あけましておめでとうございます。本年も引き続きご愛顧のほどよろしくお願い致します。
さて今年はおせち頑張りました。何しろ煮物と雑煮を用意しました。ご飯は黒豆とおし栗の炊き込みでございます。一応煮物と雑煮で出汁の組み立てが違うという力作なのですが、どう見てもハレの食卓ではございません。雑煮は具材たっぷりでヘルシーですし、煮物はいつもと変わらない適当な切り方ですし、炊き込みも普段やっている組み合わせです。なにがどうかといえば、マトモな出汁だということだけです。
一日漬け置いたコンブの水と干し椎茸の出汁、そして鳥手羽の出汁の煮物、雑煮はコンブと鶏皮とモモ、そしてホンシメジの出汁です。久しぶりにこんなまともな出汁を作った(引いたとは言えない。煮て作るからだ)。こんな面倒なことは一年に1っ回程度しかできない。一番大きいのは、寒い時期でないと出汁が傷みやすいので、正月くらいしか作れないということだろう。
今年も高松の池に来ています。
今年は初詣とかそういったイベントは、やらない方向にあります。明日行くかもしれませんが、近所にしようと。
高松の池は、大晦日の夜にいきなり結氷したようです。ようやく冬の高松の池らしい風景になっています。
コガモが一羽いました。一羽だけというのはなんとも言えません。高松の池ですが、定番の鳥以外はこうして迷ってきた鳥が少数きます。だから一羽とかそんな感じです。
薄い氷があるようで、乗り越えられず雛鳥が手こずっています。親になると砕氷船さながらに氷を割りながら進むのですが。
明日は雪になるというのですが、どうなるのでしょうか。
まあ独り者の正月っていうのは、どうでもいい休日だね。
喫茶響は正月から営業している。暇なので行ってみると、ケニアがニュークロップになっていた。味と品質でコーヒー界屈指のケニアだが、その中のチャンピオンだろう。
だがこのコーヒーを最高だと言い切れないのがある。というのは、すべてにおいて最高なので、どこが最高なのかわかりにくいのだ。香り・コク・酸すべてが複雑で高度に調和されている。コーヒは良くなればなるほど複雑な世界になる。その頂点のものというのは、そこに言葉が存在しない。そういった世界なのだ。
私のつたない言葉で言えば、広がりがまったく違うコーヒーだ。少し香りが強いとかがあればわかりやすいのだが、高度な調和という広がりは、説明しようがない。ただわかりやすいところでは、冷めたときの味が崩れないということだ。変化はあるがバランスは崩れない。これはすごいことなのだ。
とは言えファーストロットになる。なので不完全な部分があるのではないのかと思われる。来週以降に最高の仕上がりが見られるのではないのかと思う。
そういえば、お正月にあった音楽というのが家にないことに気がついた。もう少し正確に言えば多分どこにもないだろう。和風の音楽はとてもいただけない。雅楽も何か違う気がする。能楽も民謡も違う。
お正月は音のない世界が望ましいのかもしれない。正しく神の訪れを悟るためにも、そちらのほうがいいだろう。
とは言え少しさみしいので、ベートーベンの第9番をかけていた。しかもチェリビダッケ指揮のヤツを。