おもいっきり寝坊をして、電話で起こされました。唐突に仕事発生です。網張のキャンプ場にいます。
最近は毛色の変わった仕事が入って来ているのですが、そのシリーズですね。簡単に仕事は終わり、温泉に入ります。
裸の男どもを眺めていますと、なにかイロイロ考えますね。なんというか、裸からにじみ出てくる人生みたいなものがあります。普段はプールで見る訳で、そこには健康を意識した人しか来ない訳で太っていてもそれなりの筋肉があるとか、あるバランスがある訳です。そして最近では真面目に泳ぐ人ほど体毛処理をしている訳で、それが温泉だとありとあらゆる種類がいる訳で、見ていて飽きなかったです。そしてスキー帰りの人も交じっている訳で、カオスになる訳です。ボディービルダーがいたな。
男の背中と言う言葉をしみじみ感じました。腰痛の人が多い様です。
なにを見ているんだか。人の歩いている足だけを見るとか、そうゆう変態な所があります。
いやしかし昨日は飲み過ぎた。大体このブログは飲みながら書いているのだが、分量が多かった。そして一緒にいった人も二日酔い。飲んだくれコンビでした。行きはISIS人質事件が話題でした。まあ実際この事件をどう捉えるのかは人によりけりでしたが、かなり楽観している人とかなり悲観している人の組み合わせはなかなか面白いものでした。
まあそれにしても後藤さんのお母さんですが、あれって売名行為じゃないの?と言う疑問がネット上で出始めていますね。
帰りの車の中の話題は、同行者の知人が亡くなった事だった。でも出張でその葬式に出れなかった事を悔やんでいる様ですが、同時に行きたくないと言う感情もあるようで、ダラダラと時間が過ぎました。
そういえばニューズウイークの記事に「原油暴落で原理主義のヒズボラが破産?」という記事があった。ヒズボラはシーア派の過激派組織でレバノンに拠点がある。1982年から活動をしているのでアルカイダより2年古い組織になる。主なスポンサーはシリアとイランだ。シリアは現在壊滅状態なので資金源にはならない。そしてイランはこの原油安で資金を絞っていると言う。イランは財政赤字が90億ドルになったようだ。それではさすがに無理だろう。しかしヒズボラの幹部達の暮らしはどうなのか。
「レバノン南部にある、ごつごつした岩だらけの丘は、どう見ても不動産投資に適しているようには思えない。首都ベイルートから100キロほど、イスラエル国境に近いこの地域は、15年に及ぶ内戦と、イスラエルとの激しい戦いに苦しんできた。だが過去数年、この一帯に10軒以上の別荘が建てられた。オリーブ畑、羊の放牧地、荒れた農場......。そんな光景の中に並ぶ豪邸は、場違いな感じがする。地元住民によれば、豪邸の持ち主はイスラム教シーア派過激派組織ヒズボラの幹部たちだ。」
確かに地位のある人はそれに相応しい生活を送るべきだと思う。だがやり過ぎだと思う。それが今構成員への賃金の遅配とかになっている。現在の原油安とイランとアメリカの交渉次第では、どうなるのか解らない。ただシーア派である限りISISやアルカイダにはいけない訳だ。破産したとしても幹部達の豪邸はどうなるのかと言う問題がある。売却出来ればいいのだが、構成員はどうなのか。
イスラムは共同体としてイスラム銀行が無利子だとか、喜捨の伝統がある。それは素晴らしい事なのだが、投資と言う意味合いもあったりする。無利子だから成功してもらってその利益をとる、そういった考えがある。ベンチャーキャピタルに近い。ただその中で縁故主義がはびこりやすいのが欠点だ。そして喜捨の概念も無謀な投資に向かう訳だ。それがアルカイダでありヒズボラだった。
なので彼らは原始共産主義的だと思わない方がいい。かといって資本主義では全くないのが特徴だ。部族主義に近いものだ。共同体でのコンセンサスが無ければ投資は出来ない訳で、その投資の方向が変わっていると思う訳です。
簡単な例では現在のイスラム世界では理系はIT中心で、あとは文系に進むと言われています。製造業がどうして起こらないのかの不思議と言われています。それではなぜ文系かと言えば出世出来るからです。イスラム法学とかですね。エリートコースです。技術者を格下と思っているとも言われています。そして新しい技術を使おうにも、悪魔では無いのかと言う検証実験もある訳でスピードが遅くなる訳です。
16世紀まで科学技術で世界最先端だったイスラム圏がなんでそこから伸びなかったのかと言う疑問も起きる訳です。これはもしかすると江戸時代の北越雪譜のような科学的でもあり非科学的でもあるそういった科学だったからと言うのがあるのかもしれません。
哲学としての科学であって、実証主義的な現在の科学では全く無かったからだと思います。実証主義はヨーロッパで生まれますが、その前にイスラム圏の科学はその統治者でかなり変わったと思います。緩い時代には発展し、カリフがあたらし物好きだったらガンガン進むと言う時代があったと思います。極端なのはトルコですか。ヨーロッパから技術者を呼びました。勝つためには必要だったのですが、カリフ制ならではの事でした。
それではカリフ制の集団合議制とまたひと味違うシーアはその辺が楽なのかもしれません。カリフはいないのだけどまた現れるから、その日まで信仰を固くしようと言う考えです。だから科学技術に対しては柔軟な対応が出来る訳です。現世の事ですらか。
湯川さんが殺されたようだ。その写真を後藤さんが持っているビデオが流された。後藤さんの目から光が消えているのが悲しい。
この現場の写真を撮らされたとすれば非道だろう。なぜかそんな気がしている。でもそれは無さそうだ。
写真の合成説だが、この場合は実は無いかも知れない。プリントアウトされたものとはいえ少し画像がイマイチなのだ。古いガラケーで撮ればこんな感じになるだろう。合成説よりどこにでもありそうな畑で撮影されているのが気になる。
確か昔読んだ本で、画家の書いた首がはねられた絵でスルタンがクレームを付けたと言うのがある。首をはねた直後はいったん首が引っ込んで動脈が飛び出る、そういって奴隷を呼び出して画家の前で首をはねたと言う。
要求も一人1億ドルから「サジダ・リシャウィ」という女性を取引にしていることから、ISISもかなり疲弊している可能性がある。
そして、私のシュミレーションなら後藤さんを先に殺した方が映像的には効果的だったはずだ。そしてジャーナリストを殺して来たという一貫性もある。
それをしなかったのは、母の愛なのだろうか。多分それも違う。要求が明確になって来たからなのだろう。
祈ると言う言葉がどうしようもなく軽すぎてどうも話したくない言葉なのですが、解りやすく言えばご冥福をお祈りします、なのですがその祈りと言う言葉がどうも何とも出来ない所があって、形式上出来てもこの場合は出来ない。
だから言い換える。湯川さんの事は毎日ではないが年に1回は思い出そう。あった事も無い人だが、絶対忘れない。それを供養とさせて頂きたい。
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