横浜のほほん・続

植物や生き物を見ながら歩いて感じたことなどを中心に日々を綴る。

ツアーでの虫や花

2019-04-20 06:32:40 | 日記



先日のツアーの観光地でも、ところどころで虫や花が目についた。

伊賀上野城では桜の花にチョウが止まっていた。







翅を閉じたまま夢中になって蜜を吸っているのはアカタテハだった。







伊賀上野城は桜が満開だったが、足元にタンポポが咲く場所もあった。







在来タンポポなので神奈川あたりではカントウタンポポなのだが、
三重県だとカンサイ?それともトウカイ?・・・詳しくは分からない。







熊野古道の中辺路を少しだけ歩いた山道の下り口、ヤマザクラの下にシャクナゲが咲いていた。







ここに咲いていたので長谷寺でも見られるかと期待したが、少し早かったようで一輪もなかった。







吉野山で同行の皆さんの目は、あちらの桜、こちらの桜、遠くの桜に向いているが、
歩道脇の石垣にポツポツ咲いている草花を見つけた。







シロバナタンポポだ。ちょっと、ど根性~~的にも見える。
桜の時期でないときに、吉野山を歩けばさまざまな草花に出会えそうだ。



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石砂山あたりのスミレ

2019-04-19 06:43:20 | 日記



4月の初め石砂山にギフチョウを見に行ったとき何種類かのスミレが咲いていた。







プレジャーフォレストから篠原まで歩いた道の斜面で見たのはナガバノスミレサイシン。

サイシンとついているのは葉がウスバサイシンに似ているからだという。







ウスバサイシンは見たことがないのだけれど、カンアオイの仲間だそうだ。
このカンアオイは石砂山にたくさんあって、この葉の裏にギフチョウが卵を産みつける。







ナガバノスミレサイシンは薄紫色のほかに高尾山やこの付近では白色も多く見られるようだ。







篠原への道を進むと今度は葉が細く切れ込んでいてスミレの葉とは思えないのがあった。
エイザンスミレのようだ。







エイザンスミレの距は先が少し膨らんでプックリした感じだ。







石砂山の登り口近くでは舗装の隙間にずらーっと並んでいるスミレがあった。







ノジスミレだ。ど根性スミレみたいだが、このような咲き方は前に帷子川の近くでも見たことがある。
ノジスミレはスミレとよく似ているが、側弁に毛がないとか葉柄の翼が目立たないなどの違いがある。







帰り道、民家の斜面にはケマルバスミレが咲いていた。
撮っていたら通りかかった人が葉の形が丸いねと声をかけてくれた。





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高野山と室生寺

2019-04-18 06:06:20 | 日記



今回のツアーでは短い時間ながら高野山にもお参りした。
高野山真言宗総本山金剛峯寺は弘仁7年(816年)に創建され、高野山全体を一山境内地としている。
しかし夕方だったので中の橋から杉の巨木が並ぶ奥の院に入り弘法大師御廟まで往復しただけだ。






高野山のお墓は宗教、宗旨、宗派を問わないそうで、実に多くのお墓や供養塔が並んでいる。
武田信玄、勝頼供養塔、明智光秀供養塔、石田三成供養塔、島津家供養塔、彦根井伊家供養塔・・・
親鸞聖人供養塔、法然上人供養塔、織田信長供養塔、豊臣家供養塔、初代市川團十郎供養塔・・・

今回はどの供養塔も確認したり参ったり出来なかった。






企業やその他団体の墓所もたくさんあった。会社の創業者や功労者などを祀っているのだろう。






東日本大震災の慰霊碑があった。関東大震災供養塔もあるそうだ。







奥の院をずーっと進むと御廟橋があって、橋を渡っていくと奥に弘法大師御廟がある。
この橋から向こうは撮影禁止になっていた。

弘法大師は承和2年(835年)に入定の後は即身成仏として今も御廟の地下におられるとのことだ。
地下に行くと弘法大師霊窟の近くに御影が掛けられている。
手前には独鈷と数珠が置かれていて触れることが出来る。

四国八十八ヶ所遍路を結願すると、ここへ来てお礼参りする人が多いという。







高野山を訪れた翌日は吉野で桜を満喫し、帰路の途中で室生寺に立ち寄った。
室生寺は宝亀年間(770年ごろ)に開かれた。
長く興福寺の末寺であったが、江戸時代に真言宗寺院となった。
女人禁制だった高野山に対し、女性の参拝が許されたことから女人高野と呼ばれた。

灌頂堂(本堂)は鎌倉時代の建立で国宝になっている。







灌頂堂の奥、少し上がったところに五重塔がある。
平安時代初期に建てられた国宝で、高さが16.1mしかない。それでも重厚さを感じる。


平成10年の台風のときに巨木が塔に倒れかかって倒壊寸前の状態になったそうだ。






時間の関係で奥の院を割愛して護摩堂に向かうと桜がきれいだった。
乙松桜との立て札があった。紅彼岸桜の仲間らしいが名前の由来は分からない。


3日間を通じてバスで走り回ったツアーであったが、
これまで行けなかった吉野山、熊野古道と本宮、高野山、室生寺を巡ることが出来たし、
伊賀上野城や谷瀬の吊り橋も大いに楽しめた。




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50周年・・金婚

2019-04-17 06:13:59 | 日記



瀬谷区役所から カードが届いた。

Congratulaions! This is for you. I hope you will like it!

瀬谷区のマスコットキャラクター [せやまる]
 からのメッセージだ。






結婚50周年おめでとうございます。
これからも健康で、より一層幸せな日々を過してください。
と記されている。






横浜市瀬谷区が戸塚区から分離してから今年の10月で50周年を迎える。
これを記念して区民の生活の中で起きる「おめでとう」を
[せやまる]が一緒にお祝いするというカードキャンペーンを実施しているのだ。

我が家は瀬谷区より一足早く4月で結婚50周年を迎えた。
無事に過すことが出来て有り難いことだ。






思い出も 未来も共に この瀬谷で ・・・間違いなくそうなる。


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大斎原と中辺路

2019-04-16 06:43:22 | 日記



熊野本宮の近くを熊野川が流れている。






熊野本宮大社から500mほど離れたところの大斎原(おおゆのはら)は熊野川の中州にある。
かって五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿などがある広い神域だった。
ところが明治22年に大水が出て多くが流出し、水害を免れた上四社が現在の本宮大社に遷座された。






今は、流出した中四社、下四社をまつる石像の小祠が建てられている。
訪れる人もそう多くなくて静かな場所だ。






大斎原の入り口にある鳥居は平成12年に建てられて、高さ34m、幅42mの日本最大の大鳥居だそうだ。

門の中央には金色の八咫烏がいるのが見える。







大斎原にすぐ隣接する場所に、昨年「熊野本宮ヤタガラスサッカー必勝祈念碑」が建立された。
サッカー日本代表のユニフォームのエンブレムに八咫烏がデザインされているように、
八咫烏は日本サッカー協会のシンボルになっている。
日本代表のW杯必勝を祈念して地元有志が大社の協力を得て祈念碑を設置した。

地元産の玉石をサッカーボールに見立てているそうだ。







八咫烏の飛ぶ姿は見なかったが、熊野川の河原にはトビが何羽も休んでいた。







そして鳴き声がするなと思っていたら境内に隣接するところに雉がいた。







今回のツアーでは熊野古道のほんの触りの部分も歩いた。

平安時代、宇多法皇にはじまり歴代法皇、上皇らの熊野行幸が百余度に及び、
身分や老若、男女を問わず多くの人が熊野三山を訪れた。
熊野詣でのために通った道が熊野古道である。紀伊路とも呼ばれた。







後世になって、京から田辺までを紀伊路、田辺から本宮大社、那智大社、速玉大社までを中辺路、
田辺から海岸沿いを勝浦、新宮に至る路を大辺路、本宮大社から高野山に至る道を小辺路とした。
さらに伊勢から南下して速玉大社や本宮大社に至る道は伊勢路と呼ばれるようになった。

今回は大坂本王子のあたりから近露王子までの短い距離を歩いた。







王子とは熊野詣での先達をつとめた修験者によって紀伊路、中辺路に作られた神社のことで、
多数あるので九十九王子と言われたが今は廃絶されたり特定できないものもおおいそうだ。

年配者の多いツアーでは短い距離だけ歩くのも仕方がない。







途中の箸折峠に牛馬童子像があった。右は役行者像だ。
牛馬童子像は花山院を模したものといわれ、牛と馬の2頭の背中の上に跨っている。
花山院が食事の際にカヤの木の小枝を折って箸にしたので箸折峠だという言い伝えもある。







近露王子も神社は残っていなくて石碑があるのみだ。

いつか熊野古道を歩きたいとは思っていたが、奥の深さは想像以上だ。
中辺路の滝尻王子(田辺)から本宮大社までの道だけで約38kmあり、高低差が700mほどもある。
いつか挑戦できるかどうか・・・


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