瑕疵ひとつない色白のナイスボディは、氏が大切に扱ってみえた証である。
無茶な使い方をしてもいいです。いけなくなっても、何回かOSを再インストールするうちに、自然と熟達しますよ
と仰るが、なかなかどうして大胆に扱える訳もない。小心者である。
使いこなすうちにMacの魅力に引き寄せられるのでは、との怖れもあったが、Windowsのよさが鮮明に見えてくるから不思議である。もちろん両者の弱点をあげつらうというスタンスに立たず、素直に向かい合っているからだろう。これは随分お得な使い方である。
あらためて感じるのは、「ことえり」よりも群を抜くMS-IMEの使い勝手のよさ。これはWindowsに軍配をあげたい。誤変換して確定した後のUndo、つまり「Ctrl+BackSpace」で再び変換モードに移行するというものだが、粗忽なぼくがよくやらかす失敗をフォローしてくれる配慮は実にありがたい。また、同じ理由から再変換という機能にも再三お世話になる。こういった当たりから見て、文書作成はWindowsに限るのではと実感する。
web閲覧にとどまらずデスクトップからダイアログボックスに至るまで、アピアランスにおいては、Macを触ったらWindowsなど振り向きたくもなくなる。隣のお姉さんがWindowsなら、Macはスーバーモデルといったところか。
特にアイコンを並べたような趣きのDockはタスクバーなんかよりも遥かにスマートで、機能的で、お洒落だ。ポイントするとアニメ風に拡大するなんざあ、粋だねえ。Dockにアイコンをつまんでドラッグするだけでショートカットのようなものが簡単につくれてしまうのも嬉しい。
どちらが素敵か、素晴らしいものかは、正妻と愛人のどちらを選ぼうかと迷う凡人の煩悩に等しい。
両方持つのが正解である。
しかも乗りこなし、使い倒すのが正しい。ここんとこはパソコンに限った話であることは言うまでもない。
ロンダ・ヴィンセントの「Muleskinner Blues」を聴いてぶっ飛んだ。地声の強さが要求され、息の長さが求められるこの曲を、こともなげに歌いこなすこの女性は、化け物か。ブルーグラスはやはりライブに限る。生のステージでこれだけの迫力を出せるとは、真のブルーグラッサーと讃えるべきだろう。ブルーグラスの世界はもはや男も女も関係ない。