
栃木から茨城の旅、最後は水戸駅から千波湖畔、偕楽園・好文亭まで歩いた。
紅葉の向こうの小高いところが偕楽園で好文亭の姿も見える。

湖畔の好文公園には水戸光圀公の銅像や徳川斉明公・七郎麻呂(慶喜公)像などもあった。
この橋から右手の方に上がっていくと偕楽園だ。

偕楽園は水戸藩第九代藩主徳川斉昭が作った庭園で、少し離れた弘道館と合わせて3000本の梅がある。
もちろん今は咲いていなくて剪定の時期だった。
梅林の奥、千波湖を見下ろすところに好文亭がある。

好文亭は斉昭公が別邸として、藩内の人々と偕(とも)に楽しむ場として建てたものだ。
そのための別邸と太鼓橋廊下でつながった奥御殿を合わせて好文亭と呼んでいる。
奥御殿は桜の間など10室からなる平屋造りで、藩主夫人の座所やお付きの婦人たちの詰所だった。

萩の間もお付きの詰め所だった。
これらの襖絵は東京芸大の須田珙中先生と田中青坪先生の作だそうだ。

好文亭側から奥御殿を望む。

好文亭の方は、この西塗縁(36畳)や東塗縁(18畳)があり、
家臣や庶民の老人を招いて慰労したり詩歌の宴を設けたり書画を揮毫したりした。
好文亭は3階建てになっていて、3階部分を特に楽寿楼と呼び千波湖から筑波山まで展望できる。