「東日本大震災復興支援『若冲が来てくれました』~プライスコレクション 江戸絵画の美と生命~」という長ったらしいタイトルですが、簡単に「プライスコレクション」です。アメリカの大富豪のプライス氏が集めた江戸期の日本絵画、特に若冲と芦雪が充実しています。これに宮内庁蔵の若冲が花を添えています。かなりのコレクションです。どの程度かと言えば、教科書に載っている作品があると言う事です。他にも江戸期の美術作品では必ず紹介される絵画が、多数あります。
こういった海外からの美術品招来は、保険や貸し借りの義理人情とかイロイロあって難しいのですが、一括で来てしまったと言うのが今回のサプライズです。普通一枚2枚を借りるだけで大事なのに一気に来てしまいました。
まあとんでもないコレクションです。個人趣味のコレクションでもあるのですが、かなり一貫としたコレクションで欧米人の見る日本美術に対する姿勢が見られます。例えば若冲の芭蕉雄鶏図と弟子の若演の芭蕉図の違いとか、ある系統立てたものを持っています。なおこの図の最大の違いは、筆法です。若冲は隷書を書くように書いているように見受けられます。単純な感性だけで集めている訳ではないのが見受けられます。
噂には聞いていたのですが、県立美術館としてはかなり混雑しています。駐車場は満員です。行列ができていないだけです。このレベルは遠野展以来でしょうか。とはいっても会場で作品の前の人だかりで作品が見られない事はありません。
さてなぜ江戸期の絵画がアメリカにあるのかと言う事です。これは明治期の大流出、次に終戦時の流出でしょう。明治期の廃仏毀釈による仏教美術の流出や、当時ではそんなに価値がないと思われていた作品の流出です。ベルリンにある日本美術コレクションなんてこの最たるものでしょう。「紺地金泥大般若経」にはシビレました。
次に明治期では文明開化が言われて、日本画はだめだと言われた時期があります。江戸期でも著名作家や、明治期にも解釈できた作品が残って、あとはバンバン流出してしまったと言う事です。終戦時はお金持ちの没落で流出するのですが、戦前は江戸は遅れてすべてダメとされていた時代です。安土桃山までは美術品として扱われましたが、江戸期の作品は曖昧な扱いになっていたと思います。この辺りを集めるのは日本では「好事家」、つまり物好きになります。茶道愛好者の趣味にも合わない作品が多かったとも思います。
江戸期の美術でも、写実を考えた?円山応挙や葛飾北斎は革命家として後年江戸美術代表みたいになりますが、それは発展史観みたいなな考え方で、そういった気風があった時代には江戸美術なんてとなっていました。
若冲や抱一あたりは、その意味でマンガじゃないのと思われていました。
今回の展示ですが、子供向けを考えているようでなんか説明がつまらないのですが、考えさせると言う方向ではなかなか面白いものです。あと量が凄い。質も凄いが数もある。展示スペースが足りないようです。順路がイマイチ不鮮明です。
おかげでかなりグルグル見てしまう事になります。でもそれ以上に解るんだけど解らないモヤモヤさが更に人を混乱させているようにも感じます。
そう、それが江戸美術なのですよ。
単純な画ではないのです。文学的なウラがあったり禅宗のウラだったり、サインと言う意味での落款と印の味わいとか、賛の入り具合とか、日本人だから解るとかいう単純なものではない、ディープな世界が広がっています。
そうそう、掛け軸なんかの表具あたりまで味わうと、ほんとディープです。
その前に、江戸期の美術はある意味道具です。場を変えるための道具です。そこに人がいるからこの美術が際立つ訳で、関係性で出来ています。だからこの画をどう使ったのだろうかと考えると、もっと世界が広がります。
6曲2艘の屏風はどこで使われたのか、考えただけでもワクワクします。円山応挙の8曲・4曲2艘の屏風が展示されていました。これはかなり変形バージョンなのですが、2艘同時に使えて、一艘ずつ別々使えるというアイディアがあります。
さて2階にキャノンが複製した芦雪の白象黒牛図屏風があります。畳敷きでこの複製のすぐそばまで近寄れます。
実はこれ写真撮影可です。なので記念写真をとってみました。
私だからイマイチなのですが、本来はこの屏風はこう使われていたはずです。
今回このスポットが一番日本美術に触れられるところかと思いました。ここで記念撮影は、かなり良いと思います。
とはいってもかなり勇気がいるよ。普通は。
PS
芦雪の白象黒牛図屏風なのだが、気がついた。これは対面で並べるともの凄く意味がある。要は遊びの場で使うのだ。牛の前には男がいる。白像の前には遊女がいる。そういった構図だとよくわかる。
男が立つと子犬が現れる。そういったお遊びを感じる。白象のカラスなのだが、これはチョイっと難しい。もしかすると画の中のカラスは鳴かないからいる。そういった意味合いがあるのかもしれない。