どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

盛岡市的観光案内・下の橋通り2

2012-09-09 16:52:35 | まち歩き
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下の橋通りと言う名称は無いのだが、ちょっとエリアが長いのでこうなっている。下の橋町のあたりだ。ここでは2車線の道路を1車線にして両脇に自転車道を作る社会実験が行われている。
この辺りの商店の閉めているのが目立つ。道路拡張計画でもあるのだろうか。


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「武士道」の新渡戸稲造の生家が下の橋のそばにあったらしい。公園になっている。長年住んで初めて立ち寄った。
実は新渡戸はクエーカー教徒だった。なのでその倫理観の厳しさがあると思う。「武士道」にはクエーカーとして武士道を読み替えたものとも言える。人を殺す倫理、クエーカーにはかなりの難題だと思う。教義違反だ。ただこの作業を通じて西洋倫理と同じくらいの東洋の倫理があると言う事を示したかったのではないのかと思う。成功して世界的に売れている。
ただこの本をムスリムが読む場合、やっぱり注意してもらいたいものだ。
なおこの辺りは武家街があった。


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さて清水町まで来ると、4車線の計画のあとが見える。まあ40年以上は止まっているのでしょう。ただこの感じからは最近動き始めているのではないのでしょうか。


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さて本来はこのまま惣門通りに向かうのが素直な道筋ですが、木津屋の方から入ります。盛岡の豪商でまだ健在の商店です。文房具やオフィス家具・味噌とか扱っています。


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この鉈屋町3丁目ですが、かつてはかなりにぎわっていたのではないかと思われます。この辺りだけなのですが、町家の作りが大きいのです。軒が高く、2階が完全に分離している作りが多いのです。逆に豪商なのに天井と2階の間がとっても狭い、木津屋さんの作りに意図的なものを感じます。


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こういった古い看板が好きな人にはたまらない一角なのですが、最近どんどん減って来ています。今回ネタにあの看板どうなったかと探したのですがかなり無くなっていました。


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これは円光寺です。米内光政の墓があります。岩手県の政治家は大別すると二通りいます。米内光政タイプと後藤新平タイプです。前者は無口で派手嫌い、根回し得意です。後者は理論と手法が明快ですが、自分の派閥を作るのが、実は苦手です。
両者の共通した特徴は、演説が苦手です。時間をかけるのは得意です。
米内光政は、今の時代をどう考えているのでしょうか。


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惣門通りに入って、その看板をイロイロ探したのですが見つかりません。この辺りも新築ラッシュが起きています。
街は本当に動いています。





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さてこの辺りは、町家ブームです。町家で観光客を呼ぼうと言うことで、町家を使ったカフェとかが出来はじめています。また改装する際には町屋風になったりしています。
さてなんて言う事の無い古い酒屋です。


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画像をいじってみますと、カウンターが現れてきました。これは酒が量り売りだった時代の名残です。酒を売っている場でのむという名残です。通称「もっきり」ですね。
本来は飲食店になるのですが、酒とつまみを店で買って勝手に座って飲み食いする、と言う前提があるので保健所的には目の敵にされているものです。これが大きな市で残っていると言うのが、盛岡的です。
これも観光に使えないのかと模索されていますが、まず無理でしょう。入って酒買って、椅子に座った瞬間ものすごい緊張が空間に走るんですよ。常連さんと。これは多分男一人だからだと思います。逆に女の子交えて10人ほどで押し掛けるとウエルカムになるのが不思議な所です。女の子は大事かと思います。
とはいってもはまる人ははまります。チャレンジする価値はあると思います。






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