教室でパソコンを学習なさる淑女の皆さんは、どなたも美食家というか、創る方でも、食する方でも味にはけっこううるさい。さりながら、そんな彼女たちだって、
鮨体験
となると、きわめて少ないことに気づく。
我々にとって鮨屋というと、「高い!」というイメージがあって、当然敷居が高く、二の足を踏んでしまう。盆か正月、もしくは冠婚葬祭に準ずる、いわばイベントなのかも知れない。もしくは、誰かにご馳走になる。果たして、そうだろうか? いやいや…。
学生時代のことだ。下宿には、さる御大家のヴァカ大将がおわして、彼に仕送りがあるとよく鮨屋へ連れて行ってもらってご馳走になった。学生街だから、鮨屋の大将も心得ており学生にはリーズナブルな価格で江戸前の握りを饗していた。それでも、僕には縁遠い店のひとつだった。僕が、いの一番に鉄火巻きを注文すると、スポンサーのヴァカ旦那は、
「お前、鉄火、好っきやなぁ!」
と、呆れるが、何、奢られびとの仁義である。お品書き最後尾のもので空腹を充分満たしておいて、どか~んと最後に、
「トロねっ!」
と締めるのだ。奢られるという行為にはある程度配慮を要する。遠慮が次回のお誘いを導く、なんか書いていて、我が青春のショボさが身に沁みる…。
もちろん、奢られっぱなしではない。バイト代が入れば、当然、返礼の宴を件(くだん)の鮨屋で催す。ここで、ぼくは本物の金持ちの凄さを知ることになる。例のヴァカ旦那、平然と大将に開口一番、
「ぼく、雲丹からねっ!」
「から」に注目だ。
「トロまで」
と続く訳だが、間には、イクラもあれば海老もあるしぃ、…。
ある意味、学生街の鮨屋というのは、ぼくにとって学校であったかも知れない。
「女の子と一緒のとき、オスマシの具の鯛のお頭は手をつけちゃいけない。喰っちゃ野暮だよ。」
こんなアドバイスを思い出す。見習いの兄ちゃんは、出前の自転車を器用に操りながらアート・ブレーキーの「モーニン」をハミングしていたし、大将だって休みの日はアイヴィー・ファッションできっちり決めていた。JAZZやファッションについての薀蓄が豊かだった。短すぎる触れ合いだったが、「粋」の何たるかを教わり、トラッドなるものを学んだ気がする。
さて、話は現代に。鵜方で江戸前のにぎりを気軽に楽しめる店がある。皆さん、もうピンと来てる。そう、おとやである。
暖簾をくぐって右手、カウンター席が大将を取り囲んでいるから、ずいと右奥へ堂々と詰めよう。そして、主(あるじ)の笑顔を味わって欲しい。もし、ここで、ボヤキが出るようなら、ご機嫌な証拠だ。お絞りで手を拭いたら、おもむろに注文しよう。
「特上鮨ねっ」
地元産の新鮮なネタ、仕込みの魚屋は地元の名店ばかりだから安心だ。後は大将にお任せで、ひたすら出された本格的なニギリを口に運ぶだけ。鉄火を入れなくても、きっとお腹いっぱいになるはず。お店の雰囲気を充分味わったら、
「お勘定を!」
「ありがとうございます、2,625円いただきます」
事実である。カウンターだからボラレルという心配なんかしなくてよい。明朗会計だから、そのままお釣りももらおう。
よく垣間見ることだが、都会からのサーフィンの若者がびっくりしてこう言う。
「ほんとにええんっすかあ? こんな凄いもの食べたのにぃ!」
街の鮨屋ならいざ知らず、これがおとやなのだ。
懐が豊かな場合だったら、ぼくの場合滅多にないが、
「予算○○円まで」
と言えばよい。適当に見繕って、しかもあなたの想像以上のものが饗されるはずである。ネタについては手を抜かない。元プログラマーだから原則はくずさない、あるじのこだわりだ。座敷もあり気楽に利用出来る。また、ランチタイムには、2品の造りの造りランチ、すしに、プラスうどんかそうめんを選べる鮨ランチの2種類が用意されている。どちらもコーヒーつきで1,050円である。
都会からの旅人を驚かせ感動させるのに、地元の人には高いだろうと尻込みさせる鮨という食べ物の不思議。こんなじゃ勿体ないと思うので、今夜はあえて書いてみたのだが、ぼくはあのデラックス太巻きが無性に恋しい。
今夜のBGMは、バニー・ベリガン楽団の「言い出しかねて」。鮨とくれば何故かJAZZがピンと来るのは、そうした時代があったってこと。同じ世代の人しか共有できないことなのかも知れない。