に発生した島原大変の大津波の波先は、地区によってまちまちですが、三会町・有馬町では恵比寿堂の辻が「津波堺」になっていました。
昔は、この駐車場の場所に恵比寿堂があったそうです。
この場所で標高が8mあるそうなので、当時の津波の高さが伺われます。
肝心の恵比寿堂は十字路の道向かいに移転していますと、土橋氏が指す方を振り向くと、
え、これ!?
あまりにもこじんまりとし過ぎていて、見落としていました。