横浜のほほん・続

植物や生き物を見ながら歩いて感じたことなどを中心に日々を綴る。

蔵の街

2018-11-24 07:01:24 | 日記



先日は一泊二日で栃木市、笠間、涸沼、水戸と回ってきた。ここは栃木市の市街地。
栃木市は名前に反して県庁所在地ではない。明治時代の一時期だけ県庁があったそうだ。






栃木は蔵の街とも呼ばれて古い建物がたくさん保存されている。
電線の地中化がされているようで電柱が見られない。






どうして栃木を訪ねたかというとNHKの「こころ旅」で火野正平さんが行っていたのを観たからだ。
特に「日光例幣使街道」という言葉に惹かれた。






館野家住宅店舗。国の登録有形文化財。
例幣使とは調停から伊勢神宮へ毎年の神嘗祭に合わせて幣帛を奉るために遣わされる祭使であるが、
徳川家康の没後に幕府が朝廷に対し東照宮にも幣帛を奉ることを要請し毎年4月に日光例幣使が派遣された。

例幣使は中山道の倉賀野から太田宿や栃木宿を経由して楡木宿で日光西街道に入った。
この倉賀野から楡木までの街道が日光例幣使街道と呼ばれた。






街道沿いに蔵ばかりでなく商店や民家など古い建物がいろいろと見られた。
保存修復の工事を行っているらしい蔵も見られた。






ここは油伝味噌(あぶでんみそ)という味噌屋で、これも国の登録有形文化財に指定されている。
この日は休日だったが今も味噌や田楽を販売しているそうだ。






こちらは丸三家具店。奥に蔵が二つある。
元は左が米蔵で右が塩蔵だった。






これは大正2年に建てられた栃木病院は本格的な洋風建築だ。これも登録有形文化財に指定されている。






この三つ並んだのは善野家土蔵。善野家は大名相手の質商なども行う豪商だったそうだ。
江戸時代末期には困窮人救済のために土蔵の銭や米を放出したために「おたすけ蔵」と呼ばれた。







今は内部を改修し、市立「とちぎ蔵の街美術館」として活用されている。
行ったときは版画の役者絵(浮世絵)の展示が行われていた。






市内には渡良瀬川支流の巴波川(うずまがわ)が流れていて船で水上から蔵の街を遊覧できる。
この川による舟運で江戸との交易が盛んになり栃木の商人たちが隆盛を極め立派な蔵が増えることになった。



コメント (2)
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