定刻にスペイン村の花火があがる。天候が怪しかったけど、大丈夫のようだ。最後のデカイ一発が消えるのを窓から見つめながら、夏の終わりを少し寂しく実感している。
スペイン村の花火が見れるパソコン教室です
夏休みも後一日だ。各家庭ではさぞかし残り宿題に頭を悩ませておられることだろう。
「だから言っておいたじゃない!」
という家族の叱咤に背中を押され、しぶしぶぼくが宿題に取り掛かったのがちょうど今頃。ぼくの子ども時代だ。喉元過ぎれば…という言葉はぼくのためにある。大人になって夏休みの宿題なんかないが、現実の生活においては似たり寄ったり。し残したこと、しくさしのこと、あれやこれや山のようにある。片付けた後から現われる。永遠の追いかけごっこ。ドラえもんはどこへ行ったのか…。
さて、縁は異なものと言うが、今日のYちゃんがそうだった。彼女が憧れる存知よりが実はあまりにも自分の身近に居ることが判明した。こう書くと何か意味ありげだが、個人情報に関わるので曖昧にするからであり、知っている人、知りたい人が、灯台下暗し、といおうか、縁続きで、しかも連鎖してることに気づいた訳。
「友だちの友だちは、皆、友だちだあ!」
これは誠にお得な感慨で、人生が楽しくなる類のお話だ。また、そこから新たなイベントが産まれそうな予感があって、面白そう。合縁奇縁というのね。素晴らしき哉、人生!
なぜ秋は寂しいのか。ぼくにとって、それは女性の薄着がなくなるからでぇ…、とこれはネタだ。小田和正の自己ベストから「秋の気配」を聴こう。