
東名高速道路、大和バス停の近く。泉の森にも近い。
このあたりは1968年(昭和43年)に開通した。

今日も車がいっぱい。

向こうに見えるのは渋滞情報常連の悪名高い「大和トンネル」だ。

付近を上から見る。手前が東京方面、情報は厚木、名古屋方面だ。
右側の緑が泉の森になる。
これで分かるように大和トンネルと言っても山を掘ってトンネルにしたわけではなくて、
この部分300m弱だけ、道路の上に蓋をしているのだ。何ゆえに?

蓋の上に上がってみると大工事が行われていた。
向こうの方の蓋の部分より、こちらの方が少し広がっているように見える。
大和トンネルを含む付近5kmほどを拡幅し片側3車線を4車線に変更する工事をしているのだ。
東京オリンピックまでに完成する予定だという。

蓋の上に有った樹木や盛り土を除去し、地盤改良や土留めをしながらトンネルの外側を掘削する。

拡幅する部分に鉄筋型枠を設置し既存のトンネルと接合し古い側壁部分を除去する。

これにより上り下りとも3.85mずつ拡幅されて、一車線ずつ増える。
ところで何故、この部分だけ蓋がされているのだろう?

東名高速開通に先立つ1964年(昭和39年)9月に厚木基地を離陸した艦載機がエンジントラブルを起こし、
泉の森のすぐ傍のこの場所にあった館野鉄工所に突っ込み炎上した。
上空から見た写真の大和トンネルから少し右手に見える手入れされた緑の部分だ。
これにより従業員など5人が死亡し3人が負傷した。
このことを踏まえて墜落があっても被害を軽減する目的で、飛行経路にかかる部分に蓋が敷設されたのだろう。

昭和39年は前回の東京オリンピックが開かれた年だ。
それから54年、鉄工所跡地はフェンスに囲まれ慰霊碑が立っているのみだ。
事故から50周年の時に慰霊祭が行われ、この木製の慰霊碑が設置された。
現在フェンスの内側は立ち入り禁止のため普段は遺族もお参り出来ないという。
フェンスを取り除くとか慰霊公園にするとかの方策を望む声が出て陳情活動も行われているようだ。