北朝鮮が突然ロケットの発射を前倒しすると宣告して、今日打ち上げた。2月8日かな?旧暦の正月だからちょうどいいとは思っていたが、まさか今日だとは。
ただニュースは微妙だった。5つに分割されて落下したようなニュアンスを使っていた。まるで失敗したかのように聞こえる言い方だった。だが3段ロケットの最上段のフェアリングの解放に成功したのだろうから、確かに5つのパーツが落下することになる。つまり成功した可能性が高いとなる。
中谷防衛大臣も、軌道に入った可能性があると言っているが成功したかどうかは確認中と言っている。
衛星は94分で地球を一周するのだから、低軌道なのだろうか。にしても確認作業に時間がかかるとは思えない。軌道に投入できたが衛星が壊れたのか。
関係ないが、中谷大臣は昔はいい男だったんだろうな。首がどうもなんとも。
最近軽油が凍るということを知った。調べると寒冷地仕様の規格があって、関東圏からスキーとかで東北に来て、一晩置いておいたりすると凍結して二進も三進もいかなくなるらしい。そうでなくとも、気温によっては軽油の中にパラフィンの結晶ができてインジェクションノズルを詰まらせたりして、故障の原因にもなるという。
東北に住んでいると、その季節ごとに規格が変わっているのに気がつかない。だが車だと移動するので、実は、ということがあるようだ。
実際のところLPガスも夏と冬では規格が変わっている。それは知っていた。ガソリンも産地から生成されたものや、重油をクラッキングしてできたものをブレンドして規格に収まるようにしているのも知っていた。確かに軽油は分子量が大きいので、さらに寒冷地仕様と一般仕様と分けなければいけないのだ。
気がつかなかった。
バッハ全集もようやく50枚目に突入した。器楽は聞いたことがあるものばかりなのでそんなに問題はなかったのだが、カンタータに突入してからは、結構難儀している。初めて聴く曲ばかりだからだ。BWV1~10なんてラジオですらかからないだろう。
ただもっと難儀なのは、さすが超廉価版。なんかCDのトラッキングエラーが生じているようなのだ。ただそれがどの程度かまではなんとも言えないレベルで、ボサっと聞いている分には何が何だかのレベルだというのが実は問題。機械が悪いのかディスクが悪いのか、我が家の電源が悪いのかがはっきりしない。多分ディスクが悪い。とは言っても聞けるレベルなのがなんとも言えない。
なおCD第一世代から聞いているので、まあこんなもんかと思ってしまうのだが、今の人は許せないだろうな。ほんと第一世代は高くて悪いCDがいっぱいあった。ハンブルクとかハンブルクのハンブルグらしいのがいっぱいあったんですよ。でもまあこんなもんなんですよ。CDもLPも。いやDVDもブルーレイも。
超廉価版だからと高をくくっていたのだが、演奏レベルが極めて高いので、チと残念。ブリリアント・クラシックレーベルはなかなかのもんです。
と言っていたら、CBSの五嶋みどりのボックスセット超廉価版が届いた。真面目にこれはお買い得。残念なことは、今の五嶋みどりはさらに凄い演奏をするということだ。でも2700円は安すぎるぞ。真面目に今クラシック入門ではかなりいいお買い物だ。でもできれば彼女の最新の録音も聞いてもらいたい。どえりゃーもんです。
日経ビジネスオンラインで「人生の諸問題」という小田嶋隆氏と岡康道氏の対談・「入院とは思い出の小箱である」という記事がある。実はこの対談のファンで、とてもくだらないのに何か真を突くような所がある。二人は1956年生まれで高校大学と同じ学校、進行役も1960年生まれと同時代そのまんまの対談なのが面白い。
今回もなかなかいい言葉をいただきました。
「小田嶋:ルールというか、秩序と自由の問題というのはなかなか深いことでね。どこかで対談した時に、その話になったんだ。たとえば東アジア、中国、韓国、日本というぐらいの、要するに儒教文化がある程度あるところは、100人の人間がいて、みんなが少しずつ我慢してわがままを言わないでいた方が、社会全体としては居心地がいい――といった、秩序優先の考え方をする。
ところが西洋人の世界では、みんながわがままを言うことがベース。だから他人というものが、わりと迷惑な存在なんだけど、その迷惑の方を我慢しようじゃないか、という原理なのね。人はそもそも自由なんだから、街で変なことをやるやつがいたり、でかい音で音楽をかけるやつがいたりすることの中で暮らしていく。それが人間だよ、と。」
近代自我とかウンヌンいう前に社会が違うんだよと。
ただこの後団塊批判が出てくる。その前に小田嶋氏だから出ているのかと考えたのだが、私もつい最近団塊ってヤダ、とか書いている。ネットで見ると、団塊批判はかなりある。
私の場合、団塊批判はもう迷惑かけられまくったという思いもあるが、理解しようともし続けた。だがずっと若い人から見れば耐え難いものに見えるようだ。そりゃそうだ。私も昨年T老人の件でえらい目にあったわけだ。そういった事例が増えているのだろう。暇になった団塊の世代はなかなかに手強い。
でもだ、私が団塊の世代への批判を平気でできるようになったのはいつからなのだろうか。少し考えた。それは3年前からだ。昭和23年生まれが65歳を超えた時からだ。大部分がリタイアしたあたりからだと思う。今ならさらに批判できると私も考える様になっているのだろう。
でもいい人もいっぱい居る。これは確かなのだが、どうも大卒が嫌な感じになっていると思う。私の知っている団塊もだいたい大卒で、これもまたいい人もいるがどうしようもない人もざんざん見た。だからひっくるめて「団塊」という批判は本当に問題はある。でもT老人以降、私を持て余す所がある。
小田嶋:これは微妙な話で、どこまで本当か分からないんだけど、世代論というものの中で1個だけ当たっているくくりは、「団塊の世代」だと俺は思うんですね。
岡:どういうこと?
小田嶋:たとえば昭和30年代には、少年犯罪がめちゃめちゃ多かった。昭和40年代には青年の犯罪が多かった。そして、60年代以降は中年の犯罪になった。ということは、ある世代がずっと段階を追って、それらを起こしている、と。
岡:ずっと団塊ってことじゃん。
今や公に批判が繰り出す様になってきた。ネットだけではない。だがここでいう犯罪というか人口10万人あたりの犯罪件数というのは統計上どう出ているのか。小田嶋氏は正しいのか。調べたらそうでした。
ただ情報はもう少し精密に調べないといけない。昭和10年生まれも統計に混ざっているので団塊の世代だけのせいにしてはいけない。にしてもこのブロックでの団塊の人数があまりにも大きい。
だが私が解釈しているのは、あの年代は競争圧が極めて高く、ありとあらゆる手段で彼らは競争していた。その極端なのが学生運動とのちのセクト主義だ。確かに時代の問題はあった。だが彼らのやったのは権力闘争だった。
ホントそこから生き残ってきた彼らとは、口論できない。真面目に彼らは非論理的な言語で、打ち負かすことのみの言語を駆使する。
だが貧困や社会矛盾や競争圧だけではなんでこうなるのかは理解できなかった。
小田嶋:いや、数が多かったから。数が多かったから、ケアされ切れずに生きてきた。
岡:確かに生まれた時から、多かった人たちだもんな。
小田嶋:親からもしつけを受けないし、学校の先生も「まあ、君たちは好きにしたまえ」みたいな時代だったじゃないか。
岡:団塊の世代で言うと、何となく闘ったりけんかしていたりするポーズが、習慣になっている。
そう、ここがしっくりきた。社会秩序がうまく機能していない時にボコッと大量の子供がいた。ケアされず下手すりゃ社会からスポイルされた年代でもある。おまけに貧富の差もまだまだ大きく、いや逆転も起きていた時代だ。その中で生き抜くというのが子供の頃からの習わしになっていたのだろう。誰もケアしない野生児の時代だった。
なおモーレツ社員はこの団塊より上の昭和5年以降の生まれだ。もっと空白の、もっと矛盾ばかりを見せつけられた世代だ。世界を信じることができない人たちだ。で、今退職する60歳はシラケ世代。団塊が荒廃させた世界を眺めなおす世代だ。
スポイルされた世代。これはしっくりくる。
この統計が正しいとすれば、彼らは攻撃性が高いということになる。そしてそれは実感できる。だいたいのところのすべての問題が理解しやすくなった。
だが問題なのは、このままでは彼らはスポイルされっぱなしになるということだ。それだけは私らの働きがけでもなんともならない。
戦後の最悪の教育状態から、高度経済成長からバブルと、その後のデフレ期と人生の激動を生きたわけで、先輩を尊敬したいのだが、やっぱりアンタラ口先ばっかりだったのねと思う今日この頃に、腑に落ちた言葉でした。
スポイルされた世代。多分現状ではそうだ。東大紛争も総括できない、いや総括という言葉で何をしたのかそういったことまで含めて、何もしない彼らは。
止めよう。彼らがあんまりにもひどかったにしても、彼らに支配されてきた私らは、反乱すらできなかったのだ。それをどうするのかを子育てに持って行ってしまったのではないのか。あの極めて安全安心な子供の世界。子供を野生児にしたくない。そういった気持ちはあるだろう。団塊の世代もあれだけ嫌がったキャラメルママを退治できなかった。母性は世界を凌駕する、そのきっかけも作った。
だからやめよう。本当に団塊の世代は嫌いだ。勝ち負けしかない世界だ。彼らが成し遂げたと思っている高度経済成長は昭和5年以降の生まれが成し遂げたのであって、彼らではないのにその気になっている。
だからやめたいんだけど、どんどん言葉が出てくる。いい人もいっぱいいたがどうしても悪い思い出しか出てこない。
それが数字で出ているというのは、なんとも言えない。ただ日本文化史の流れでおけば、実はその攻撃性は良かったと思う。ただその攻撃性を回収して発展させたのは、彼らの嫌うシラケ世代だったというのがおかしいところでもある。
逆説的に私らは、スポイルされた世代にスポイルされてしまったわけで、ちっちゃくまとまんないとなんともならんわけだ。だからこうなったのだ。
やっぱりT老人事件をかなり引きずっている。
でもな、スポイルされた世代、そうだな。その苦々しさは、わかるつもりだ。でもこっちも年だ。だから昔みたいに譲歩する気はない。
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