通りに戻ってきました。左の大きな商店は魚屋、右は酒屋でもありますが麹屋です。魚屋はあとで出てきます。麹屋もあとで出てきます。
町家で売り出し中なので、イロイロと飾っています。ただ町家と言ってもいろいろあります。軒が低いの高いの、です。高い方がお金がかかっていると言う事です。
鉈屋町と言う名前の通りに、農鍛冶屋があります。
倒産した酒蔵の岩手川の敷地です。半分は消防団の建物が建っています。問題は後ろの酒蔵群でしょうか。これはどうなるのでしょうか。
奥は昔の市民病院のあったところでスーパーになっています。
実際鉈屋町は今現在かなり変わって来ています。昔の風景を思い出す鍵は今でもいくらでもあるのですが、実は混乱しています。
八幡のお祭りの出しが準備されています。ただちょっと今この状態?と言う疑問があります。
神子田町に入るといきなり町並みが変わります。実はこの場所ですが北上川と梁川の合流点に近い場所です。なのでどうしても氾濫しやすい場所だったので、土手が出来るまで発展していない場所だったのです。
鉈屋町が江戸時代からの流れを次いでいるとすれば、神子田町はそれがないのです。
下の橋の通りは、ここで北上川の土手の上にある道路と合流します。本来は遠野街道なのでしょう。しかしこの辺りの景色の変わりっぷりに驚きます。
これも03あたりでしょうか。このインパクトのある看板の酒屋が無くなりました。
実はこの通りも道路拡張計画があったのですが、最近凍結されたようです。
ここからバイパスに入って、自動車整備工場の脇から神子田の朝市に向かいます。とはいえ自動車整備工場、事故車も一杯あります。ちょっと気になった一台です。
神子田の朝市です。昼にいっても誰もいないのは当たり前です。実は狙っています。
市の写真ですが、何も買わずに写真を撮って帰る人間と言うのは、いるだけで迷惑で、存在してはいけないものです。それでは買い物を少しして写真を撮ると言うのも彼らは嫌います。まあこれは当たり前です。
実はこの市ですが、闇市の名残です。駅前に出来て桜山に出来て、これらをまとめて市が移転したのが神子田の朝市です。
この朝市なのですが、私は否定的です。もう戦後は過ぎたのだから、市の土地を使っての事業は終わらせるべきだと思います。一応産直なのですが、もう60年経って業者となっています。他産地の産品も平気で並びます。市価の3割安いと言いますが、デパートと比べて3割であって決して安くはありません。
漬け物の大量購入シーズンになれば確かに安くなりますが、近所の八百屋と比べてどうなのかと言うのが現在です。
ただ、もの凄くノスタルジックです。戦後の闇市に近い何かを感じれると思います。ラーメン屋もコーヒーショップもあります。楽しめます。これは間違いが無い。
さて鉈屋町に戻りましょう。
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