どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

染井吉野

2011-05-03 22:49:13 | インポート
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日本中にある桜。でもこうして写真を撮って行くと、ほぼ最高の桜でもある。花が大きい、花の数が多い。花が葉より先にでる。生育がいい。
弱点は病害虫。そして肥料食い。
今年の桜は、色は悪いがバランスよくいっぱい咲いている。適度な寒の戻りがあるのかもしれない。


ビン・ラディン

2011-05-03 20:08:57 | インポート
彼は世界のゆがみを一身に背負っていたと思う。純粋にイスラムであろうとすればするほど、深みにはまっていたのではないか。
アメリカとソ連の代理戦争に身を投じ、アメリカから裏切られ、祖国からも裏切られた。
父は母を捨てたが、父からの資金でアルカイダを作った。その資金をさかのぼれば石油を買った異教徒、特にアメリカからであった。
アフガニスタンでは、武器はアメリカからくるし、CIAが支援していたのは公然の事だった。

尖っていたため、同胞であるムスリムたちからも持て余される。英雄なので仲間はいたが、孤立して行く。

ビン・ラディンを殺して重りをつけて海に捨てる前に、もっとやるべき事があったのではないのか。10年も以上も時間があったのだ。


節目

2011-05-03 00:42:05 | インポート
ビン・ラディン師が亡くなった。
確かに犯罪者ではあるが、英雄でもある。そこに敬意を払う。
アフガニスタンでの前半戦は、まさしく英雄であった。その資金力、その行動力、その組織力、その比類なき献身。すべてにおいて英雄に相応しいものだった。それがどこかで歯車が狂った。それはアメリカのせいかもしれない。そしてそれは彼らの問題だったのかもしれない。
911のとき、テレビの無い私がたまたまテレビを見ていた。2機目が突入してしばらくして、イスラム原理主義者のテロの可能性があると音声が聞こえた。瞬間、そこまで追いつめられていたのかと、考えてしまった。
宗教が宗教を超えてしまった瞬間だった。一線を越えてしまったのだ。
いまビン・ラディン師は、ムスリムとして葬られずに海に捨てられた(自分はこの処分について相当疑問を持つ。カルタゴに塩を撒いたローマ並みのように思える)。彼が英雄だった時代を知っていればあまりにも哀れな死に方だ。
そして北アフリカの騒動。ここでは原理主義者がいない。時代が変わってしまったのだ。
確証は持てないがビン・ラディン師の影響力は、神学論争程度になっていたのではないだろうか。
ここで時代の歯車が、回った。狂っているかどうかは別に。
昭和生まれの日本人はいろいろ翻弄されてきたが、昭和天皇の崩御、阪神大震災とオウム真理教事件と文化面の大変化を経験してきた。911は世界的な変化であったが、国内のこれに比べれば右傾向を進めただけだったかもしれない。
今回の震災とビン・ラディン師の死、そして福島の事。不吉な現象だが、一気に世界のパラダイムシフトの可能性を考えるのは、私だけだろうか。
凄まじすぎて、この節目にたじろぐのは私だけだろうか。

最後に、ビン・ラディン師が海に捨てられたのは、放射性物質以上にどうゆう影響があるのか予測出来ない。